インタビュー

「現場の自動化なんて、絶対あり得ない」と言い切っていた過去 ― 埼玉で重機と歩んだ男の現在地

更新: 2026年9月4日
「現場の自動化なんて、絶対あり得ない」と言い切っていた過去 ― 埼玉で重機と歩んだ男の現在地
PROFILE
多胡 圭一 代表取締役 
株式会社 多胡建材

継ぐ気はなかった、大学選びの話

高校では継ぐ意識があった

高校生の頃は、父が起業した建設業をいずれ継ぐんだろうなという意識で過ごしていました。ところが大学進学のタイミングで、いわゆる昔でいう「3K(キツイ、汚い、危険)」の業界や友人関係の雰囲気がどうも自分には合わない気がしてしまって。当時伸びていたコンピューター関連への興味もあり、建設や土木ではなく経営工学の道を選びました。後を継ぐのはやめようという気持ちで、大学を切り替えたんです。

応援団で鍛えられた4年間

大学生活は、友人に誘われて入った応援団に明け暮れていました。正直、楽しい大学生活とは言えなかったですね。厳しくて、当時は「なんでこんなことになったんだろう」と思うこともありました。ただ、マナーや礼儀、忍耐といった部分は、今振り返ればプラスになったなと感じています。

NECの子会社で過ごした2年間

常務の下、たった一人の配属

就活の時期は、いわゆる売り手市場で企業の方から声がかかる状況でした。そのなかで、ブランド力に惹かれてNECの子会社に入社しました。配属先は第一営業部。序列のある他部署とは異なり、常務直属で自分一人という特殊な体制でした。「あとは自分の考えでやれ」というスタンスで、応援団で鍛えられていたこともあり、意外とストレスなくやれていた覚えがあります。

ある一言で独立を意識した

2年ほど勤めたころ、ある方から独立を意識する大きなきっかけをいただきました。その方は慶応大学を出て丸紅に就職し、仕事が軌道に乗った際に企画・立案をしたものの、上司から会議に上げてもらえず承認が得られなかった経験をお持ちでした。今の会社でこのままで良いのかと自問自答した末に、リスクはあるが起業に至ったというその方から、『君はもう土台はある。責任は伴うが、挑戦し、実行ができることをなぜやらないのか?』『いくら頑張っても部長までだろう。慶応大学を出て丸紅のような大手にいた人でも、自分で会社を起こさなければ社長にはなれない。小さくても後を継いだほうがいい』と言われたのです。その言葉を聞いて気持ちが固まり、2年で会社を辞め、家業を継ぐ決意をしました。

 

大阪での3年間で学んだこと

スーツ姿から作業着への転身

家業に入る前、いきなり甘えた状態で入るのは嫌だと思い、大阪での修行を自分から希望しました。仕事のことは何もわからない状態からのスタートで、とにかく一番下から、汚れる仕事から叩き込まれました。営業でスーツを着ていた頃とのギャップが大きく、最初の半年はかなり悩みましたね。関東から来たというだけで周りから孤立していた時期もありました。それを助けてくれたのが、現場で出会った取引先の方でした。現場特有の知識や仕事の進め方、言葉の意味を教えてもらい、少しずつ馴染んでいきました。

「段取り8割」という教え

大阪で叩き込まれたのが、段取りの大切さです。関東では「段取り7割」といわれるところを、大阪ではそれよりも厳しい「段取り8割」と教わりました。この教えは今でも自分の仕事の軸になっています。既成概念を取っ払って、これまでとは違う施工方法や機械を思い切って導入したこともありました。最初は誰もやっていなかったやり方でしたが、信頼してくれた現場の所長のおかげで挑戦することができ、結果的にはうまくいき、その後は他社が真似するようになりました。

埼玉に戻り、会社を広げてきた

材料販売から工事中心へ

3年の修行を終えて埼玉に戻り、そこから徐々に事業の幅を広げていきました。もともと材料販売から始まった会社でしたが、自分が入ってからは工事に絡む部分を増やし、逆に工事とは関係のない単独の材料販売は減らしていきました。

建築7割、土木3割という構成

現在は建築が7割、土木が3割という構成です。営業エリアは埼玉県を中心に、群馬・千葉・栃木まで広がっています。取引先も土木と建築でまったく異なるため、社内でも建築は自分、土木は専務が担当する形で分けています。

変わりゆく建設業界と、若手不足という課題

20代がぱったりいなくなった

正直なところ、ここ十数年、建設現場に20代の若い人が入ってくることはほとんどなくなりました。平成15年前後を境に、ぱったりと途絶えてしまった印象があります。自分なりに考えてみると、昔は重機やダンプの仕事にいわゆる「やんちゃ」な若者が多く流れ込んでいたんですが、SNSを活用して効率的に稼ぐ方法や、多様な働き方が広がったことで、そうした層の受け皿が変わっていったのかなと感じています。

AIへの見方が変わった

ロボットやAIの話も、この数年で自分のなかで大きく変わりました。10年前は「建設現場でAIや自動重機なんて絶対に使わない」と言い切っていたんです。ところが、この1年ほどでAIソリューションが急速に進んできて、ゲーム感覚で重機を操作できるような話も耳にするようになりました。あと4、5年もすれば、体育会系でゲームにも慣れている若い世代が活躍できる時代が来るかもしれないと、今は感じています。

これから、10年でやりたいこと

技術を若い世代へ引き継ぐ

今、会社の従業員は40代後半から60代が中心で、なかには70歳の方もいます。20年近く支えてもらってきましたが、少しずつ高齢化も進んでいます。だからこそ、20代・30代の方に入ってもらい、自分の技術をすべて受け継いでもらうことが、残りの役目だと思っています。自分もあと10年ほどだと思うので、その間に会社をより安定した体制にしていきたいですね。

若い世代へ伝えたいこと

自分自身、大阪での3年間はつらい経験の連続でした。それでも「何くそ」という気持ちで続けられたのはなぜなのか、あとから振り返って気づいたんです。旅行に行っても、つい工事現場が気になって見てしまう。それくらい、この建設業という仕事が好きなんだなと気づきました。好きなことは、きっと耐えられます。なるべく早く自分の好きなものを見つけてほしいなと思います。

もうひとつ伝えたいのは、拠点を変えてゼロから出発することも、案外悪くないということです。友達もいない場所での出発は、最初こそ辛いかもしれません。ただそこで出会った人とは、今でもお付き合いが続いています。身近な場所にいると馴れ合いになりがちですが、ゼロから人間関係や仕事を築いていく経験は、きっと大きな財産になると思います。

編集後記

多胡さんのお話を伺って、印象に残ったのは「既成概念を取り払う」という言葉でした。大阪での修行時代に叩き込まれた「段取り8割」の精神が、今の会社の施工スタイルの土台になっていることがよくわかりました。10年前は「AIなんて絶対に使わない」と言い切っていたという多胡さんが、今は若い世代とAI・重機の可能性に前向きな姿勢を見せていたのも印象的です。変わりゆく時代のなかで、変わらない信念と、柔軟に変わっていく視点の両方を持つことの大切さを感じるインタビューでした。