バスケと度胸が人生の土台
学生時代の原動力
小学6年生からバスケットボールを始めて、小・中・高・大学・社会人と19年間続けました。高校時代は強豪校だったので本当に厳しくて、水を飲んだら叱られる時代。ゲロを吐きながら走るなんて当たり前でした。
大学は四天王寺大学(当時は四天王寺国際仏教大学)に一浪して入ったんですけど、バスケ部を見学に行ったら関西の学生バスケリーグで 4部リーグの下から2番目、つまりかなり下のクラスだったんです。ただ、同期に奈良県の選抜経験者とか、ちゃんとやってきた子が何人かいて。「それやったら俺らでやろうや」ってなって、1回生から4人でスタメンを取りにいきました。
監督も兼任した4年間
2年目に4部リーグで優勝して3部に昇格、翌年は入れ替え戦まで行って、最終的には2部リーグに手がかかるところまで到達しました。ただ、上のリーグはほぼ推薦選手ばかりなのでさすがにきつかった。でも監督がいなかったので私が兼任して、年間スケジュールや遠征合宿の手配、部費の管理まで全部やっていましたね。女子部の監督も掛け持ちしていました。
部活のあとは先輩の焼き鳥屋を手伝ったり、仲間で山崎パンの工場に短期バイトに行って同じレーンでパンを作ったりと、アルバイトもあれこれやりました。あの頃は授業にほとんど出ていなかったけど、社会に出てから役に立った経験ばかりです。
就職氷河期からパチンコ業界へ
通った企業は限られていた
私が就活していた頃は就職氷河期と呼ばれていて、大学の名前でほぼ書類落ちする時代でした。声がかかるのは消費者金融、先物取引、そしてパチンコ業界くらい。あまり気が進まなかったんですが、学生時代からパチンコ自体は好きだったし、先に卒業した同期が1期生として入社していたので、「数合わせで説明会に来てほしい」と声をかけられて行ってみたんです。
そしたら社長と人事部長がいて、雰囲気もゆるく間口が広い感じだったので「まあここでええか」と。友達もいるしって、それだけの理由です。今思えばそんな選び方でよかったのかという気もしますが、当時はもうリクルートスーツを着て暑い中動き回るのもしんどくて(笑)。
業界の変革期に店長として成長
入社して5〜6年目に初めて新店舗の立ち上げを任せてもらいました。ちょうど業界全体が「接客業」として生まれ変わろうとしていた時期で、角刈りとパンチパーマの上司がタバコを吸いながら接客するのが当たり前だった現場が、ホテル並みの接客を目指す空気に変わっていった。その波の中で私は3店舗の立ち上げを経験しました。
その実績を評価していただいてヘッドハンティングされ、次の会社では2店舗から12店舗に拡大するのをほぼ全部自分で手がけました。毎年立ち上げをしながら次の準備をする、というのをずっと繰り返していましたね。
コンサルを経てリタ・マークス((株)地球のために の親会社)へ
10店舗以上立ち上げたあとは、全国でやってみたいという気持ちが出てきて、コンサルティング会社に声をかけてもらいました。九州、四国、関東を中心に、延べ60店舗ほどに関わりました。
その中のクライアントのひとつがリタ・マークス株式会社です。最初は業務委託でしたが、採用から現場づくりまで深く関わっていくうちに「自分の組織みたいな感覚」になっていって。そうしていると、代表より「内藤さんとはずっと一緒に仕事がしたいと思っている」と役員への打診を受け、最終的には取締役に就いていました。
「後ろめたい」を「誇れる」に変えるために
コロナ禍が突きつけた課題
緊急事態宣言下での休業要請などもあり、コロナ禍で業界全体が傾きました。うちのグループも例外ではなく、関東から撤退して大阪・梅田の店舗を守ることに集中しました。ただ、梅田はビジネス街なので人がいなくなってしまって。
それ以上につらかったのは、パチンコへの社会的な目が一気に厳しくなったことです。家族にも彼氏彼女にも言えない、隠れて行くという方もいたようです。これは本質的に解決しないといけない課題だと思いました。
「遊んだら木が増える」という発想
「パチンコに行くことが社会の役に立つなら、後ろめたくないはずだ」というところから考えていったんです。
パチンコホールは電気使用量がとても多い業界です。ただ使うだけではなくて、SDGsの観点から地球温暖化対策に直結する仕組みを作れないかと。そこで生まれたのが「植林ぱちんこ」です。お客様が遊技するたびに積み上がる回転数のデータと、実際に植える木の本数を連動させる仕組みで、朝の営業開始から閉店まで、パチンコホールのデータ管理コンピューターと専用システムを連携させてリアルタイムで本数が増えていくサイネージを店内に設置しています。
その本数分の植林を、公益財団法人オイスカを通じて実際に行います。オイスカは世界41の国・地域に活動拠点を持ち、発展途上国での植林活動や農業支援、教育支援などをおこなっている団体です。私たちの支援ではタイ、フィリピン、フィジー、ウズベキスタンで植林を実施しています。
採用・CSRとセットで届ける
植林ぱちんこは、店舗への月額利用料でビジネスとして成り立っています。利用料をいただく代わりに、広報活動に使える素材や現地からの活動報告ポスターを毎月提供しています。
導入のメリットは環境貢献だけではありません。若い世代はSDGsへの共感が高い。「なぜパチンコ店で働くのか」と問われたとき、「ここは遊技が直接地球環境への貢献につながっている」と言える職場になることで、採用にもプラスに働きます。また、パチンコ業界のイメージを「消費型レジャー」から「地球に投資するレジャー」へと変えていくことが、長期的なビジョンです。
将来的にはパチンコ以外のレジャー産業とも連携して、「レジャーの力で地球を守る」というビジョンを広げていきたいと考えています。
難しい方を選ぶ、それだけ
断らないことで広がるキャパシティ
学生時代、学校行事や地域のイベントから人員の依頼があるたびに、絶対断りませんでした。面倒だと思っても、まず「やる」と言う。できなかったらそのときに謝ればいい。でも、やろうとする過程で誰かに手伝ってもらったり、協力してもらったりするうちに、ネットワークが広がっていく。困ったときに助けてもらえる人が増えていく。
これは設計しようと思ってできるものではないけれど、一つ言えることがあるとすれば「必ず難しい方を選ぶ」ということです。
やらない方が楽な選択肢が目の前にあるとき、あえて難しい方を取り続けることで、自分のキャパシティが少しずつ大きくなっていく。そういう積み重ねが、今の自分をつくっていると思っています。
メンバーの背中を押す組織へ
弊社の魅力は、ベンチャー気質で何でもチャレンジできる環境だと思っています。人数が多くない分、外部の方の協力も借りながらスピーディーに動ける。細かい稟議や根回しで時間をとられることなく、直感的に動いていける。
私自身も、メンバーの考えや行動に対してブレーキをかけるよりも、できるだけ背中を押せる立場でいたいと心がけています。
編集後記
内藤さんのお話を聞いて、一番印象に残ったのは「難しい方を選び続ける」という言葉でした。就職氷河期に妥協から入った業界で、接客革命の波を現場で体感しながら実績を積み上げ、コンサルとして全国を渡り歩いた。そのすべての経験が、コロナ禍という逆境で「パチンコで木を植える」というアイデアに結実していました。SDGsを掲げる企業は多い中で、営業そのものと環境貢献を直結させた仕組みは、業界の課題に真正面から向き合っているからこそ生まれたものだと感じます。就活でも「楽な選択肢」を取りがちな私にとって、難しい方を選び続ける姿勢はとても刺さりました。