インタビュー

「ないない尽くし」から「老舗ベンチャー」へ ― 7代目が語る117年企業の使命感

「ないない尽くし」から「老舗ベンチャー」へ ― 7代目が語る117年企業の使命感
PROFILE
株式会社 木幡計器製作所 代表取締役
木幡 巌

敷かれたレールを、自らの使命へ

弊社は今年で117年目になります。一般的には老舗企業と言われるような、歴史を有した会社です。計器、いわゆる工産業用の計測器を製造しているんですけども、元々はずっと家業でした。創業者は私の曽祖父になります。

継ぐのは当たり前だった

子どもの頃から家業のことは両親からも「継ぐべき」というようなことは一切言われませんでした。その一方で、子どもの頃から工場にもよく連れられてきたこともあってですね、私の中では、ある意味そうした環境で洗脳みたいなもので、将来事業承継することは当たり前のことのように育てられたところもあったんです。何年か先には家業に就くことになるんやろうな、ということは、ずっと刷り込まれていました。

波乱の継承をくぐり抜けて

社会人経験は他社で2年ほど、空気圧機器メーカーさんのところで修業というか、社会人経験をさせていただいて、その経験をもとに家業を継ぐことになりました。

祖母、母と続いた女性社長

創業者の曽祖父の後、祖父、そして祖父の弟(曽叔父)が社長、その後、婿養子であった父が社長をしていた時期を経て、私が入社したのは祖母が社長の時代でした。その後、母が引き継ぎまして、二代の女性社長の後に、今から12年前に私が事業承継する形で現在に至っています。私が入社した当時から母が引き継いだ後も、こういう工業系の女性経営者ってまだ珍しい時代でした。祖母や母が苦労しているのを間近に見ていて、少しでも早く自分が二人の力になりたいという思いで仕事をするようになったんです。

「ないない尽くし」だった継承直後

学生の頃も工場に手伝いに来ていたんですけど、実際に社会人経験を経て家業に戻ってきますと、勤めていた企業は大手で、業界でもトップメーカーでお世話になっていました。それだけに、戻ってきたときのギャップがすごかったんです。

大手との落差に打ちのめされた

環境の整った大企業と比較すると、人も少ないし、経営資源的にもかなり厳しい。我々の業界は結構小さな業界で、一社だけ大手企業が業界シェアの半分ぐらいを占めていて、そこに二位から四位ぐらいの企業を混ぜると、ほぼ業界シェアの9割近くを占めるような状況でした。そんな中で自社の強みと言えるような部分が全然感じられなかったんです。人も少ないし、技術力もあんまりないし、財務的にも資金が潤沢なわけでもない。もう自分的にはちょっと、ないない尽くしみたいな感じで、この先どう事業運営していったらいいんだろうという、すごい閉塞感があって、本当に自信もなかったですね。

技術者ではない負い目

私は大学では社会心理学を専攻していて、今では技術者のようによく見られますけど、もともとは文系なんです。サラリーマンの時点でちょっと技術的なことを勉強せなあかんなと思って、夜間で関西の理工系大学の機械工学科に通わせてもらったんですが、家業に戻ってからは勉強しないといけないことが多くて、結果的には途中でリタイアしてしまいました。それでも基礎的な機械要素のことはある程度学ばせていただけたので、いい経験にはなりました。そんなふうに、もともと技術者ではないという負い目もちょっと感じながら、家業についてから10年近くは、そんな閉塞感で悶々としていました。

その後の特許の学びが私の意識を変えた

ある特許を起点に、私はすごく意識が変わったところがあります。最初は義務感みたいなもの、自分が後を継がなければならないという意識で家業に就いていたんですけど、だんだんと仕事をしている中で、我々の仕事は社会的に非常に重要な責任があるということを自覚していったんです。

計量は「二次標準」を供給する仕事

計量・計測という分野においては、基準の、いわゆる二次標準というものを社会に供給するという社会的な責任があります。今の世の中でよく言われるSDGs、持続的な開発の目標というのは、計量という分野においてはもう昔からSDGsそのものなんですよね。各国が国際的なメートル法という基準をお互いに持って、それを世の中に供給することによって、寸法に違いのないものが出来上がる。計量の標準を供給するというのは、社会的に非常に重要な責任のある仕事なんだと気づいたんです。

