二つの原体験が今につながっている
PRという仕事の中身
弊社はPR会社です。主なお客様は食品メーカーをはじめとする事業会社で、企業や商品のPR活動を外部パートナーとして支援しています。具体的には、マスメディアに企業情報や商品を取り上げてもらうための企画・提案を行ったり、SNSではインフルエンサーにオーガニックで情報を発信してもらう施策を企画・実行したりしています。私たちの役割は、単にメディアに取り上げてもらったり、SNSで紹介してもらったりすることではありません。クライアントのマーケティング戦略に基づいてPRやSNS施策を設計し、その先にある「商品やサービスが売れること」まで見据えて支援することが、本来の役割です。
クライアントと一緒にマーケティング戦略を考え、その戦略に沿ってPR施策を企画・実行する、それが私たちの仕事です。
「広告なし」で広めた話
私がこの仕事をしている原点は、新卒で入社したPR会社での経験にあります。実は、その会社には学生アルバイトとして働き始め、そのまま新卒で入社しました。
今の仕事につながる原体験は、大きく2つあります。
1つ目は、「キシリトールガム」のPRです。
1997年に日本へ上陸したキシリトールは、砂糖のような甘味料でありながら、むし歯予防に役立つことが特徴でした。しかし当時は広告規制があり、特定保健用食品や医薬品ではない商品が「むし歯予防効果」を広告で訴求することはできませんでした。そこで私たちが考えたのは、広告ではなく第三者の力を借りる方法です。大学教授などの専門家に協力していただき、「キシリトールにはむし歯予防効果があること」や、「北欧・フィンランドではすでに広く普及していること」を客観的な立場から伝えていただきました。
その内容がテレビ番組などで数多く取り上げられた結果、わずか1年ほどで「キシリトール=むし歯予防」という認知が日本中に広がっていったのです。広告では伝えられないことでも、PRという手法を使えば社会全体に一気に浸透させられる。企業が広告枠を買って情報を発信するだけではなく、専門家という第三者の力を借りて社会に広めていく方法がある。その面白さを初めて実感した経験でした。
P&Gで学んだ発想の転換
2つ目の原体験は、「ファブリーズ」プロジェクトです。
一般的なPR会社は、企業イメージの向上や広告キャンペーンの一環としてPRを行うケースが多くあります。一方、私たちは「売れること」をゴールにしたPRを重視していました。
1998年頃から約2年間、日本に上陸したばかりのP&Gの「ファブリーズ」のPRに携わりました。当時の消臭剤は、トイレや玄関に置く置き型タイプが主流でした。しかし私たちは、「家の中のニオイの原因は空気ではなく、布に染みついたニオイにある」という新しい考え方そのものを伝えることに力を入れました。
つまり、ファブリーズという商品を売り込むのではなく、「消臭とは何か」という生活者の常識そのものを変えるアプローチです。
同じくP&Gの洗剤「アリエール」でも、当時は「白いシャツがより白く洗えること」が洗剤選びの基準でした。そこで、「目には見えない菌も汚れであり、それが部屋干し臭の原因になっている」という新しい価値観を発信することで、洗剤を選ぶ基準そのものを変えていきました。どちらのプロジェクトにも共通していたのは、商品の特徴を説明することではなく、生活者の考え方や行動そのものを変えることです。
この2つのプロジェクトを通して、マーケティングと連動したPRは、人の意識や市場そのものを動かせるという面白さを実感しました。そして、先ほどのキシリトールの経験とあわせて、今の私の仕事観を形づくる原体験になっています。
学生アルバイトとして働き始めてから社会人6年目まで約9年間。その経験が、現在の仕事の土台になっています。
独立を決めた理由
メーカー時代に感じた孤独
そこから少し物足りなさを感じ始めたんです。企業を外側で支援するというのは、あくまで主体者ではなくて、主役は別にいる立場なんですよね。それだと物足りないなと思って、メーカーに行ってみたいと考えて、お茶の会社である伊藤園に転職しました。伊藤園では広告とPRを含むマーケティングの仕事をしていたんですけど、メーカーというのは社内の調整ごとがたくさんあって、純粋に仕事をしている時間より調整事をしている時間のほうが長いこともありました。これが創業のきっかけになるんですけど、当時の伊藤園には大手広告会社が何社も入っていて、そういう会社の特徴は、広告のプランやプロモーションのプランは提案してくれるんですけど、一緒にどう売るかを考えてくれる会社が一つもなかったんですよね。一方で、メーカーでマーケティングや宣伝を担当している人というのは結構孤独なんです。担当がそれぞれ分かれていて社内であまり相談できず、上司には「どうなってるんだ」と言われるんですよね。精神的にもきつい仕事なんですけど、そういう孤独になってしまう人を助けてくれる人がいなかったので、自分でやろうと思ったんですよ。
2005年、独立を決めた
