インタビュー

タコベル日本上陸の裏側で、私が学んだ「与える側」になるということ

PROFILE
株式会社TBJ 取締役副社長
坂田 賢

第一志望には行けなかった学生時代

正直に言うと、出身の青山学院大学は第一志望ではありませんでした。中学受験でも高校受験でも早稲田と慶応を受けて、結局落ちてしまったんです。だから「行きたくもない」青学に進学しました。

学生時代は授業よりも、サーフィンに明け暮れたり、古着屋めぐりをしたり、バイクに乗ったりしていましたね。今思えば、勉強よりも「どうやったら女性にモテるか」ばかり考えていたかもしれません(笑)。

きつく怒られながら覚えた営業

大学卒業後は大手広告代理店に入社しました。モデルさんと結婚できるような華やかな世界をイメージしていたんですけど、そんなに甘くなかったんですよね。

当時はまだ上場していない時代で、コンプライアンスもなにもあったものではありませんでした。上司に強く怒られたり、合コンの調整をさせられたり。新入社員のころにはカラオケでみんなの前で服を脱がされて、家に帰って泣いたこともあります。

ただ、一ヶ月もすると、自分から脱ぐタイミングを見極めるようになっていました。どこで笑いを取れば場が和むか、打ち合わせ中にどう空気を作れば自分に有利になるか。体で覚えていったんです。あの環境は、今振り返ると本当に勉強になりました。

ネット広告の黎明期で覚醒した

入社三~四年目のころ、私はNTTのハウスエージェンシーに出向になりました。インターネット広告の立ち上げメンバーとして、検索エンジン「goo」のロボット検索システムを初めて使う仕事に携わっていたんです。

その頃が二十代後半、ここが一番勉強になった時期だと思います。電通から同期が二人出向してきていて、三人で売上を取り合うような環境でした。そこで勝ち残って、最年少でグループリーダー、いわゆる担当課長になったんです。

本来、私は人見知りで、営業に向いているタイプではありません。でも、インターネットメディアという新しい領域で、なにかが覚醒したような感覚がありました。大学の後輩にあたるサイバーエージェントの藤田が独立して会社を立ち上げたのを見ていたことも、刺激になりましたね。

ニューヨーク駐在でできたつながりが、今の財産

2000年、NTTグループの再編にあわせて私はアメリカ・ニューヨークに一年間駐在しました。客室乗務員から経営者まで、いろいろな人と知り合う機会があったんです。その中の一人がブルーボトルコーヒーの代表でした。当時はまだ無名でしたが、そのときの縁が今の仕事につながっています。

帰国後は、いくつもの会社の株主やオーナーという立場で、さまざまな事業に関わってきました。Sweet XOというスイーツ店では、大きなわたあめのアイデアなどを出して、十七坪の店舗で月商五千万円という大行列ができました。

ただ、コロナ禍が来てしまい、売却しました。

フローズンポップコーンの挫折と再起

その後、カリフォルニア発のフローズンポップコーンのセレクトショップを立ち上げました。最初はテレビでも取り上げられて期待していたのですが、ふたを開けてみると土日合わせて売上十万円ほどという惨敗です。

営業マンの性分なのか、やばいと思った瞬間にすぐ動きました。韓国から光る入れ物を探してきたり、いろいろ手を尽くしたりしたのですが、結局事業がうまく回らず、香港のファンドに売却することになりました。これが私にとって二度目の挫折です。

一度目は表参道のハワイアンパンケーキ店でした。表参道、京都、福岡、名古屋に展開し、台湾や香港にも進出して急成長したのですが、最終的に経営権をバイアウトする形で手放しています。

縁日をヒントに大成功

フローズンポップコーンがうまくいかなかったあと、たくさんの市場を見に行く中で、カラフルなお祭りの縁日をテーマにすれば面白いのではないかと思いつき、これが大成功につながりました。

私が一番強いのは、ファッションへの「キャッチアップ」する感覚だと思っています。自分で服をデザインしたいわけではなく、ブランディングという客観的な視点から「これが今の時代に合っている」というキーワードを拾ってくる。それが私の武器です。

タコベル日本進出という「近道」

Sweet XOがコロナで立ち行かなくなったタイミングで、タコベルの話をいただきました。

正直、アメリカに住んでいた経験から、タコベルが世界No.1の店舗数を誇るブランドであることは知っていました。アメリカだけで七千店舗、インドでも千店舗。一方でアジアでの展開はまだ弱い。ゼロから一を作るのが得意な私ですが、五十代になってきて「ここは近道なんじゃないか」と感じたんです。