安定的に計量標準を供給し、間違ったものを世の中に供給してはいけない。持続的な計量単位の供給というのが、そもそもの事業の根本であるということに気づいて、そこから責任感が生まれてきました。その責任感を持って仕事に関わると同時に、それはある意味、誇りにもなっていきました。世の中に大切なものを我々は安定的に供給していくんだという責任感と誇りが芽生えて、その後、義務感、責任感から、今度は使命感というところに心のうちが変わっていって、企業姿勢が私の中でも変わっていったんです。

老舗ベンチャーとしての挑戦

弊社は歴史は古いんですけど、若干ベンチャー企業みたいなところもあって、現在もチャレンジしています。圧力計測の技術をベースにして医療機器の分野に参入し、国内では唯一の携帯型の呼吸筋力測定器という、呼吸機能を測定する専用機を、今も製造販売している医療機器メーカーとしての側面も持っています。肺の周りの肋間筋(ろっかんきん)や腹筋、背筋、呼吸補助筋といった、10種類ぐらいある呼吸筋の総合的な筋力を測定する機器で、専用機としては国内で唯一のものです。

176年前の技術を今もIoT化

当社が製造するブルトン管圧力計という製品は、金属のパイプが圧力かかると広がって伸びる、そのバネのような力を歯車で拡大するという構造で、今から176年前にフランス人のブルドンという人が発明した圧力計を、117年前の創業時からずっと作り続けています。国内では歴史的には三番目ぐらいの会社になります。もともと家業は江戸時代は金物屋で、やかんとか作っていて、その金物鍛冶の金属加工の技術を使って、当時は海外製品しかほとんどなかった圧力計を、私の曽祖父が模倣して製造することに成功したのが始まりです。

その機械式の圧力計に新たな独自特許技術で、針の回転の中心の軸にマグネットを取り付けて磁気センサーで角度検出をして、それを無線でデータを飛ばし、後付けで機械式のメーターをデジタルメーターに変換させるという「Salta(サルタ)」という商標製品を開発しました。アナログメーターをデジタル化する後付けIoTセンサーで、これが今の主力製品売り上げの大体半分ぐらいを占めるようになっています。誰かがおっしゃっていたんですが、弊社はそういう意味でちょっとチャレンジングなベンチャー企業のようなものなので、私も勝手に「老舗ベンチャー」だというふうに位置づけて事業をしています。

母の言葉が教えてくれたこと

医療機器ビジネスへの参入を決意したのは、先代社長でもあった私の母が肺がんを患ったことが大きなきっかけでした。患者の家族として医療の現場に直接触れたことで、この分野の重要性を痛感したのです。本人にはまったく自覚症状がない状態から、突然、非常に厳しい病状であり、残り3か月から半年と余命宣告を告げられました。

母は、「私は何のために生きてきたんやろう」という言葉をポロッと漏らしたんです。一生懸命生きてきたつもりなのに、趣味の一つもない、目の前の人生を全力で捧げてきた。それなのに、自分の人生は一体何だったんだろうと、深く嘆いていました。

その後も私は呼吸器の開発を続けましたが、もし母の存在がなかったら、あの厳しい医療機器の開発は「うちの身の丈には合わない」と、途中で諦めていたかもしれません。母は「私が最初の実験台やな」と冗談めかして言いながら、一番近くで支え、患者や家族の視点を私たちに教えてくれました。世の中には、私たちと同じように、病気であることに気づかないまま、突然厳しい現実を突きつけられる人たちがたくさんいるかもしれない。そんな人たちの力になれる機器を作れるとしたら、それはものすごく意義深いことだと思ったんです。

母がこれほど大きな試練に直面したことは本当に辛い経験でしたが、私がこの開発をやり遂げて世に出すことができたら、その後母は世を去りましたが、それは今からでもできる「親孝行」になると確信しました。「あなたがいなかったら、私は製品を世に出すことができなかった。だから、あなたの人生にはものすごく大きな意味があったんだよ」と伝えたかった。そうすることで、母が嘆いていた「人生の意味」を、最高の形へ変えられるかもしれないと思えたんです。物事をどう意味づけて、どう人生を捉えていくかは、すべて自分次第。母の存在が、この事業に命を与えてくれました。

これからは「連携」で社会課題に挑む

日本国内では99.7%が中小企業と言われますが、そういった、ものづくりの小さな中小企業が、日本の産業界を支えてきた立役者と言ってもおかしくありません。そのいっぽうで、製造業が今非常に人材不足で、特に若い人の製造業人気があんまりなくてですね、日本のものづくり産業を支えていた企業が、もう大廃業時代と言われるような、非常に社会的課題だと思っている状況にあります。

