インタビュー

「浅はかな考えで起業した」秋葉原育ちの社長がパソコン再生事業に懸ける、20年間ブレない理念

「浅はかな考えで起業した」秋葉原育ちの社長がパソコン再生事業に懸ける、20年間ブレない理念
PROFILE
株式会社HAKU 代表取締役
手塚 久雄

大学に行かず、海外を放浪した学生時代

高校卒業後、そのまま海外へ飛び出した

私は来年の3月で48歳になるんですけれども、起業したのは今から約19年前、27歳の頃でした。そこに至るまでも、いわゆる就職活動も就職もしていなくてですね。18歳で高校を卒業してすぐ、高校時代にアルバイトで貯めたお金でニュージーランドに行ったんです。

私は大学にも行きませんでしたが、当時はちょうどバブル崩壊の時期で、大学を出ていたとしても就職する場所がないというような時代でした。日本の先行きが見通せない状況で、景気自体はめちゃめちゃ悪かったんですけれども、ドルやスイス・フランに対して日本の円通貨が強い時期でもあったんですよね。どこの国に行ってもそれなりに安く上がって、当時は40万円あればニュージーランドに3か月間いられるくらいの感覚でした。

18歳の冬にはカナダのウィスラーという、今の日本で言うとニセコに近いエリアに行きました。有数のリゾート地で、著名なアメリカの俳優なども別荘を持っているような場所です。そこで数か月から半年ほど、スノーボードばかりする生活をしていました。翌年にはスイスにも滞在していたことがありますね。

安定と自由を両立させたくて起業した

さすがに22歳を過ぎてくると、実家からのプレッシャーがきつくなってきましてね。うちは両親ともサラリーマンの家系なので、それはそうだよなと。ただ、私はどうしてもウィスラーというところが好きで、日本でサラリーマンとして生きていくよりは、会社を立ててある程度の収入を得ながら、いずれはバイアウトするなりして安定収入を得ながらウィスラーに戻ればいいんだな、と。今思えば非常に浅はかな考えで起業したというのが正直なところです。それでもお金を貯めたり準備をしたりして、考え始めてから3年後ぐらいにようやく起業できました。

パソコンの町、秋葉原で育った原体験

生まれも育ちも秋葉原だった

副社長とは創業当時から一緒にやってきているんですけれども、何をしようかと考えたときに、私が生まれも育ちも秋葉原だったんです。Windows 98の頃から、パソコンの町というイメージが強い場所で育ちました。小学生から中学、高校にかけて、パソコン自体が他の地域の方より身近な存在だったと思います。詳しいというほどではなかったんですけれども、人よりは早く触れる機会がありました。

あとは、今もあるソフマップさんですね。今はビックカメラグループになっていますけれども、当時からパソコンの買取専門業者として存じ上げていました。当時は古着や中古車と同じように、中古のパソコンを買うという文化がまだそこまで定着していなかった時代です。

秋葉原にはすでに中古市場があったので、そこを少し工夫しようと考えたんです。店頭に持ち込んで査定してもらうと、お客様は「もう少し高く買ってくれるかもしれない」と思っても、持ち帰るのが面倒で、結局希望の価格でなくても売ってしまう。そこで出張買取という形にすれば、お客様も納得のいく価格であれば売り、そうでなければ売らなくていいというカスタマーファーストなイメージがつきやすいと考えました。

B2Cの出張買取から、B2Bのデータ削除専門業者へ

個人向けの出張買取から事業を始めた

創業から19年ほど経ちますが、当初はB2Cが中心で、お客様の9割以上が個人のお客様でした。データの削除は当たり前にする一方で、多くの方が「買い取ってほしい」というご要望を持っていて、パソコンの出張買取という当時ほとんどなかったサービスに力を入れていました。特にB2Cでの出張買取をおこなっている会社は、その頃はほとんどなかったんです。

東日本大震災をきっかけにB2Bへ舵を切った

東日本大震災が起きた今から15年前の時期を境に、B2Cのパソコン買取事業から、B2Bのパソコンのデータ削除・回収に力を入れるようになりました。パソコンを集めるというゴール地点は変わらないんですけれども、お客様から買い取ることをやめて、データ削除がしっかりしている会社であることが一番重要だと気づいたんです。

