医学部進学までの道のり
航空宇宙工学科との二択
私、実は医者になって一番最初に働き始めたのは、アメリカの海軍病院でした。
学生の頃から、なんとなく海外に目がいっていたと思います。
高校生のとき、理系文系を選ばなければいけなくて、高2くらいで理系に進みました。当時は航空宇宙工学科に行くか医学部に行くか、すごく迷っていて。宇宙開発の道に進もうか、医学部に行こうか本当に悩んだんですけど、最終的に医学部のほうが先に合格してしまったんですよね。だからもし航空宇宙工学科に進んでいたら、宇宙開発の仕事をしていたかもしれない。そのくらい、二つの道を本気で天秤にかけていました。
アメリカ留学で見た医療の姿
全く違う医学部の仕組み
海外に興味を持ったきっかけといっても、これといった大きな事件があったわけではないんです。ただ、アメリカのペンシルベニア大学の医学部に留学したとき、日本との違いを痛感しました。
日本では高校を卒業したらすぐ医学部に入り、そこで6年間勉強して医師国家試験に合格後、医者になります。でもアメリカでは、まず4年制の大学を出ていないといけなくて、しかもその4年間は理系でも文系でもいい。もともと4年間哲学を勉強していた人が、大学卒業後に医学部へ入って医者になる、なんてこともあるんですよね。
こんなに世界は違うんだと思う反面、日本では理系の最高峰が医学部に進むという流れが昔からあります。ただ勉強ができたから、物理と数学が得意だからという理由で医学部に行くことが、医療全体で見て本当によいことなのかどうか。アメリカに行ったことで、そう考えるようになりました。日本以外の国の医療がどうなっているんだろうという疑問は、そこからずっと私の中にありましたね。
アメリカの医療現場で知った現実
保険が治療方針を決める
日本は国民皆保険制度なので、保険証さえあれば、生活保護を受けている人でも、日本一のお金持ちでも、同じ医療が受けられます。私はがんが専門なんですけど、保険によって使える抗がん剤が変わるわけではなく、日本で保険適用が通っていれば、収入状況に関わらずみんなが使えるんですよね。
ところがアメリカは違います。たとえば、中産階級の労働者が工場で仕事中に2本の指を切ってしまった時に、日本では整形外科医が全力で両方の指を治す手術をします。でもアメリカでは、レジデント(研修医)が「どっちの指を治したいですか。あなたの保険は1本しかカバーしませんから」と聞かなければいけないんです。
それを目の当たりにして、医療は知識や技術だけでなく、そのシステムや制度があって初めてすべてのピースが揃うものなんだと気づきました。恥ずかしながら、それを知らなかった自分の無知にも気づかされた出来事でした。
ニューヨークの病院には、インドやシリアから来た同僚たちもいました。彼らは、自分がアメリカで医師免許とグリーンカード(永住権)を取得できれば、貧しい祖国から一族を呼び寄せることができる。だから必死なんですよね。私が「グリーンカードは狙っていないし、いずれ日本に帰るつもりだ」と言うと、心底不思議がられました。
その経験を通して、限られたお金持ちしか受けられない医療が、日本では誰でも受けられる。国民皆保険制度は本当に素晴らしい制度なんだと感じながら、日本に帰ってきました。
帰国後、がん薬物療法の道へ
外科医との役割分担に疑問
帰国後は都内の病院をいくつか転々としました。あるとき、日本では外科医が抗がん剤治療などのがんの薬物療法も担っていることに、疑問を感じたんです。外科医の本来の仕事は手術のはずなのに、こんなに複雑な薬のことまでこなせるのだろうかと。
そこで、がんの薬物療法を専門にしたいと考え、築地にある国立がん研究センター中央病院で5年間トレーニングを積みました。その後、同じく築地にある聖路加(せいろか)国際病院に指導医として移り、そこから16年ほど診療にあたっていました。そこでは国際部で様々な海外ケースも担当しました。
バングラデシュでの3年間
処方箋なしで買える抗生剤
人生とは予定通りにいかないもので、それまでのキャリアを中断し、バングラデシュに3年ほど滞在することになりました。現地ではいろいろなところから声がかかり、現地の先生と一緒にがん患者さんを診療したり、大使館の先生と日本人の国際医療搬送に携わったりもしました。
バングラデシュの薬局は、日本のドラッグストアのような場所がいたるところにあるんですけど、医師の処方箋がなくても、抗がん剤や抗生剤まで何でも手に入ってしまうんです。しかも現地製造の薬は驚くほど安い。病院に行くとお金がかかるので、貧しい人は町の薬局に行きます。すると資格もトレーニングも受けていない店番の若者が、症状を聞いただけで薬を売りつけるんですよね。
抗生剤は、薬局にとってはお金になるうえに、病人にとってはそこそこ効くこともあるので、ちょっとした風邪や痛みでも気軽にみんな飲んでしまう。すると薬剤耐性菌、つまり抗生剤を飲んでも効かない強い菌がどんどん増えてしまうんです。世界はつながっていて、コロナのように病気は国境を越えます。人の移動がある限り、病気にパスポートは要らないんですよね。
