大学で知った「自由」が、ものづくりの原点
一人の部屋が、とにかく楽しかった
大学時代は、愛媛県出身の私にとって、初めて親元を離れて暮らした時間でした。
日本大学への進学が決まり、向かったのは千葉県の津田沼。上京したばかりの頃は電車の乗り方もよく分からず、「いったいどこまでつながっているんだろう」と思うほど長い電車にも驚いていました。
そんな大学生活で、最初に強く感じたのが「自由」でした。
何をするかも、どう過ごすかも、自分で決める。自分で選び、その結果も自分で受け止める。そんな感覚を初めて味わったのが、大学生活の始まりだったと思います。
当時はまだ友人もそれほど多くなく、頻繁に遊びに出かけるような生活ではありませんでした。
それでも、日当たりの悪い小さな自分の部屋を、どうしたら少しでも心地よくできるだろうと考え、家具の位置を変えたり、自分なりに空間を整えたりすることが、とにかく楽しかったんです。
今振り返ると、「自分の手で環境を少し良くする」という感覚が、ものづくりを好きになった原点の一つだったのかもしれません。
図面を書くのが好きだった
建築学科に進んだのは、意匠設計をやりたいという思いがあったからです。とにかく図面を書きたくて、建築の道を選びました。
実家は塗装業を営んでいて、父も建築学科の出身でした。
父が仕事で持ち帰ってくる大きな青焼きの図面を広げ、そこから塗装する面積を積算している姿を子どもの頃から見ていました。その青い図面が、なぜかすごく格好よく見えたんです。
「自分もこんな図面を描いてみたい」
そんな単純な憧れが、建築を志した最初のきっかけでした。
大学1年生の頃から、製図板やドラフター(製図用の作図器具)が部屋の4分の1ほどを占めていて、そこで黙々と図面を書いていました。
私は比較的早い段階でやりたいことを見つけられた方だと思います。
でも、学生のみなさん全員が、この時期にやりたいことを決めている必要はないと思っています。
大切なのは、「少し面白い」「もっとやってみたい」という自分の感覚を見逃さないことです。
私にとっては、それが図面を書くことでした。
迷わず設計に飛び込んだ就職活動
大手かどうかより、何を経験できるか
就職活動は、大学3年生の10月頃から本格的に動き始めました。当時は就職環境も厳しく、企業説明会にはかなり早い段階から参加していた記憶があります。
憧れていたアトリエ系の設計事務所には、当時、いわゆる丁稚(でっち)に近い働き方をするところもあり、給与も決して高くありませんでした。
一方で、親元を離れて自分で生活していく以上、きちんと暮らしていけるだけの収入も必要です。
そこで私は、会社の規模や知名度よりも、「生活ができて、なおかつ若いうちから設計を経験できる場所」を探しました。
行き着いたのが、埼玉を中心に事業を展開する会社で立ち上がったばかりの新しい部署でした。
当時は、施工や営業などを経験してから設計へ進む会社も多い中で、新卒1年目からお客様と向き合い、設計を任せてもらえる環境でした。
私にとっては、それが何より魅力的でした。
社会人になったばかりの頃は、とにかく仕事を覚えたい、設計が上手くなりたいという気持ちが強く、夢中で働いていました。
もちろん今振り返れば、ただ長く働けば成長するわけではありません。
大事なのは、どれだけ自分で考え、挑戦し、失敗から学び、次に生かせるかです。
ただ、憧れていた「お客様のために設計をする」という仕事に就けた喜びは、今でもよく覚えています。
コンサルタントとして独立した理由
独立までの4年間が、起業の土台になった
起業したいという気持ちは、比較的早い段階からありました。
とはいえ、実際に独立を考え始めた頃は、その先に何があるのかまったく見えていませんでした。
自分にはどれくらいの実力が必要なのか。独立して、本当に仕事をしていけるのか。
そんなことをずっと考えていたと思います。
前職では、設計だけでなく、積算や購買、現場管理など、本当に幅広い仕事を経験させてもらいました。
一つひとつの仕事を別々に考えるのではなく、家づくり全体を見ることができた経験は、現在の自分やDICEの考え方にも大きくつながっています。
また、社外のさまざまな方と仕事をする機会にも恵まれました。
そのご縁から、独立した際に声をかけてくださった会社があり、最初に顧問契約を結ばせてもらったことが、起業の第一歩になりました。
そのため、私の場合は「設計事務所として独立した」というよりも、家づくりや会社の仕組みを一緒に考えるコンサルタントとしてスタートした、という方が実態に近いと思います。
独立について初めて会社に相談したのは28歳頃でした。
当時はさまざまな業務を担当させてもらっていたため、すぐに退職するのではなく、会社と相談しながら後任の育成や業務の引き継ぎを進めました。
結果として、独立までには約4年の時間がかかりました。
当時は長く感じたこともありました。
でも振り返ると、その4年間があったからこそ、仕事を整理し、人に伝え、任せていく経験もできました。独立後につながる人とのご縁も生まれ、自分なりの仕事に対する考え方も少しずつ形になっていきました。
人生は、自分が思い描いた通りのスピードで進むとは限りません。
でも、一見遠回りに見える時間が、あとになって大きな意味を持つことがあります。
私にとって、この4年間はまさにそんな時間でした。
設計・ホームプロダクツ・グラフィックを一社でやる理由
家づくりの仕組みから考えたかった
