インタビュー

バスケ少年が美大に進み、ブラック企業でバイクごと突っ込んだ先にあったもの

バスケ少年が美大に進み、ブラック企業でバイクごと突っ込んだ先にあったもの
PROFILE
株式会社HAP 代表取締役
西田 慎一朗

「デザイン会社を経営したい」という夢

美術の推薦で人生が変わった

私は中学・高校とバスケットボール一筋でした。インターハイに出場するような高校で、大学もバスケの推薦が来ていたんです。ところがある日、美術の先生に呼び出されて。「西田くん、美術の推薦を上げるから美術大学へ行かない?」って言われて。

その先生が美術業界では有名な方で、なんとなく面白そうだと思ったんですよね。絵を描くのは好きだったし、バスケもその頃はプロリーグがなかったから将来性がない。それなら行ってみようかと、関西芸術短期大学(現・宝塚造形芸術大学短期大学部を経て廃止)へ進みました。

気に入られる「世渡り術」

短大の頃は、正直あまり勉強していなかったですね。課題の締め切りさえ守ればいいかな、というくらいで。それでも先生には気に入られていて。勉強はしないけど、毎日先生の部屋に挨拶に行く。教授の部屋をトントンってノックする。そういうことをやっていたんです。

就活のタイミングで就職するのが面倒になって「編入しよう」と思い立ち、先生に推薦してもらって姉妹校の四大・宝塚大学(当時の校名は宝塚造形芸術大学)へ編入しました。そこでも 2年過ごして、卒業作品では銀賞をいただけて。

ただ、学生の頃からずっと「デザイン会社を自分で経営したい」という気持ちはあって。人に指示されるのが好きじゃない、自由にやりたいタイプだったから。

波乱の会社員時代

初任給 13万円・銃を持つ社長

最初に就職したのが、パースライター(建築の完成予想図を描く仕事)の会社でした。イラストレーター募集の求人を見て入ったんですが、全然イラストを描く仕事じゃなかった(笑)。今は CADで描けますが、当時は手書きで仕上げる仕事です。

初任給が 13万円で、残業代もつかない。しかも変わった会社でして、全員がトランシーバーをつけて仕事をして、社長がエアガンを持って歩き回っているんです。キッチンに 3人以上入ると撃ってくる。3時頃に社長が出社すると、シーバーで「社長が来られました」って一報が入って、みんなが定位置に集まって敬礼する。今だったら完全にアウトな会社ですよ。

バイクでトラックに突っ込んで気づいたこと

過労が積み重なって、ある朝バイクで通勤中に居眠り運転してしまって。トラックの荷台にアクセル全開でぶつかって、バイクが荷台の下を潜る形になって、私は直接荷台に当たって穴が開く怪我をしました。

事故の直後、会社に「今日は行けません」と連絡したら、上司から「お前、今日何時に来るんや」って言われて。そのタイミングで辞めようと決めました。もう連絡せずにそのままフェードアウトしましたね。

東京進出と、大阪営業の限界

その後、DTP(製版)の会社に 5〜6年、印刷会社のデザイン部に 5年ほど勤めました。印刷会社ではミズノさんなど大手の案件も担当させてもらって。「東京で仕事しないといかん」という気持ちが強くなっていた頃、その会社が東京進出するということになって、手を挙げて行かせてもらいました。

ただ大阪の営業スタイルは東京では通用しなかった。大阪は義理人情で、一度関係ができると長く続く。東京はドライで、気に入らなければすぐ変えてしまう。2年やって売上が思うように上がらず撤退となったタイミングで、私は大阪に戻らず、当時のお客さんの会社にヘッドハンティングしてもらって転職しました。

そこで営業を続けながらデザインも担当して、月 2,000万円ほどの売上を達成できるようになって。それが印刷会社の営業部隊では最高金額だったと思います。6年目で「もう恩返しできたかな」と感じて、独立しました。39歳のことです。

独立、コロナ、そして HAPへ

独立初年度に苦労しなかった理由

独立初年度は、まったく苦労しなかったんですよ。理由は単純で、前の会社で自分が営業して、自分でデザインまで全部やっていた仕事を、私が辞める際に社長が「全部持っていっていい。印刷物だけこちらに頼んでほしい」と言ってくれたんです。

