音楽に明け暮れた学生時代
バンドでボーカルとキーボード
私は短大の保育科出身で、二年間の学生生活でした。実習が多い学科でしたが、それとは別に音楽サークルにのめり込んでいて、ずっとバンドをやっていました。担当はボーカルとキーボードです。三歳からピアノをやっていたので、バンドの中では曲を構成する部分をだいぶ担っていたと思います。両親がずっと合唱をやっていて、父は去年までオペラもやっていたくらいなので、育った環境も音楽家系と言えるかもしれません。
短大を卒業したあとは研究生として大学に残り、全国的にも活動しているピアニストの先生に一年間師事して、みっちりクラシックピアノをやり直しました。
プランBで選んだ保育科
音楽の先生を目指して教育大学と国立大学の音楽学部を受験しましたが、ご縁がありませんでした。そこで、子どもが大好きだったこともあり保育科へ進学しました。結果的に、その大学で音楽サークルと出会い、バンド活動に夢中になります。保育も音楽も、どちらも全力で取り組めた学生時代でした。
保育園から携帯電話の営業へ
保育園への就職が決まったのですが、すぐに辞めました。ひとつの建物に閉じこもるのがすごく苦しくて、行ったらもう出られないという感覚が窮屈だったんです。それで外を歩ける仕事にしようと、携帯電話の営業職に就きました。ちょうど携帯電話が普及し始めた頃で、時代とやっていることがとてもマッチしていました。毎日新しいお客さんに会える環境が向いていて、仕事というより遊んでいるような感覚で楽しかったです。
音楽で食べるため、24歳で上京
営業職は三年弱で辞めて、音楽で食べていくために上京しました。実家は熊本にあったのですが、たまたま父が単身赴任で東京にいたので、家賃を払わなくていい環境に転がり込みました。そこからバイトをしながら、月に二、三回はピアノがあるライブハウスで弾き語りをする生活が、三十歳になるまで六年間続きました。憧れていたミュージシャンにライブハウスで会えて、そのまま打ち上げに参加して人脈を広げていくのも楽しかったです。昔の音源は今も配信しています。
音楽活動を長く続けられた理由を聞かれると、周りにいたミュージシャンの影響が大きかったと思います。ほとんどライブハウスに住んでいるような人たちと一緒に過ごしていたので、自分もその一員になっているつもりで過ごしていました。
音楽と同じベクトルを向いたキッチンという仕事
なぜ自分は歌うのかを突き詰めた
三十歳になったとき、バイトをしている時間と自分の音楽の方向性がずれていることに気づきました。相反する方向に引っ張り合って前に進まないと感じ、音楽と同じ方向を向いた仕事をしようと決めました。
そこで考えたのが、そもそもなぜ自分は曲を作って歌うのかということです。頼まれてもいないのに、思っていることをメロディに乗せて歌詞にして人前で歌うなんて、冷静に考えたらちょっと不思議ですよね。それでも歌う理由を突き詰めると、人に笑顔になってほしい、それが連鎖して自分の身を置く世の中が幸せであってほしいという、ベタですがそこが原点でした。
好きなものをトーナメントで戦わせた
キッチンは家の中心で食事を作る場所です。食事を作る場所が快適だと、家でご飯を作るようになり、ご飯を作る家には家族が帰ってくる。家族が一緒に食事をとれば会話が生まれ、幸せな家庭がひとつ生まれる。それが増えれば、みんなが笑顔になって地域や社会が良くなっていく。これって微力ながらも日本を平和にしているのではないか。本気でそう考えて、これこそ自分の音楽と同じ方向を向いている仕事だと思ったんです。
好きなこと、やりたいことをひたすら紙に書き出し、一つずつ比較していった結果、頂点に立ったのがキッチンのショールームアドバイザーでした。選ぶ基準は本能でワクワクするかどうか、そして辛いことがあってもそれでも好きだと思えるかどうかです。どこを選んでも楽なことばかりではないので、しんどいことが起きたときに、それでも好きと思えるかを見ていました。
キッチンメーカーへの就職を決めてからは、それまで独学でイタリア語をやっていたこともあり、キッチンやインテリアのトレンドを作るミラノサローネを見ておかなければと思い、サローネの時期に合わせて三ヶ月ほどイタリアに短期留学しました。帰国後、キッチンメーカーに就職しています。
自称「キッチンレンジャー」だった十六年間
住宅設備メーカーのショールームでお客様にキッチンを提案する仕事を、十六年続けました。「キッチンを売っている」という感覚ではなく、自分の中では「キッチンを通して暮らしを良くし日本を平和にしている」という使命感で働いていたので、大変なことがあってもその思いに支えられ続けて来られました。よく冗談で自分のことを「キッチンレンジャー」と言っていたくらいです。
働き方改革と入院がくれたきっかけ
「組織の足を引っ張りたいのか」
働き方改革以降、会社の空気が変わっていきました。それまでは自分で目標を設定できていたのですが、あるときから大目標が事業所に割り振られ、さらに個人に降りてくるだけの仕組みになりました。強制的に残業もできなくなり、自分で工夫してやることが以前より必要とされなくなっていったんです。