現在、タコベルは日本で十店舗を展開していて、今年は四店舗を新規出店する予定です。来年からはさらに六店舗ずつ増やし、三年でしっかり結果を出すところまで持っていきたいと思っています。

KFCとタコベルを抱える本国のブランド管理は厳しく、化学調味料が使えなかったり、魚介類の扱いにも制約があったりします。それでも日本らしさを出すために、いろいろなコラボレーションに挑戦してきました。

最近では、アーティストのアイナ・ジ・エンドさんとコラボレーションしました。今後もさまざまなアーティストとのコラボを企画しているので、ぜひ楽しみにしていてください。

※アイナ・ジ・エンドさんのサインです

人脈は「ガッツ」で作るもの

人脈づくりについてよく聞かれるのですが、私自身は実は友達がほとんどいません。プライベートで人と付き合うタイプではないんです。

ただ、ビジネスの出会いは一期一会だと思っているので、その一回にどれだけパワーを集中できるかを大切にしています。

あるアーティストとつながったときも、最初は公式にメールを三回送って無視されました。それでも名刺をつけて自分の名前で送り続けて、四回目でようやく返事が来たんです。男性アーティストのときも同じように、自分から問い合わせをして関係を築いていきました。

仕事を取るためには、頭の中で何度もシミュレーションして、プレゼンの前にどう空気を作るかまで考え抜く。やりすぎるくらいでちょうどいいと、いつも思っています。

「与えられる側」から「与える側」へ

最近の若い世代によく言うのが、プライベートと仕事の境界線についてです。「プライベートだから関係ない」という考え方を、私はあまり評価していません。

任されている仕事をする人、最大のリスクを背負っている人には、本来プライベートと仕事の区別はないと思っています。これは労働者の発想で、経営者の発想ではありません。

社員にもよく言うのは「与えられる人間から、与える人間にどう変われるか」ということです。ここが人生における大きな境界線だと、私は本気で思っています。

若いうちは体や時間を使って働く経験が必要です。それをやっていないと、後になって頭を使う仕事に転換できなくなってしまう。だからこそ、忍耐力をどこかで身につける時間が必要だと考えています。

客観性とマーケティング思考

私はファッションが好きですが、人の目はまったく気にしていません。むしろ「自分がどう見えているか」という客観性を、とても大切にしています。

成功している人には共通の方程式があります。苦労した人が応援される。地元を味方につけて全国区になる人がいる。そうした成功事例を観察して、自分にどう応用できるかを考えることが、マーケティング思考だと思うんです。

「仕事=意欲×行動÷時間」

私のモットーは「仕事=意欲×行動÷時間」です。充分な時間をかけて100点満点を目指すのではなく、いつもスピードを意識して70点の合格点を確実に取り、業務をクリアしていく。そして、常に動きながら、考えながら、臨機応変に変化させていきながら事業を完成させていく事を大切にしています。

プラスマイナスゼロの法則

最後に伝えたいのは、人生はプラスマイナスゼロだということです。

大成功した人ほど、最後はもとに戻る瞬間がある。三木谷さんのような大成功者でも、楽天モバイルで苦戦されている時期もあります。逆に、今華やかに見える人も、幼少期にはとても苦しい時代を過ごしていたりするものです。

私自身、四十歳くらいまでは成功しても意味がないと思っていました。しかし、自分だけがうまくいけばいいという考え方では、結局最後はうまくいかなくなるんですよね。周りの人が幸せになる絵を一緒に描けるかどうかが、本当に大事だと今は思っています。

平均化の法則」と私は呼んでいるのですが、最後はみんな平均に戻っていく。だから、就職活動で全滅したり、受験に失敗したりしても、そのマイナスはいずれプラスに転じるはずだと信じてほしいんです。そのうえで、三年後、五年後の自分がどう生きたいか、ビジョンから逆算して今すべきことを考えてもらえたらと思います。

失敗を恐れて何もやらない人より、「これをやりたいんです」と言ってくる人を、私は評価します。やり続けることでしか、運は動きません。運動という漢字は、文字通り「運を動かす」と書くんです。

編集後記

今回のインタビューを通して、坂田さんの「与える側になる」という言葉がとても印象に残りました。学生のうちはどうしても与えられることに慣れてしまいがちですが、いずれ社会に出れば、誰かに何かを与える立場になっていきます。挫折や失敗をプラスマイナスゼロと捉え、長い目でビジョンを描く姿勢は、私自身もこれから大切にしていきたいと感じました。貴重なお話をありがとうございました。