そういった背景があって、2005年に創業しました。「食品」と「ヘルスケア」という分野に限った、売れる PRをやる会社として立ち上げたのが、今の株式会社エムスリー・カンパニーです。
業種を絞った理由
業種を食品・ヘルスケアメーカーに絞ったのは、クライアントのことを深く理解したかったからです。さまざまな業種を幅広く手がけると、それぞれの市場や消費者、業界特有の課題まで理解するのは現実的に難しくなります。だからこそ、業種を絞ることで、メーカーの担当者と同じ目線で考え、同じ危機感や課題意識を持って伴走できる会社を目指しました。その考え方を大切にしながら事業を続け、今の会社のスタイルが形づくられてきました。それが、私の創業の経緯であり事業の根幹でもあります。
人に頼らない会社をつくる
人が増えなければ伸びない
PR会社のビジネスは、広告枠や商品を販売する仕事ではありません。例えば、あるクライアントを3人のチームで担当する場合、その3人分の人件費、いわゆるフィーをいただくことで成り立っています。そのため、売上や事業を拡大しようとすると、どうしても人を増やす必要があります。しかし、人材は一朝一夕に増やせるものではありません。売上を伸ばすには人が必要ですが、一度に何倍もの人材を採用することは難しく、近年の採用環境ではなおさら簡単ではありません。この「事業を伸ばしたくても、人材がボトルネックになる」という課題を、私はずっと感じてきました。
さらに、私たちの仕事は人そのものが商品であり、サービスでもあります。提供する価値は、一人ひとりの知識や経験、提案力によって大きく左右されます。そのため、人材を採用することも、人材を育成することも欠かせません。だからこそ、採用と教育の両方を継続的に行いながら組織を成長させていくことが、私たちにとって最大の経営課題であり続けているのです。
AIが変えた仕事の速度
その課題を解決する1つの方法として、AIをうまく使っています。人が考えなければいけないことは、ゴールまでの半分くらいまで AIでつくって、そこから人の手を加えて完成品にしていくんです。それを世の中の会社がまだあまり導入していないくらい早い段階、2024年の終わりから2025年の1月には、もう社内全員で使うようにしていました。今も AIを使ってデータ分析をしたり、企画書をつくったりして効率化しています。弊社は 20人ほどの会社なんですけど、以前と比べて1.5倍から2倍くらいの仕事ができていると思います。人数が足りなくて売上が伸びないという課題も、教育をしなければという課題も、AIにナレッジや過去の成功事例を入れ込んでいるので、新卒で入った人もそれをうまく使いながらやってもらうと、割と早い段階で慣れてもらえるんですよね。売上を伸ばすという意味でも、教育をするという意味でも、AIがそれを変えてくれようとしている状況ですね。
AIを外部にも開放する
社内でうまくいったので、今度はこれを社外にも展開したいと思っています。私たちは 20人ほどしかいないので相手にできる企業数に限りがあるんですけど、人が直接日々相手にしなくても、PRや売上を上げたい会社はたくさんあります。そういう会社に、私たちが使っている AIそのものを提供することで、よりサービスの幅を広げられるんじゃないかと思うんです。今はそれを広げていくフェーズですね。人がやっていることの大部分を AIに置き換えて、人がいなくてもお客さんにサービスできるようにするというのが、今後のビジョンですね。とはいえ、新卒・中途を問わず採用にはずっと苦労していて、今でもそこが一番大きな課題かもしれません。
学生へのメッセージ
過去の成功に縛られない
私も含めて、これから学生の皆さんが成長して大人になっていく過程は、今までの日本とは違うものになっていくと思うんですよね、良くも悪くも。そうなったときに、過去の成功モデルに縛られないでほしいなとすごく思います。大企業に入ればいいというわけでもないでしょうし、いい大学を出ているからいい商社に行く、というような画一的な道ではなくて、自分の成功モデルを自分でつくっていくのが人生かなと思うんです。しかも今はめちゃくちゃチャンスだと思うんですよね。私みたいな昭和世代のおじさんもそのうちいなくなりますし、今までの常識がビジネスの世界でもいろいろ変わっていくんですよね。新しくつくったほうが勝ちなので、自分の成功モデルや自分のやりたいことは、人のことや過去のことを参考にせずに、まず大事にしたほうがいいんじゃないかなと思いますね。親御さんやおじいちゃんおばあちゃんから、いろいろ言われることもあるかもしれないですけど、ご意見として聞きつつ、自分のスタイルはどうなのかというところを考えていくといいと思います。
編集後記
今回のお話でいちばん印象に残ったのは、過去の成功モデルをベンチマークにしてしまう癖を松本さんがはっきり手放していたことです。私自身、学生団体やビジネスの場面でつい前例を探してしまうのですが、捨てる勇気こそが戦略だという言葉に背中を押されました。AIを早い段階で全社導入した決断力にも驚かされます。自分の成功モデルを自分でつくる、という姿勢を胸に、これからの活動に取り組んでいきたいと思います。