インタビュー

「考えさせる」を貫いて、街をつくる ―― 社会福祉法人ちとせ交友会・山口哲史の歩み

「考えさせる」を貫いて、街をつくる ―― 社会福祉法人ちとせ交友会・山口哲史の歩み
PROFILE
社会福祉法人ちとせ交友会 理事長
山口哲史

学生時代、家業を継ぐという選択

テニスに明け暮れた大学時代

立教大学に通っていたころは、これといって特別な学生ではありませんでした。テニスサークルの活動に打ち込んでいて、「ちょっとでも強くなれればな」というくらいの気持ちで過ごしていたんですよね。ただ将来については漠然と考えていて、実家のお菓子屋を継ぐんだろうなという思いはずっとありました。

学生起業という発想はなかった

継ぐためにはどうすればいいか、経営者としてどう振る舞えばいいかは、当時からよく考えていました。けれども、今のように学生のうちから起業するという考え方は40年前にはほとんどなかったので、そこまでは至らなかったんです。今のような時代だったら、私も学生のうちに起業していたかもしれませんね。

松屋への入社を決めた理由

大学を出てから百貨店の松屋に入ったのには理由があります。当時、岡山に源吉兆庵というお土産屋さんがあって、そこの社長が池袋西武や東武、日本橋の高島屋といった百貨店にどんどん出店して、あっという間に大きくなっていったんですよ。

うちも一部その仕入れの下請けをしていたのですが、東京では岡山の4倍近い価格で売れていて、売上の桁も一つ違う。百貨店の販売力に商品を乗せたいという思いで、松屋に入ったのがきっかけです。

経営危機から社会福祉法人へ

父の病、29歳での継承

28歳のとき、父が末期がんで長くないと知らされ、ぎりぎりのタイミングで実家に戻りました。ずっと会社をやりたいと思っていたので、そのまま家業を継ぐことになったんです。その1年後に父は亡くなりました。

価格破壊のなかで訪れた廃業

亡くなった当時は、ダイエーなどによる価格破壊の時代で、売上が前年対比85〜90%とどんどん下がっていきました。資金繰りも厳しくなり、サラリーマン時代の感覚からすると6億円の借金は途方もなく重く感じましたね。貿易収支の分岐点も崩れて赤字になり、いろいろな経営を学びながら立て直そうとしたのですが、最終的にお菓子屋は廃業することになりました。

託児所から社会福祉法人へ

もともと初代である祖父の時代に多角化がうまくいって、一時は700人規模の会社になっていたんです。しかし兄弟間の争いなどがあり、父はそのうちの一つであるお菓子屋だけを、借金とともに引き受けることになりました。そのなかに職員のための託児所が残っていたんですよ。

その託児所は父の兄の友人にあたる市議会議長にお願いして経営してもらっていたのですが、その方が政治活動と経営を両立させるなかでトラブルが起き、父が理事長を引き継ぐことになりました。そして父が亡くなったあと、財団法人の後を継いだのが私です。

ボロボロの木造園舎を建て替えるなら社会福祉法人にしたほうがいいと考え、平成9年に財団から切り替えました。建物が完成したのは平成12年で、そこから本格的なスタートを切ったんです。

なぜここまで拡大できたのか

両親の名誉を取り戻すために

叔父が50代で急死し、父が跡を継いだ経緯もあって、親戚や周囲からは両親が経営者として良くなかったと言われることが多くありました。それが私にとってはとても悔しくて、自分が成功することで両親の子育ては間違っていなかったと示したいという思いが原動力になっています。両親がやりたかった社会貢献を、自分がやるんだという気持ちで保育園を増やしていきました。

理事長としての給料が増えるわけではないので、周囲からは「増やしても意味がないのでは」とよく言われました。それでも、規模が大きくなることでスケールメリットが出ると考えていましたし、そもそも自分のお金を増やすことが目的ではなかったので、突き進むことができたんだと思います。

心の経営を実践する

お菓子屋を経営していたころは、資金繰りに追われて社員の幸せまで考える余裕がありませんでした。今は逆で、社員が自分の人生をプラスにして幸せになっていった結果として、会社も伸びていくのが理想だと考えています。理念も現場のみんなに作ってもらい、「関わる全ての人にとってホームでありたい、帰れるところでありたい」という言葉にまとまりました。