もともとクリエイティブ部門を強化するために私を採用してくれたはずが、蓋を開けたらデザインの専門教育を受けた人材がいなかった。だから私が取ってきて、私が作っていた。辞めるときに引き継ぐ人間がいなくて、お客さんごと持って出ることになったんです。策士でも何でもなく、そうなった(笑)。

紙媒体だけで初年度 4,500万円の売上があって。ただ、3〜4年目にコロナが来て一気に半分くらいに落ちてしまいました。

リブランディングのきっかけ

コロナで紙媒体だけでは厳しくなって、動画や WEBサイトにも力を入れ始めました。その後、以前の会社(株式会社ワールドデザインテーブル)をバイアウトして、今の株式会社 HAPを立ち上げて 3期目になります。

今は紙媒体・動画制作・WEB制作・システム開発・ AI開発・イベント企画・ロゴ制作・リブランディングなど、本当に幅広くやっています。「弊社くらい領域が広い会社はないんじゃないか」と思っているくらいで。

イベントで事故ゼロの理由

弊社の強みはディレクションの部分なんです。とくにイベントに関してはほぼ私一人で回します。ミスコンや上場企業のカンファレンス、営業会社のアワードなど、さまざまなイベントを手掛けていますが、事故がない。

理由は担当を分けないから。担当を分けるとコミュニケーションのリスクが生まれて、「あそこの責任でしょ」という話になりがちです。台本、キャスティング、企画、舞台監督、映像撮影、アテンドまで全部自分でやって、誰が見ても動けるように資料に落とし込む。責任の所在が私だけにあるから、事故がない。コストも抑えられるので、イベント費用はほぼ最安値でできていると思っています。

「みんなで幸せになりたい」という原動力

夢は障害者のためのクリエイティブ学校

私の最終的な夢は、障害を持った子たちが「デザイナー」として自立して稼げる学校を作ることなんです。

昔、ヘルパーの資格を取って、週末だけ障害者の方をプールに連れて行ったりしていたことがあって。みんな本当にいい子で、かわいくて。ただ「助ける」だけじゃなくて、自分の力で仕事できる仕組みが作れないかと、ずっと考えていました。

クリエイティブって可能性があると思っていて。手が動かなくても足が動くなら、マウスを動かすだけでデザインができる。今は AIもあるから、プロンプトを入れるだけでクリエイティブが作れる時代になってきた。「障害者アーティスト」という括りじゃなくて、ただの「デザイナー」として稼げる人を育てたい。

お金があるからこそできること

お金の使い方で言うと、正直「自分のために使いたい」という気持ちは後回しで。若手の経営者に融資したりしながら、いつか出資できるようになりたいと思っています。バスケットコートを建てていつでもバスケできる環境を作りたいとか、みんなで旅行に行くとか、そういうことがしたい。

お金があることでできることがたくさんある。精神的な支えは友達に与えてもらえるけど、みんなを豊かにするためのお金は稼がないといけない。それが私の原動力ですね。

学生へのメッセージ

失敗を前提にしないでほしい

今の若い子たちを見ていると、失敗を恐れすぎている気がして。失敗する前提で物事を考えているから、やりたいことよりも「将来につながること」の方を選んでしまう。

やりたいことをどんどんやって、私たちみたいに起業している人間から出資してもらったり、力を借りたりしながら進めばいい。失敗は成功のもとで、勢いでやってみることも大事だと思います。

それに、学生時代から事業を考えて動いているというのは、本当に価値があることで。私たちが大学を卒業してから考え始めるようなことを、学生のうちにやっている。その時間はお金を積んでも買えない。もっと自信を持って、どんどん動いていってほしいですね。

 

編集後記

今回は株式会社 HAPの西田慎一朗社長にインタビューさせていただきました。バスケ一筋から美術大学へ、ブラック企業での事故、東京での苦労、独立と波乱万丈の半生を経て今がある。そのどのエピソードも、ひとつひとつが映画になりそうなくらい濃くて、気づいたら夢中で聞き入っていました。

「やりたいことをやって、失敗しながら前に進んでいい」という言葉が、私自身の背中を押してくれた気がしています。障害を持つ子どもたちが「ただのデザイナー」として働ける学校を作るという夢も、事業の延長線にある本気の構想だと感じました。お金と熱量を持った大人がこれだけ近くにいるのなら、私たち学生世代がやりたいことを諦める理由はないのかもしれません。