生物学科から、生化学の世界へ
昆虫少年たちに囲まれて
大学は理学部の生物学科に進みました。とはいえ、もともと生物が大好きだったわけではありません。同級生には子どものころから昆虫採集に夢中だったという人が多くて、そういう意味では少し変わった入り口だったかもしれません。むしろ良かったなと今でも思っているのは、生物学の基礎を学んだ上で、化学の分野に進んだことです。
就職活動は一度もしていない
3年生、4年生とすすむにつれて、だんだんそちらの研究にのめり込んでいきました。修士課程まで進学したので、大学3年生の時点で就職活動はまったく視野に入っていませんでしたね。当時は女子学生というと、薬学部に行って薬剤師の資格を取るのが定番、それ以外は進学するか公務員になるくらいしか選択肢がないような時代でした。実は私自身、就職活動というものを一度も経験していないんです。大学院を出たあとは海外にいて、日本に戻ってきたのは30歳でドクターを取ってからでした。その時に中途採用でいきなり会社員になったので、就職活動の経験は本当にゼロなんですよね。
二重のハードルを楽しむ
違いはぜんぶ楽しかった
修士課程の途中で、同じく研究職の相手と結婚しました。相手に海外留学の機会があったので、それについていったのがきっかけです。言葉も違えば環境も文化も違う。私自身、アメリカの大学で講義を受けたりもしたので、言語が違うところでまったく新しいサイエンスを学ぶという、いわば二重のハードルがありました。それでも、苦労というよりも違いはぜんぶ楽しかったんですよね。
友人を通じて世界とつながった
大学の周辺で友人がたくさんできて、その人たちを通じてアメリカ人だけでなく、いろいろな国から来ている人たちとも友だちになれました。振り返ると、いまの人たちとは順序が逆だったと思います。ふつうは研究を進めて年齢的にも30歳が近づいてから結婚や出産を考えて、躊躇してしまう人が多いですよね。私たちは先に結婚して子どもを産んでしまって、そのうえでどうやるかを考えながら突っ走ったという感じでした。
先に産んで、あとから走る
出産は先にすませておく
人生をきちんとプランニングしてしまうと、どうしても出産は後回しになりがちです。私のように、あまり深く考えずに突っ走ってしまって、状況の中でどうにかするというやり方もいいのかなと思います。とくに女性の場合、キャリアで大事な20代から30代にいろいろなライフイベントが重なってきて、それに左右される部分が男性より大きいと感じます。
大学の学長を務めたような大先輩の女性研究者と話していても、先に結婚して子どもを産んでしまった方がいいよね、という話をすることがあります。体力的にも、出産やその後の育児は若いうちの方が楽なので、そこはやってしまった方がいいのではないでしょうか。卵子を凍結するという選択肢もあるいまの時代ですが、それでも若いうちに出産を済ませておく方がいいと思います。やるかやらないか、という選択肢自体をあまり考えなかったんですよね。目の前にそういう機会があって、その研究自体が面白かったので、のめり込んでいきました。
研究者は時間の自由度がある
もちろん子どもが熱を出したりと大変なこともたくさんありました。それでも、毎日きっちり時間を決めてオフィスで働く会社員に比べると、アカデミアの研究は比較的時間の自由度があります。夜遅くや週末働くことで子育てをしながらでも両立しやすい環境だったのはとても助かりました。
帰国後、ビジネスの世界へ
研究からビジネスへ舵を切る
帰国してからは、ビジネスを学びながら、そちらの方向へ舵を切っていきました。最初はドイツ系の製薬企業の研究者として7年ほど勤め、その後スウェーデンのバイオテック企業へ。そこから生まれたスウェーデンのベンチャー企業でいろいろな経験を積みながら、いまの細胞シートの会社に来たのは12年ほど前のことです。
スウェーデン大使館で技術の橋渡し役に
前職のスウェーデンのベンチャーがあまりに成功して、GEヘルスケアに買収されたことが、ひとつの区切りになりました。しばらく大学に戻って学び直したあと、昔の知り合いから声をかけられて、東京にあるスウェーデン大使館で働くことになったんです。そこでの仕事は、日本とスウェーデンの学術研究や産業の間をつなぐこと。この時に出会ったのが、東京女子医科大学の岡野光夫先生のグループでした。彼らの研究を、ノーベル医学生理学賞の選考委員会がある世界トップクラスの医科大学、スウェーデンのカロリンスカ研究所と仲介する役割を担いました。それ以降、スウェーデンと日本を行き来しながら臨床研究の支援をしていました。
