静岡で生まれ、就職以外の道を意識するまで
先生になる自分が想像できなかった
生まれも育ちも静岡です。東京学芸大学の教育学部に進学したので、友人の多くは教師を目指していました。しかし、教壇に立つ自分をリアルに想像してみたら、毎年、学習指導要領で定められたことを子どもたちに教え続けるのは、ちょっと退屈してしまいそうだなと感じ、別の選択肢を探し始めました。
心理的な壁は最初から低かった
もともと親が自営業だったので、就職する以外の道もフラットに選べる環境ではありました。だから親に憧れて起業したいと思っていたというよりは、単純に心理的なハードルが低かった、というだけの話だと思います。
きっかけは、大学の学生就職課に置いてあった「ベンチャー通信」という雑誌でした。DeNAの南場さんや、クオンタムリープの出井さん(元SONY)といった経営者のインタビューが載っていて、これがとにかく面白かったんです。中学や高校で生徒会長や文化祭のプロジェクトリーダー、バンドのギターボーカルなど、みんなで何かを作り上げる経験をしてきたので、浮き沈みも含めて起業という生き方そのものに惹かれるようになりました。サイバーエージェントの藤田さんの本や、リクルートの江副さんの本もこの頃よく読んでいました。
人材業界で鍛えた「行動量」
読んでいた本の経営者には人材業界出身の方が多くて、教育学部出身で経済も経営もよくわからなかった私にとって、色々な会社のことを知れる人材業界はちょうどよさそうに見えました。それに、営業力をつけられそうだという理由もあって、新卒でキャレオ(現ランスタッドグループ)に入社しました。
二年間、ひたすら歩き続けた
当時の担当は港区エリアです。新宿から銀座線に乗って青山一丁目のあたりで降りて、そこから新橋の方まで歩きながら、高層ビルを一番上から順番に降りてきては名刺を置いていく。これをほぼ二年間、ずっと続けていました。営業力というより、とにかく行動量だったと思います。地道に名刺を置き続けていると、ぽつぽつと連絡が来るようになって、ある程度の成績もついてきました。
海外に活路を求めて
成績は出ていたものの、このままこの会社にいても自分が起業家になれるイメージが持てませんでした。ちょうどその頃、ライフネット生命を立ち上げた出口治明さんと岩瀬大輔さんの話を耳にする機会がありました。そこで「日本は人口が減っていくのだから、いずれグローバルなビジネスをやらなければいけない」という考え方に触れて、海外に出るなら若いうちしかないと思うようになりました。二十四、五歳のタイミングで会社を辞めて、アメリカの会社への転職を決めました。
地元のつながりからアメリカへ
転職を斡旋してくれる会社経由で履歴書を送ったところ、面接をしてもらえることになりました。毎朝六時半ごろ、新宿駅前のスターバックスで「My name is Konosuke」と、たどたどしい英語を練習していたのを覚えています。ところが実際の面接では、「とりあえず来ちゃいなよ」というくらいのノリで、拍子抜けしました。あとで聞いたら、その方は静岡高校の先輩にあたる方で、地元のつながりがこんなところで生きるとは思いませんでした。
アメリカで学んだリーダーシップ
アメリカでは日系の会社で三年半ほど働きました。営業をやりながら、お客さまの業務システムやウェブサイトを作るプロジェクトのディレクションも行っていました。最初は人材紹介のように接点をつくってはマッチングさせるという、数とヒアリングを重視するスタイルでしたが、途中からは一社一社に深く入り込むスタイルに変わっていきました。
「KURA SUSHI USA」の社長がくれた答え
主なお客さまは日系企業で、当時アメリカで店舗を拡大していたKURA SUSHI USAの社長ともお話しする機会がありました。当時その社長は三十五歳前後で、「アメリカに回転寿司を広めていきたい」と熱く語ってくれる姿がとても印象的でした。
その頃、色々な社長さんに「グローバルで活躍するために必要な力は何ですか」と聞いて回っていました。英語力かと思っていたら、「いや、違うよ。リーダーシップだよ」と。「英語は大事じゃないんですか」と聞き返したら、「英語が話せる人が仲間にいればいいんだよ」と言われて。人を巻き込んでいく力の方が大事なんだと、そこで初めて腹落ちしました。
トランプ政権下で厳しくなった審査
アメリカに滞在できていたのは、現地で就労資格の切り替えを行っていたからでした。一度アメリカを出るとまた一から取り直しになる仕組みで、当時はオバマからトランプへと政権が移り、移民に対する審査がどんどん厳しくなっていた時期でもありました。二十六、七歳という年齢での管理職申請に対して、『本当に実体のある管理職なのか』と審査の目が厳しくなり、ビザが下りづらくなったため日本に戻ることを決めたのが二十七歳の頃です。
静岡に戻り、株式会社LEAPHへ
帰国後は転職活動をしていたのですが、結局また起業したい気持ちが強くなってきました。一社目で一緒だった先輩が独立して人材紹介の会社をやっていたので、そこから業務委託で仕事をもらい始めたのが最初でした。そこから委託先を少しずつ増やし、営業代行のような仕事を経て、現在は静岡に拠点を置きながら、ウェブサイトの自社開発やAIを使ったアプリ開発など、幅広い事業を手がけています。
これから目指すところ
売上百億円という目標
定量的な目標として、売上百億円を目指していきたいと思っています。ただ、売上というのは、解決した課題の総量・感謝の総量と位置付けていますので、それだけ企業や社会の課題を解決できる会社にしていきたいというのが本質的な目標です。
「静岡のAIと言えば」を目指す
AIが普及して、AIで解決できる課題が多くなってきています。また、日本全体として人手不足が加速しているため、業務にAIを組み込むことで人手不足で困っている会社を支援できるはずです。今後はAIによる支援にも力を入れ、「静岡のAIと言えばLEAPH」と言われるような会社を目指しています。
学生に伝えたいこと
目立つより信頼を積む
SNSの影響もあってか「好きなことで生きていく」という言葉に踊らされがちな現代ですが、与えられたことを愚直にやっていくことが大事だと思っています。目立つことよりも、一人でも二人でもいいから、ちゃんと信頼を得ていくこと。世の中の風潮として、実力はあっても悪い方向に目立ってしまう人もいますが、そういう生き方を目指してほしくはないなぁと思います。AIがどれだけ普及しても、最後は人に対する信頼で仕事は変わっていくと思うので、誠実さと信頼は変わらず大切にしてほしいです。
編集後記
学生時代に読んだ一冊の雑誌から起業を志し、行動量で結果を出した営業時代、そして海外で「リーダーシップ」という答えにたどり着いた河原崎さんの歩みには、遠回りに見えて実はまっすぐな軸があるように感じました。私自身、まだ学生で起業や海外挑戦は未知の領域ですが、「愚直に、信頼を積む」という言葉は、就職活動を控える身としてもとても刺さるメッセージでした。AIが広がる時代だからこそ、人としての誠実さを大切にしていきたいと思います。