保育士の離職理由の多くは、給料や適性よりも人間関係にあります。働きやすい職場をつくれば、もともと子どもが好きで入ってきた保育士は、子どもと関わる時間を増やせて長く続けられるんですよ。職員に優しくすれば、その優しさは自然と子どもに向かい、成長していく姿を見て保護者も喜んでくれる。そんな循環を大切にしています。

ちとせ交友会が見据える未来

発達障害の子の個性を伸ばす

保育園の運営のほかに、今は発達障害の子どもたちへの支援にも力を入れたいと考えています。発達障害と呼ばれる特性も、見方を変えれば個性です。悪いところに目を向けてしまうと、パニックになりやすくなったり、非行や犯罪に走ってしまったりすることもあります。反対に良いところを伸ばしてあげれば、天才的な才能が花開くこともあるんですよ。少子化で子どもの数が限られているからこそ、一人ひとりに合わせた個別最適化を進めて、その子らしく生きられるようにしていきたいと思っています。

ワンストップで子育てできる街をつくる

長男が小児科医になる予定なので、保育園の隣に小児科だけでなく産婦人科や整形外科、皮膚科、薬局が揃う医療モールをつくりたいと考えています。さらに学童があれば、その時間に学習塾や英語教室、サッカー教室に通うこともできますし、食材も無農薬のものを揃えられれば、買い物も含めてすべてが一か所で完結します。

忙しさを理由に子どもの話を聞き逃さずに済む時間ができれば、脳の発達が著しい0歳から12歳の間に、自尊感情を育てられると考えています。根拠のない自信は、間違えても発言できる子どもを育てるはずです。

学校法人・医療法人と掛け算する

5年ほど前から学校法人の立て直しにも関わっています。少子化で苦しい小学校は全国の地方にたくさんありますから、そこに社会福祉法人と医療法人を掛け合わせれば、参入障壁の高いまちづくりができるんですよ。行政やマンションを手がける事業者とも組んで、学生が寮でボランティアをすれば家賃を半額にするといった仕組みもつくれれば、関わる全員にとってプラスになる展開ができると考えています。

世界へ広げる教育と福祉

海外にも視野を広げていて、シンガポールなどは非常に興味がありますね。シンガポールが強みとするITや国家戦略の合理性に、日本が大切にしてきた道徳や倫理の教育、寄り添う福祉や医療を組み合わせれば、他にはない教育と医療と福祉の街ができると思っています。シンガポールだけでなく、マレーシアやタイ、フィリピンといった国々にも広げていけたらと考えていますね。

若者へのメッセージ

迷ったらGO

時代は先が読めなくなっていて、価値観も多様化し、困難や苦難も複雑になっています。これまでの常識を守るだけでは突破できないので、まずは即実行してみることが大切です。うまくいかなければ失敗と呼ぶだけで、うまくいけば失敗とは呼ばれません。若いうちに数多く経験しておけば、その積み重ねはいつか必ず生きてきます。迷ったらGOという姿勢で、やらない後悔をしないことが、いちばんの後悔を防ぐ道だと思っています。

放っておくと人はどうしてもネガティブな方向に流れやすいものです。だからこそ、意図的に明るい雰囲気をつくっていくことが必要だと考えています。

心根が優しい人と働きたい

ちとせ交友会が大切にしているのは、やってみようというチャレンジの姿勢と、それを周囲がサポートする文化です。大変なときに支えてもらった感謝は、次は自分が後輩を支える恩送りへとつながっていきます。能力があって尖った人よりも、心根が優しい人に来てほしいですね。職員の8〜9割は女性なので、その考え方に無理なく寄り添える方が向いていると思います。結婚しても子どもが生まれても働き続けられる、そんな保育園でありたいと思っています。

編集後記

今回のインタビューを通じて、危機を経験したからこそ見えてくる経営の姿勢があるのだと実感しました。お菓子屋の廃業という厳しい経験があったからこそ、社員の幸せを起点にする「心の経営」にたどり着いたというお話が印象的でした。医療・福祉・教育をかけ合わせたまちづくり構想や、海外展開への熱量にも圧倒されます。迷ったらGOという言葉を、これから社会に出る私たち学生も胸に留めておきたいと感じました。