事業を安定的に継続して運営していくのは、特に小規模な企業にとって非常に大変です。経営者の方も、こんなに難しくて予測も非常に困難な激変の時代に、自分の息子にそんな大変な仕事をさせたくないと考えて、あえて継がせないという方も結構多いんです。私の友人でも、息子さんがいても継がせないと言っている人がいます。みんながそんなマインドでいたら、それこそ日本のものづくり産業は悲劇的な状況になってしまいます。

個の技術には限界がある

私も事業を継いだ当時はすごい閉塞感でどうしていったらいいかわからなかったんですけど、今から15年、20年前の会社の状況から今を考えると、当時は私自身も想像できなかったようなイノベーションが、こんな小さな企業であっても実現できています。それを実現できたのは、いろんな企業との連携がすごくキーワードだったからだと思っています。

中小企業には優れた技術を持つ会社もあるんですが、個々の技術だけではなかなか横串の連携ができにくい。日本は江戸時代の侍の文化というか、できるだけ自分たちの力で切り開いていこうという思いが強い文化だと思うんですけど、世の中の社会課題はもう複雑化しています。一つの解決方法だけでは解決できないような時代になってきていて、複数の分野にわたっての解決をしていかないといけません。

弊社が取り組んでいるIoTやDXも、一つの技術で成り立つものではありません。ハードウェア、ソフトウェアの技術、それから通信、電源、セキュリティといった、いろんな要素技術を掛け合わせないと、製品もサービスも作り出すことはできないんです。うちのような小規模事業者が、大企業からもびっくりされるような製品やサービスを世に出せている理由は、実は企業連携なんです。

ガレージ大正という挑戦

弊社では「ガレージ大正」という名称で、ベンチャー、スタートアップ企業のものづくり支援をやっています。いろんな加工技術がいるものづくりを、連携の仲間たちと協力して製品化を手伝ったり、知財総合支援窓口という国のサービスで、専門家がベンチャーや中小企業のために知財支援をする枠組みの相談に乗るなかで、弊社の工場を開放するような地域貢献的な活動もしています。小規模であっても、そうやって技術連携をしたり、特許技術を確保できれば、大企業と連携して同じように社会課題を解決していくこともできるんです。

家業を継いだ当時はないない尽くしだと思っていましたが、そうじゃないと気づくことができて、現在はすごく仕事も面白い。経営環境が厳しいのは変わりませんが、それでも課題を解決していくという、仕事の上での一番の喜びを感じながら仕事ができるようになりました。この先も、他社といろいろ連携しながら、複雑な社会課題を紐解いて解決していくような仕事をしていきたいと思っています。

学生へのメッセージ

仕事というのは、人生の中の大半の時間を割くことになるケースが大半だと思います。私は大学で心理学を勉強していたんですが、大学の先生が、人は生きる目的や意義をちゃんと持つことが、人生を幸せにできるかどうかを分ける大きな違いになるんだと教えてくれました。これは学生時代に得られた貴重な学びだったと思っています。

いろんな出来事や人生経験を、どういった意味に意義づけるかというのは、本人次第です。辛い出来事があったとしても、それを乗り越えて今があるんだという解釈の仕方もできます。時間は過去から未来に流れるものですが、逆に未来を基準にして過去を振り返ることもできると思うんですよね。どうありたいか、どういう人生を生きたいかということを、自分の中でしっかり意思を持つことが大事です。

だから仕事も、自分の中で人生を有意義に幸せにするために、自分なりに目的や意義を持って、この先も続けていっていただきたいなと思います。自分のやったことが少なからず世の中のために繋がっていくという部分を持てることは、すごく大事だと思うので、ぜひ学生の皆さんには、そういうところを意識しながら、これからお仕事に従事していただけたらいいんじゃないかなというふうに思っています。

編集後記

「ないない尽くし」だと思っていた自分の会社に、実は誇るべき歴史と技術があると気づいていく過程が、とても印象的でした。私自身、学生団体の活動でうまくいかないことがあると、つい自分たちの力不足のせいにしてしまいがちです。ですが木幡さんのお話を伺って、義務感が使命感に変わる瞬間は、外の環境ではなく自分の意味づけ次第で訪れるのだと感じました。就職活動でも、目の前の仕事にどう意義を見出すかを、自分自身に問い続けたいと思います。