日本発の技術を世界へ
その関係から、岡野先生が立ち上げたいまのセルシードという会社にお声がけをいただいたのが、入社のきっかけです。スウェーデンの会社にいたころも、現地発の面白いイノベーションを紹介する仕事をしていて、いつかは日本発の素晴らしい技術を世界に紹介できたらいいなと、なんとなく思っていました。細胞シート工学は日本発で、しかも再生医療の基盤となる技術です。これを世界に紹介できるならやってみようと思い、お話を受けました。
入社直後は「警戒」からのスタート
リストラの後遺症が残っていた
正直なところ、入社する直前に会社はかなり深刻な経営危機に陥っていて、社員を3分の1ほどに減らす大きなリストラをおこなった直後でした。その後に呼ばれて入ったので、入社したころはまだあちこちにその後遺症が見えるような状況で、入ってみて驚くこともたくさんありました。過去のいろいろな難しい問題を片づけるのに、2、3年はかかりましたね。
期待より先にあった、値踏みの視線
途中からぽんと入ってきた立場だったので、もともといた社員からすると、この人は何をする人だろうと少し警戒されながら見られていたと思います。期待というよりは、はたから見てこの人に何ができるのかな、という感じでしたね。
ずっと赤字でも、資金は途切れなかった
開発と資金確保、両輪を回す
正直なところ、ほとんどずっと赤字の会社です。活動に必要な資金をしっかり確保しつつ、製品の開発活動も進めていく。その両方を見なければいけません。取り扱う製品は社会的な意義が高いことから、株主等からの関心や期待も高く、幸いなことに、いろいろな形で資金調達がコンスタントにできていたので、お金がなくなって倒産寸前になったり、リストラをすることはなく、なんとかやってこられました。
再生医療は、まだ生まれたばかりの医療
薬の歴史からみると、ほんの5年10年
再生医療は、医療の中でもまったく新しいタイプの医療です。薬の歴史を振り返ると、最初の化学合成品の薬ができたのは100年ほど前。それがアスピリンで、薬の歴史はほぼこの100年、化学物質が中心でした。そこからさらに10年、20年たって、タンパク質を薬にする、遺伝子そのものを改変する治療、そして今生きた細胞そのものを薬にする、という流れが来ています。薬の100年以上の歴史からすると、まだ5年、10年ほどの話です。これで全てが治るというところまではまだ行っていませんが、これまでのケミカルの薬やタンパクの薬では治せなかったものを治せる可能性が見えてきた、そんな段階です。
すでに25品目が承認されている
日本は法律の対応もかなり早く、いまではおよそ25品目の再生医療等製品がすでに承認されて、医療現場で使われています。
臓器そのものの入れ替えではなく、修復
再生医療というと、傷んだ臓器そのものを新しく作って入れ替えるようなイメージを持たれることも多いのですが、そこまで技術は進歩していません。たとえば心臓移植のような、立体的な組織をまるごと作って入れることは、まだ技術的には難しいんです。ただ、iPS細胞由来の心不全治療薬が承認されていて、これは薄い細胞のシートを作って心臓の表面に貼りつけることで、弱った心臓の機能を回復させるというものです。この薄い心臓の細胞シートを作る技術には、当社の技術が使われています。将来的には、傷ついた期間を修復するレベルであっても、痛みがなくなったり歩けるようになったりする患者さんが増えれば、とてもうれしいですね。
データ解析にはAIの出番がある
生データを生む力はまだ人間に
これからの実験では、条件をいろいろ変えて結果がどう変わるかを見るために大量のデータを作ります。そのデータの解析にはAIがとても役立つと思います。一方で、そのもとになる生のデータを出すところは、まだ私たち自身の頭と手を動かす部分が大きく、これからも進化していく分野だと思います。
文系理系、垣根をつくらない会社
8割は理系、でも文系の力が必要