法人のお客様は、パソコンを買い取ってもらってもお金のやり取りが経理上面倒だったりするケースも多く、それよりもデータ削除の専門業者としてのブランディングに切り替えました。B2Cの頃からデータ削除自体はかなりしっかりおこなっていたので、強みとノウハウはそこにありました。同じゴールでも、言い方やブランディングを変えるだけでパソコンの集まり方がこれだけ変わるのかと、自分でも驚いたところです。

弊社の強み

約20年、一貫して続けてきた実績

最近は「都市鉱山(廃製品に含まれる金属資源)」という言葉とともに国も力を入れ始めていて、ハイブランドの回収などで新規参入する企業も増えてきました。当然うちにとってはライバルになるわけですけれども、そこに対する強みは、約20年続けて一貫してやってきたという歴史です。

目の前での物理破壊という専門性

弊社はずっとハードディスクやSSDの物理破壊を専門としておこなってきました。お客様のオフィスまで伺い、目の前でSSDを外して破壊機にかけるというご依頼をいただくことも多いのですが、他社の多くはこれをやりたがらないんです。

弊社はこうしたご依頼を20年前、誰もやっていなかった頃からずっと引き受けてきたので、スピード感と費用がまったく違います。3社ほど見積もりを取ると、うちが圧倒的に安く、他社の5分の1ぐらいの費用になることもあります。理由は単純で、技術のない参入業者だとパソコン200台のSSDを外して破壊するのに1週間ほどかかってしまうんです。うちの場合は200台なら3時間ほどで終わります。3000台や4000台を1日から2日で壊すこともありますね。長年携わってきたノウハウとスタッフのスキルが、日程や価格の差として表れているのだと思います。信用というのは地道に積み上げていくもので、昨日今日立ち上がった会社がすぐに手にできるものではありません。

今後のビジョン

「人と地球から喜ばれる企業」でありたい

弊社の理念は、創業当初から「人と地球から喜ばれる企業」であることです。「人」はお客様であり、弊社のスタッフでもあります。あわせて、パソコンのリユースという事業自体が地球環境に貢献するものでもあります。今までゴミとして廃棄業者に処理されていたパソコンを、有価物としてリユースできる形に変えていく。これは地球環境にも、企業のコストにも優しい取り組みで、今後もこの理念はブレることなくやっていきたいと考えています。

データセンター関連の需要にも力を入れていく

さらに細かいところで言うと、AIが発展すればするほどデータセンターの需要が高まってきていて、日本国内でも各地に乱立し始めています。サーバーのデータ削除は今もおこなっていますが、不要になったサーバーの再利用にもさらに力を入れていきたいと考えています。データセンターの情報漏洩を防ぐことと、不要になった機材を再利用して地球環境や取引先企業のコスト削減にメリットを与えられる企業になることが、目先のビジョンです。

学生へのメッセージ

失敗を恐れず、一歩踏み出す意志を持ってほしい

学生の方々、特に大学生には伝えたいことがあります。目標を達成するためにどんなプロセスが必要かを考える人は多いんですけれども、そこから一歩前に出て、実際に歩みを進めるところまで経験を積んでほしいということです。

私も40代を過ぎると、夢を叶えるためのエネルギーを出すのは簡単ではなくなってきます。学生の方々はまだ10代、20代前半の方がほとんどだと思います。経験という部分では30代、40代に劣ってしまうのはしょうがないことですが、その若さというエネルギーは今しかありません。失敗しても前に進んで突破していく力も、若さゆえに持てるものです。失敗を恐れずに、やりたいと思ったことは計画を立てたうえで必ず成し遂げるという意志を持ってやっていってほしいと思います。

編集後記

株式会社HAKU代表の手塚さんのお話をお伺いして、18歳で海外へ飛び出した行動力と、そこで見つけた「秋葉原育ち」という原体験を事業に結びつける発想力に、とても刺激を受けました。B2Cからデータ削除専門のB2Bへと大きく舵を切った決断や、20年間ブレない「人と地球から喜ばれる企業」という理念には、長く事業を続けるための軸の大切さを感じます。学生に向けたメッセージも含め、行動することの意味をあらためて考えさせられるインタビューでした。