望んでいなかった創業
私たちが起業を決意した本当の理由
創業の経緯は、実は最初から壮大なビジョンや強い使命感を持っていたわけではありませんでした。私は前職でIBMグループのSE会社に勤めていて、妻と結婚したときに、妻の父が保険の代理店をやっていたんです。当時はパソコンもIBM製をよく使っていて、ちょうど当時はちょうど、ITベンチャーの若手経営者たちがメディアに大きく取り上げられ、世間の注目を集めていた時期でした。
そんな中、今住んでいる宮城県の古川という地域が市町村合併するという話が持ち上がって、新しい市長選挙に義父の知り合いが立候補することになったんですね。市町村合併を機に地域が大きく動こうとしていた時期で、義父から「これから地域でもITの需要が増える。会社をやろう」と誘われました。私自身はサラリーマンを続けたほうがいいと思っていたので、あまり本気にしていなかったんです。ところが、その候補者が本当に当選してしまって、「もうやるしかない」という流れになり、会社を始めることになりました。
なぜ技術者の私が営業を? 志半ばで会社を離れるまでの苦悩
最初から強い想いがあって始めたわけではなく、いわば周囲に押し切られる形で始まった会社でした。そのため、当然ながら期待されていたような自治体の仕事はまったく来ません。義父からは「飛び込み営業に行け」と言われ、技術者なのになぜ慣れない営業をしなければならないのかと、強い葛藤を抱えながら門前払いを食らう日々でした。毎月売上が立たない厳しい状況のなか、取締役が一人、また一人と会社を去っていき、最終的には私自身もその会社を離れざるを得なくなりました。事実上の空中分解です。そこから2年ほどは、フリーランスとしてエンジニアの仕事をしていました。
経営を猛勉強した
フリーランス時代は収入も安定していて、正直かなり順調でした。それでも心のどこかで「なぜ自分たちの会社をうまくいかせられなかったのか」という悔しさがずっと残っていたんです。それで、経営とは何なのかをきちんと知りたいと思うようになり、中小企業診断士の勉強を始めました。一次試験には合格したのですが、二次試験の財務会計がどうしても難しくて、そこで学ぶことを諦めてしまいました。
それでも知識としては経営の輪郭がなんとなく分かったつもりでいて、今から10年ほど前、義父に「もう一度、私にやらせてくれないか」と頼み込み、あらためて代表取締役に就任しました。
赤字と向き合って気づいたこと
社員を見ていなかった
代表になってからも、経営とは何かを頭では分かっていたつもりでいたのに、実際にはまったくうまくいきませんでした。人を雇って一緒に働いてもらっているのに、自分さえ仕事をしていればそれでいいと思っていて、社員をどう育てるか、どう向き合うかということをまったく考えられていなかったんです。赤字の状態がずっと続いていました。
「人生を背負う」の意味
このままではいけないと思い、地域の中小企業の経営者が集まる団体に入って学び始めました。そこで経営指針、いわば会社の理念をつくるための半年間の勉強会に参加したのですが、そこで他の経営者の方々からかなり厳しい言葉をいただきました。「経営者としての覚悟とは何か」と何度も問われ続けて、1か月、2か月と責められる中で、私が悪かったのは「人を人として見ていなかったこと」だったと気づいたんです。
ある方に、社員に対して「給料をもらって仕事がなくても休めるんだから幸せなはずだ」というようなことを話していたら、大変厳しいお叱りを受けました。「人を雇うということは、その人の人生を背負うことなんだぞ」と言われて、そこではっとしたんです。振り返ってみると、それまでの自分は本当に人を人として見ていませんでした。この気づきがあってから、人生が大きく切り替わったと感じています。
中小企業にしかできない役割
中小企業は最後の教育機関
そういう視点で見ると、中小企業と大企業の違いがはっきり見えてきます。中小企業は組織が目に見える範囲にあるからこそ、社員一人ひとりとどうつながって、何を解決していくかが欠かせません。歯車の一部として働くのとは違うんです。
