インタビュー

高校を出てすぐ線路屋になった私が、配管設計の会社で社長をしている理由

高校を出てすぐ線路屋になった私が、配管設計の会社で社長をしている理由
PROFILE
株式会社クレアス 代表取締役
芳賀 昌也

大学には行かなかった

私は田舎の出身で、高校を出てすぐに就職しました。大学に進学しなかったのは、当時これといってやりたいことが見つかっていなかったからです。「大学に行っても」という気持ちがどこかにあって、そのまま就職の道を選びました。ただ今となっては、行っておけばよかったなと思う部分もあって、少し後悔しているところです。

高校生のころから、ぼんやりとですが社長になりたいという思いはありました。とはいえ具体的な道筋があったわけではなく、まずは就職してみるかという感じで社会に出ました。

鉄道の保守工事で現場に立った

最初に就職をしたのは、地元の工務店で、大工見習いとして働いていました。しかし、20歳から、このまま地元で過ごすよりも、新しい環境に飛び込み、多くの人や仕事に触れながら自分自身を成長させたいと考えるようになりました。その思いから21歳で東京へ上京し、鉄道工事を専門とする会社に就職しました。線路の保守工事や新線工事を手がける、いわゆる線路屋でした。線路の修理をしたり、地下や高架に新しく線路を敷いたりという仕事で、専門としては新設の方が中心でした。

現場仕事なので体力的には大変でしたが、やりがいも大きかったです。イメージとしては深夜作業が多そうに思われるかもしれませんが、実際には朝や夕方の電車の本数が多い時間帯を避けなくてはならず、終電が終わってから始発までの短い時間に集中してやる仕事でした。時間は短くても、不規則な働き方だったのはたしかです。

33歳で配管設計の世界に飛び込んだ

この仕事を12〜13年ほど続けるなかで、次第に上流側、つまり図面を書く仕事に興味が湧いてきました。漠然と設計をやってみたいと思っていたところに、ちょうど「やってみようか」という声をかけてもらったんです。

当時は前職で工事管理者というポジションまで上がっていたので、辞めることで会社に迷惑をかけてしまうという不安もありました。それでも「チャレンジしてみればいいじゃん」という後押しをもらって、一から挑戦してみることにしました。33歳のときのことです。転職活動をしていたというより、たまたま巡り合わせがあってつかんだチャンスでした。

分社化で子会社の社長に抜擢された

配管設計の会社に入ってからは、もともと現場上がりだったこともあり仕事のイメージ自体はつかみやすかったのですが、業界特有の専門用語にはかなり苦労しました。打ち合わせに出ても何を話しているのかまったくわからない状態からのスタートでした。

入社してからしばらくは親会社の一員として働き、取締役まで務めさせてもらいました。コロナ禍のころ、経営リスクなども考えて会社を分社化しようという話が持ち上がり、そのタイミングで新しくできた子会社の代表に選んでいただいたのが、いまの立場につながっています。以来、籍は完全に子会社側に移し、代表として仕事をしています。

ロシアの白夜で働いた日々

この仕事をしていて1番大変だったのは、ロシアでの案件でした。北極圏の最北端に近いエリアで、LNG(液化天然ガス)プラントの仕事です。ちょうど白夜の時期にあたっていて、24時間ずっと外が明るいままでした。体は疲れているのに頭は起きてしまうというあの感覚は、いまでも忘れられません。

働き方自体もかなり特殊で、朝7時から夜11時ごろまで、休みなしで30日間働いて、そのあと2週間だけ日本に帰るというサイクルを繰り返していました。当時は今のような残業の時間制限がなく、現地の労働基準が適用されていたこともあり、いま思えばかなり過酷だったと思います。

現場にはキャンプと呼ばれる宿泊施設があって、通常なら1人1部屋のところ、この案件では2人1部屋でした。同じ日本人同士ならまだいいのですが、生活習慣の違う外国人スタッフと同室になると、なかなか噛み合わない部分もあって、そこも苦労した点です。

英語は現地で覚えた

海外の現場では英語が基本のコミュニケーション手段でしたが、英語が通じない中国のような国では通訳の方に入ってもらっていました。もともと私は英語がまったくできない人間で、最初の赴任地だったマレーシアに行く前に社内で少し研修を受けた程度です。あとは行ってなんとかなるだろうという気持ちでした。実際、仕事だけでなく生活もしていかなければならないので、自然と生きるための言葉は身についていきました。最初の赴任のときは、不安しかなかったのを覚えています。

デスクワーク9割、設計という仕事

いまの仕事の割合でいうと、9割はデスクワークです。現場に出るのは1割程度で、まったく現場に出ない人もいます。最近は新規案件になると設計を3D化することが増えていて、あらかじめ問題が起きそうな箇所もある程度見えるようになってきました。それでも実際に工事が始まると図面どおりにいかないことも出てくるので、そうした不具合への対応は欠かせません。

いまは日本国内の案件が中心ですが、5月ごろから始まったアメリカ・アリゾナの案件もあります。半導体関連の工事で、9月から現地入りしてほしいという依頼をもらっています。1人で行きっぱなしという働き方が難しくなってきた時代背景もあり、2人体制で行き来する形にできないか、いまお客様と相談しているところです。

どうすればできるかを考える

社長という立場になってから大事にしているのは、お客様の声に寄り添うことです。現場で起きている問題や設計上の課題に対して、真摯に向き合うことを意識しています。社内でもよく伝えているのは「どうすればできるかを考えよう」ということです。「これは完全に無理です」という言い方はなるべくしたくなくて、できない理由ではなく、どうすればできるかという提案を重ねて、お客様に納得してもらえるように動いていきたいと思っています。

学生のうちに挑戦しておいてほしいこと

学生のうちは、失敗を恐れずにいろいろなことに挑戦しておいた方がいいと思います。社会に出ると、教科書どおりの正解がない問題に向き合うことがほとんどです。経験がないとその場でどう動けばいいかもわからないので、いろいろな経験を積んでおくことをおすすめします。

この会社のよくある質問

未経験でも入社できますか。
もちろんです。この業界に入ってくる人は、ほとんどが未経験からのスタートです。私自身もまったくの異業種からの転職でした。

どんな人が向いていますか。
専門用語が多く最初はとまどうと思いますが、わからないなりに現場や打ち合わせのなかで少しずつ覚えていく姿勢がある人には向いていると思います。海外案件に関わる機会もあるので、新しい環境に飛び込むことを楽しめる人はやりがいを感じやすいはずです。

編集後記

線路の保守工事から配管設計の会社の社長になるまでの道のりを伺いましたが、まっすぐなキャリアではなく、そのときどきの出会いや声かけをきっかけに進路を切り開いてきた印象を受けました。ロシアでの白夜のもとでの勤務や、2人1部屋での共同生活のお話は、想像していた以上に過酷で、率直に驚きました。「どうすればできるかを考える」という姿勢は、就職活動で悩む学生にも通じるヒントだと感じます。