社員の8割ほどは理系ですが、もちろん文系の方もいます。経理としてお金の出し入れをきちんと管理したり、法務や広報を担ったりする分野は、文系の方が得意な領域です。理系の人間はどうしても自分たちの言葉だけで話してしまいがちで、分かりにくくなることがよくあります。技術をわかりやすく伝えるという点では、理系よりも文系の方が力を発揮してくれますね。
さん付けで呼び合うフラットな組織
大手の製薬企業と比べると、まったく違う組織です。規模もそれほど大きくないので、非常にフラットです。基本的にはお互いを「さん」付けで呼び合っていて、なんとか部長、なんとか社長といった呼び方はしません。それから、社員の4割以上が女性で、この比率は日本のどの企業にも負けないと思います。取締役は現在6人いて、そのうち2人が女性です。以前は取締役の半数が女性という時期もありました。
小さな会社だからこそ、いろんな経験ができる
小さな会社なので、製品開発から営業活動まで幅広い業務にふれることができます。自分が直接担当していなくても、隣の部署の動きを見ているだけで、ベンチャーならではのいろいろな学びが得られると思います。
チャレンジできる人に来てほしい
経験者がいない分野だから
この分野自体、経験を積んでいる人がまだ少ないので、経験者はほとんどいません。自分が今までやったことのないことに、あまりびくびくしないで挑戦できる方が向いていると思います。
自分の役割を冷静に見極める力
思いを持ちつつ、その中で自分がいまどういう役割を果たすべきかを冷静に考えられる人であれば、いいなと思いますね。
開発した製品を、患者さんに届けたい
臨床試験の先にあるゴール
再生医療製品の開発の最終段階は、臨床試験をおこなって承認申請をすることです。いま開発している製品が承認を受けて、患者さんに使っていただける、その道筋がはっきり見えてくればいいなと思っています。最終的には、いま取り組んでいることが患者さんのもとへ、世の中へ届くところまで見届けたいですね。
若いうちに、違う文化で暮らしてみてほしい
旅行ではなく、暮らす経験を
これから社会に出る若い世代には、若いうちに日本以外の文化の中で暮らす経験をしてほしいと思います。旅行で訪れるのもいいのですが、実際にそこで暮らして、現地の人たちと話したり買い物に行ったりすると、食べ物ひとつをとっても違いを感じます。自分が当たり前だと思って育ってきた環境と違う場所に身を置いて、その違いを体で実感する経験を、なるべく若いうちにしておくことが大切だと思います。
違いを楽しむ、拒絶しない
異文化や異分野の違いを知ると、日本人同士だけで過ごしていると同じ教育を受けたはずなのに、というちょっとしたことでいらっとしてしまうような場面でも、違いがあって当然だと理解できるようになります。違うものに出会ったときに拒絶するのではなく、どんな人なのかな、どうしてこんなことを言うのかなと、まずは受け入れてみる。違いを知ろうとすることが大事だと思います。
女性にこそ、小さな会社を勧めたい
大手より、力を発揮できる場所へ
理系の道をずっと歩んできたので、実はこれまでずっと男性の方が多い環境にいました。女性が多い場所に来たばかりのころは少し緊張したくらいです。ただ、人口の半分は女性なわけですから、その力をきちんと活用していないのは、社会にとって大きな損失だと思っています。いまの会社ではジェンダーによる違いも、年齢の差もなくして、オープンな環境で皆さんに働いてもらいたいと考えています。
とくに女性の方に伝えたいのは、就職活動をするときはどうしても安定性を考えて大手企業が最初の選択肢になりがちだということです。ただ、大手企業はいろいろな形で見てきたかぎり、男性中心の社会で女性にほとんどチャンスが与えられないことも多いんですよね。そういうところで苦労するくらいなら、小さな会社やベンチャーに飛び込んで、自分の力を発揮するという選択肢もよいのではないかと思います。
編集後記
理系一筋のキャリアかと思いきや、話をうかがうほど「まずやってみる」という姿勢に一貫していることに驚きました。就職活動をしたことがないという経歴も、先に子どもを産んでから研究に打ち込んだという選択も、すべて「悩んでも解決しないことは悩まない」という考え方につながっているのだと感じます。フラットな組織で文系理系の垣根をつくらないという姿勢も、いまの学生が会社選びで見落としがちな視点かもしれません。就職活動で迷ったときは、安定よりも力を発揮できる場所を選ぶ、という言葉を胸に留めておきたいと思いました。