地方の若者が中小企業に就職するとき、それまで大人とあまり関係を持たずに育った子が、いきなり大人との関係を築かなければならず、大人との関係づくりを十分に経験しないまま社会に出ることになります。だからこそ、中小企業には、社会人としてまだ成長の途中にある若者を育て、結果として地域も育て、地域の経済活動を豊かにしていく循環をつくる役割があると思っています。社員の幸せは経営者が一方的に与えるものではなく、みんなで一緒につくっていく場だと気づいて、今はそういう思いで活動しています。
創業してから20期になりますが、正直な気持ちとしては、去年ようやく創業したような感覚なんです。
「業者」から「伴走者」へ
納品して終わりをやめた
事業内容にもこだわりがあります。去年ぐらいまでは、お客さまの要望を聞いて、それをシステムにして納品する、いわゆるSIer(システムインテグレーター)の仕事をしていました。前職のつながりもあって、大手企業から直接プロジェクトに参加させていただく機会も多く、ずっとそのスタイルで続けてきたんです。
しかし、先ほどお話しした経営指針の勉強を通じて気づきを得たことで、このままではいけないと感じるようになりました。日本の大企業は業績が良くても、その利益が働き手にまで還元されていない現実があります。もちろん、大企業が内部留保をためたり株主に利益を還元したりするのは当然のことですし、大企業も必要な存在です。それでも、地方の経済を活性化させるためには、中小企業がその役割を担わなければいけないと思うようになりました。
人生のステージに寄り添える会社へ
大企業の給与はどうしても役割に応じた査定で決まりますが、中小企業であれば、社員一人ひとりの人生のステージに合わせて、たとえば子育てが必要な時期には手当を厚めにするといった対応ができます。若いうちから、自分が30代、40代になったときにどんな生活を送っているのか、未来を思い描けるような環境をつくれるのが中小企業だと思うんです。
そのためには、自分の会社だけを強くしても意味がありません。地域の中小企業そのものを、強い会社にたくさん増やしていく必要があります。では自分たちに何ができるのかと考えたとき、私たちにできるのはITしかありませんでした。そこでITを手段として、中小企業を強くすることに徹底的にこだわろうと決めたんです。現在は、システムを納品して終わりの業者ではなく、お客さまの「こうなりたい」「こう改善したい」という思いをヒアリングして、その結果が出るまでITの力で徹底的に伴走するサービスを展開しています。
地域の未来を描きたい
下がり方を緩やかに
今後のビジョンは、私たちが会社を置いているこの地域の経済を、活性化させたい状態に持っていくことです。地方は人口減少が本当に深刻で、女性や若者ほど外に出て行ってしまう状況が続いています。それを急に反転させることは難しくても、下がっていく角度をなだらかにしていきたいと思っています。
具体的に何か一つの施策があるわけではありませんが、若者に「自分たちはここにいても大丈夫だ」と思ってもらえるような古川、そして大崎という地域を、自分たちの手でつくっていきたいと考えています。そのためには、まず自社の社員にその思いを持ってもらうことが今の一番の課題だと感じていて、いろいろな形で協力してもらいながら取り組んでいます。
一緒に未来を描きたい
今の学生の皆さんは、生まれたときから、ずっと夢を描きにくい世の中に生きてきたと思います。私たち50代の世代が何もできなかったから、こんな世の中にしてしまったのではないかと、本当に責任を感じています。だからこそ、若い人たちと一緒に、理想論ではなく本当に安心して人生を全うできる社会を、これからつくっていきたいと思っています。私のような考えで会社を経営している社長は、ほかにもたくさんいます。ぜひそういう社長を見つけて、力を貸してもらえたらうれしいです。
編集後記
今回のインタビューを通して、経営とは「人の人生を背負うこと」なのだと強く実感しました。関さんが「人を人として見ていなかった」と気づいた瞬間のお話は、組織づくりに関わる身として胸に刺さるものがありました。技術力があっても、それだけでは会社は良くならない。人と向き合う覚悟こそが経営の土台なのだと学びました。地域の未来を若者と共に描きたいという言葉に、大きな希望を感じています。