毎年、会社が新商品のアイデアを募集していて、それまで私は積極的に応募していました。以前の上司はそれを評価してくれていたのですが、組織改革で上司が変わったとき、「組織の足を引っ張りたいのか」と言われてしまいました。新商品のアイデアは仕事中に考えたものではなく、業務時間外に自主的に考えて書いたものを会社に提出していただけなのですが、そのひと言から違和感を持つようになりました。
空き家問題と入院
当時は新築専門の部署で仕事をしていましたが、空き家問題が社会課題として取り上げられるようになる中で、「これからは新しく建てること以上に、今ある建物を活かすことが求められる時代なのではないか」と感じるようになりました。ちょうどそのタイミングで両足の手術をすることになり、入院したのです。
寝たきりで天井を見つめながら、定年まで働いてから起業し、軌道に乗るまで五年かかるとしたら六十五歳になってしまう、自分の力を世の中のために使えるのがそれだけでいいのかと考えました。それなら今だろうと思い、病院のベッドの上から起業準備を始めました。手術から会社を辞めるまでは一年もかかっていません。会社を辞める前より、辞めたあとに恐怖が襲ってきました。
ピースフルリノベイトの誕生と「サスケくん」
2025年二月、ピースフルリノベイト株式会社を立ち上げました。今は代表として、住宅の内装デザインやリノベーションの仕事に加えて、古い団地やマンションの浴室リフォームに使う排水継手「サスケくん」の開発、販売を行っています。
「サスケくん」が生まれたきっかけは、前職を辞めるときの歓送迎会でした。団地専用のお風呂がもうすぐ廃番になるという話が出て、廃番になったら現場をどうするのかとみんなが困っていたんです。お客様からクレームが来て、厳しく叱責されることもあったそうです。継手の部分さえあれば解決するのに、という話がその場で出て、「それなら私が作ろう!」と動き始めました。現在は直販のみで、特許出願中です。意匠登録と商標登録は済んでいます。
ニッチだからこそ、届け方もニッチに
サスケくんを広げるうえでの課題は、「使う人」と「必要性を理解している人」が違う階層にいることです。リフォーム費用を負担する施主にとって、床下の配管は工事が終わると見えなくなるため、その重要性を実感しにくい。一方で、施工業者は漏水リスクをよく理解していますが、施主には積極的に説明をしてきていません。そのため、双方に働きかける必要があります。
五月には東京ビッグサイトで行われたマンション管理組合展という展示会にも出展したのですが、管理組合の方は任期で持ち回りをしていることが多く、床下の漏水問題そのものにはあまり注目されていませんでした。実際に立ち止まってくれるのは、施工業者の方が大半でした。
そこで、サスケくんをキャラクター化しました。ただの排水継手という名前では誰も見向きもしませんが、「サスケくん」という名前があれば、お客様側からも業者に向かって「うちはサスケくんを使ってリフォームしたい」と言ってもらえるようになります。団地の中を走るバスのサイネージ広告や、コミュニティバスの時刻表への広告、団地に特化したポスティングなど、団地だけに絞ったマーケティングを続けています。実際に、ポスティングをした地域からお客様の問い合わせが業者に上がるようになってきました。
サスケくんに続く新しい製品も開発していきたい
今後は、サスケくんをこのまま拡大させながら、別の部材も開発していきたいと考えています。大手ではなく中小企業だからこそ狙える隙間を、これからも見つけていきたいです。サスケくん事業を仕組み化し、より多くの方へ届けられる体制を築くこと。そして、そこで生まれた時間を、リノベーション事業でより大きな価値を生み出すことに充てることが私の理想です。
学生へ、社会人になることは自由になること
私は受験でも第一志望は叶いませんでしたし、最初に就職した保育園も短期間で退職しています。それでも言えるのは、社会人になるということは自由になることだということです。自分のお金があれば、自分で選択ができます。親にお金を出してもらっている間は親の意見も聞かなければいけませんが、大人になれば何をするか、どこに行くかは自分の選択になります。その選択権を得ることが、社会人になるということだと思っています。
もちろん選んだことへの責任は生じますが、ひとつ決めたらずっとそこにいなければいけないというルールはありません。生まれたからには誰もが必ず最後は死を迎えます。人生は一度きりです。我慢や遠慮をしながら生きていくのはもったいないと思います。今の学生さんは大変な時代だと思いますが、マイナスに考えず、やりたい方向に自由に選択して生きてほしいです。
編集後記
今回お話をうかがって、いちばん印象に残ったのは「好きかどうか」を判断の軸にし続ける池本さんの一貫した姿勢でした。保育士から営業、音楽、キッチン、そして起業と、選択の連続の中で遠回りに見える道もありますが、そのすべてが「人を笑顔にしたい」というひとつの原点でつながっているのだと感じました。まだ会社を選べずにいる身としては、条件面で比較しがちな自分の視野を、少し広げてもらったような時間でした。