バングラデシュでは、日本ならまだ治療選択肢となる抗生剤が、地域によってはすでに効かなくなっている。それが日本に入ってくれば、抗生剤が効かない感染症が蔓延するという事態になりかねません。世界人口の8割ほどは中所得国から低所得国に暮らすといわれています。そうした国々でガイドラインなど関係なく薬が使われている以上、日本だけがぬくぬくと暮らしていても、いずれその影響を受けてしまう。私たちだけがよければいいという問題ではないと気づいたんです。
起業のきっかけ
公的援助機関とは違うアプローチ
幸か不幸か、バングラデシュでこうした現状を知ってしまいました。そして現地で生活するうちに、医療を受ける側、提供する側、さらに国際支援の側からも、それぞれ違った課題が見えてきました。
正直、独立心のようなものは全くありませんでした。聖路加国際病院という、東京に住んでいれば誰もが名前を聞いたことのある病院で常勤医として働き、そのまま定年まで勤めるつもりだったくらいです。がんの薬物療法にはやりがいもあったし、収入も安定していて、会社を作るなんて一ミリも考えていませんでした。
まず、現地にいたからこそ知り得たのが、政府開発援助のあり方です。多くの組織では職員は3年ほどで入れ替わってしまいます。途上国を助けたいという高い志を持った人たちが集まっていますが、3年いても現場のことがなかなかわからないまま任期を終えてしまう方もいらっしゃる。医療分野の支援ニーズは多いのに、現場に医師がいない、日本の医療現場を知っている人がいない。そうなると、どれだけお金を投じても、効果的な結果にはつながりにくいと感じました。
そこには日本のちゃんとした大きな病院で臨床を本気でやってきたからこそ還元できる、医療サービスのノウハウがあるはずだと思ったんです。
次に、日常では、現地に駐在する日本人が現地医療レベルの低さに困っていました。そもそも大気汚染指数は世界ワーストワンですので、止まらない咳や発熱で苦しむ方も多く、デング熱など日本にはない疾患も日常にあり、誤診で困っている日本人がたくさんいて、多くの方が私にLINEで相談してくるようになりました。
そして同じ頃、現地の検査会社の医療顧問を務めるようになり、患者を診るだけではわからなかった、検査の精度管理や医療従事者の教育、診断に至るプロセスなど、医療システム側の課題もより鮮明に見えるようになりました。個々の医師の能力だけの問題ではなく、医療を支える「仕組み」そのものに大きな差があることを実感しました。
つまり、現地の医療システムそのものに改善できる余地があり、一方では「日本の医療を知る医師に相談したい」という明確な現地のニーズがありました。この二つを同時に目の当たりにしたことで、日本で培ってきた医療の知識やノウハウを、個人的な善意として提供するだけではなく、持続可能なサービスとして仕組みにできないかと考えるようになりました。それが、起業につながった一番の理由です。
弊社の強みと事業内容
正直、まだまだスタートアップで、いろいろなことに手を出している段階です。現在は、南アジアでの現地医療機関のアドバイザリー、医療コンプレックス開発や、日本企業と連携した医療サービスの南アジア展開など、複数のプロジェクトを進めています。形はそれぞれ違いますが、共通しているのは、日本の医療現場で培われた知識や技術、医療サービスの質を海外に届けることです。そして、弊社の強みとして言えるのは、机上の空論ではないということ。現地を実際に知っているんですよね。
途上国の人たちの思考回路は、日本で教育を受けて日本企業に勤めている人にはなかなか理解しづらいと思います。私たち日本人は、幼い頃から「ルールを守りなさい」と教えられて育ちます。学校には道徳の授業もありますし、ルールは基本的に全員に同じように適用されるものだ、という感覚が自然と身についていると思います。
たとえば子どもたちが双六をしていて、A君が突然「僕はサイコロで1が出ても6マス進む」と言い出したら、どうでしょう。「そんなのダメでしょう。ルールが違う」と誰もが思いますよね。
ところが途上国で生活してみると、そもそも「ルールは固定されていて、全員に同じように適用される」という前提自体が、必ずしも世界共通ではないことに気づきました。私がバングラデシュで経験したのは、ルールそのものが、時に権力や利害、置かれた状況によって簡単に変わってしまう世界でした。
これは、日本とどちらが良い、悪いという話ではありません。私自身、日本で教育を受け、日本の医療機関で長く働いてきたので、「決められたルールの中で最善を尽くす」ことには慣れていました。でも、ルールのみならず善悪の基準が動いたときにどうするのか、という訓練はほとんど受けていなかったと思います。
世界と仕事をするということは、自分たちが当たり前だと思っている前提そのものを疑うことでもあります。だから私は、一度「日本」に設定した自分の軸を壊して、世界から日本を見直すことが必要だと思っています。
創業後に直面した壁
誰もお金を払わない現実
創業してからは、失敗ばかりです。途上国で働く日本人や旅行者が、医療が不十分な国で病気や怪我をしたら困るだろうと考えて、24時間LINEなどで相談できるアプリやシステムを作ってみたんですけど、これは完全にこけました。
誰がお金を払うのかという段階になると、企業は払ってくれません。すでに大きな保険に入っているから十分だという理由です。ただ、その保険は現地の事情を細かく把握したうえで、すぐに医師と連絡が取れてオンライン診察をしてくれるわけではないんですよね。東京にいる産業医は、現場を知らないので「現地の医療機関を受診してください」としか言えません。でも、その現地の医療機関自体に問題がある。だからこそ現地を知る医師と相談して適切な医療を受けましょうという提案をしているのに、有償となった途端、誰も連絡してこなくなってしまうんです。
たとえばカンボジアやバングラデシュを旅行中にお腹が痛くなったら、日本人の医師に相談したいと思う人は多いはずです。現地のCT室の扉が木製だったりするので、放射線はどうなっているのかと日本人なら不安になります。それでも、なかなかうまくいかない。自動車なら、性能やデザインなど商品の価値を目で見て比較できます。しかし医療サービスには形がありません。日本では当たり前に行われていることほど、その価値を海外にいる相手に可視化し、適切な対価をつけてもらうことが難しい。そこは事業を始めて初めて痛感したことでした。
営業はとても優秀なメンバーがいて、いろいろな場所で弊社の強みを伝えてくれています。それでも刺さる相手と刺さらない相手がいて、途上国に関心がある企業や、利益だけでなく人類にとってよいことをしたいと考えている企業・個人には響きやすい印象です。そうした方々と一緒に、今も複数のプロジェクトが動き始めています。
これから目指す世界
世界の医療地図をつくる
いずれ、世界の8割を占める低・中所得国の医療データを集積していきたいと考えています。たとえば薬剤耐性菌ひとつをとっても、どのエリアにどれくらい特定の抗生剤が効かない菌がいるのか。どこにどんな疾患があるのか。コロナもそうでしたし、日本人にはなじみの薄いデング熱のような病気も、今後は温暖化の影響で日本に入ってくる可能性があります。
そうした疾患が世界のどこにどのくらい分布していて、例えば、薬が効かない菌がどれほど広がっているのか。その世界地図をつくり、そのデータをもとに、日本だけ、途上国だけがよくなればいいということではなく、みんながつながった世界のヘルスケアを実現できたらと思っています。
そこで必ず必要になるのが、日本の医療サービスの質の高さです。それを現地に還元していくことで、現場にも「あの人たちが来てくれてよかった」と理解してもらえて、データの集積や地図づくりにも協力してもらえるはずです。困っている人を助けたいという気持ちは、医学部を目指したときの原点であり、今後のビジョンにもそのままつながっています。
学生へ贈るメッセージ
日本の常識を一度壊す
安定した職を手放して独立するのは、人生一度きりだからこそできた選択だったと思います。世界のいろいろな場所を見て、自分が関わった場所を少しずつよくしていきたいという思いもありました。
もし私が医師になりたてのころだったら、きっと何もできなかったと思います。20年以上、臨床を本気でやってきたからこそ、それを何らかの形で還元できるタイミングが来たのだと感じています。若くして起業する方たちのことも、本当にすごいと尊敬していますが、熟練したスペシャリストが20年以上かけて熟成させた技があるからこそ、それを外に持っていく強さもあるはずです。
学生の皆さんに一言伝えるとしたら、「日本の常識を一度壊してみてほしい」ということですね。自分が常識だと思っていることは、一歩外に出れば常識ではなくなります。常識が通用しない人たちが大多数を占める場に立ったとき、自分がどう交渉できるか。世界はつながっているので、日本の枠組みの中だけで学んできたことが、そのままでは応用できなくなる場面が必ず来ます。
それから、ChatGPTに人生の選択肢を相談するな、です。AIに聞いていたら私はバングラデシュに行ってなかった。
最後に、若いうちに海外へ出たほうが、吸収できる量が全然違うと思います。出たまま海外でさらに力をつけていくのもよし、一度衝撃を受けてから日本に戻り、私のように日本ならではの技術を身につけて、またどこかで外に出ていくのもいいと思います。一度外に出てみないと、日本のよさも意外とわからないものですから。
編集後記
今回の株式会社LotusLink(ロータスリンク)代表・中野さんのインタビューを通して、医療の話は決して自分たちだけの問題ではなく、世界全体でつながっているということを実感しました。安定した環境を離れて挑戦する決断力や、現地の文化まで理解したうえで事業を組み立てていく姿勢には、大学で学んでいるだけでは得られない視点が詰まっていました。「日本の常識を一度壊す」という言葉に触れ、就職活動を控える身として、視野を広く持ちたいと強く感じました。