弊社は、一級建築士事務所、ホームプロダクツ、グラフィックデザインという3つの事業を、一つの会社の中で行っています。
もともとコンサルタントとしてスタートしたこともあり、設計事務所としては少し珍しい体制かもしれません。
前職時代、注文住宅では接客から設計、見積もり、現場管理まで幅広く携わっていました。
その中でずっと感じていたのが、「お客様にとって良いものをつくること」と「事業としてきちんと利益を残すこと」を両立させる難しさでした。
利益を優先しすぎれば、お客様にとって本当に良い提案から離れてしまうかもしれない。
一方で、利益が残らなければ、良い仕事を継続していくこともできません。
だったら、目の前の設計だけではなく、家づくりを取り巻く仕組みそのものから考えてみよう。
その発想が、現在の3つの事業につながっています。
設計、商品開発、グラフィックは、一見すると別々の仕事に見えます。
しかし、私たちにとってはすべて、「より良いものを考え、つくり、伝える」という一つの流れの中にあります。
建築を考えることで商品開発のアイデアが生まれ、商品を考えることで素材や納まりへの理解が深まる。
グラフィックを通して「どうすれば価値が伝わるのか」を考えることが、設計のプレゼンテーションや会社のブランドづくりにも返ってきます。
3つの事業を持つこと自体が目的なのではありません。
それぞれから得た知識や視点を循環させることで、これまでになかった価値を生み出し、会社全体の提案力やデザインの質を高めていきたいと考えています。
領域を越えることで、できることを増やしていく
DICEでは、全員が設計も商品開発もグラフィックもできるようになることを求めているわけではありません。
人にはそれぞれ得意なことがあり、専門性があります。
それは、とても大切なものです。
一方で、「ここから先は自分の仕事ではない」と必要以上に線を引かないことも大切にしています。
設計者が商品開発から気づきを得ることもあれば、グラフィックの視点が建築の見せ方を変えることもあります。
ホームプロダクツから生まれた商品が設計の選択肢を増やし、そこで得られた反応が、また次の商品や空間づくりにつながっていく。
違う専門性を持つ人たちが同じ会社にいることで、それぞれの知識や経験が混ざり合い、今までになかったものを生み出せる会社にしたいと思っています。
これは、これから社会に出るみなさんにも通じることだと思います。
最初に選んだ仕事だけが、自分の可能性のすべてではありません。
一つのことを深く掘ることも大切ですし、そこから少し隣の世界を覗いてみることも、自分の可能性を広げてくれます。
私自身、新しいことに挑戦する中で、一番苦労したのは人手でした。
少人数の会社で複数の事業を始めれば、どうしても私自身が多くを兼任することになります。
創業当初は、「自分ができるのだから、何とかできるだろう」と考えていた部分もありました。
でも、事業を本気で育て、一定以上の品質をつくろうとすれば、それぞれの分野に人と時間をかける必要があります。
今では、一人で何でもできる人を目指すよりも、それぞれの強みを持った人たちが力を掛け合わせた方が、ずっと大きなことができると思っています。
それが、DICEらしい会社のつくり方でもあります。
組織づくりの大きな転換点
コーポレートカルチャースタンダードという考え方
弊社では、CCS(コーポレートカルチャースタンダード)という企業文化をとても大切にしています。
会社として何を大切にし、どのような考え方で仕事をするのかを言葉にし、それに共感する人たちと一緒に働いていきたいという考え方です。
設計力や技術力を磨くことはもちろん大切です。
でも、それだけではなく、「どんな組織で、どんな人たちと、どんな仕事をしていくのか」も、会社の大切な価値だと考えています。
20人まで増やして見えたもの
一年半ほど前、正社員7名のうち5名が退職するという、会社にとって大きな転換点がありました。
当時は、役職や上下関係にできるだけ頼らず、それぞれが自律的に判断して動く「ティール組織」の考え方を取り入れていました。
しかし、その経験を通じて、理想とする組織の形を掲げるだけではなく、会社の成長段階やメンバー構成に合わせて、役割や責任、意思決定の仕組みを丁寧に設計していく必要があることを学びました。
誰かが良い、悪いということではありません。
会社として「どのような組織をつくりたいのか」「何を大切にして働くのか」を、もっと明確にする必要があったのだと思います。
その経験が、現在のCCSをつくる大きなきっかけの一つにもなりました。
人数は一時期8名ほどまで減りましたが、この1年で再び約20名の組織になりました。現在は正社員とパートスタッフが半々ほどの構成です。
今後3年から5年で30名から50名規模へ。そして将来的には、私たちが実現したいことを考えると、100名規模の組織を目指しています。
組織が大きくなれば、必要になる仕組みも変わります。
採用、育成、評価、マネジメント。私たちもまだ試行錯誤の途中です。
会社を経営していて感じるのは、失敗しないことより、失敗したときに「何を学び、次をどう変えるか」の方がずっと大切だということです。
これは会社だけでなく、一人ひとりの成長にも同じことが言えると思っています。
AIとは「取る・取られる」ではなく、一緒に仕事をする
AIが急速に進化し、これから仕事のあり方は大きく変わっていくと思います。
私たちも、建設分野に特化したAIなどを取り入れ、法規関連の調査をはじめ、さまざまな業務で活用しています。
私は、「AIに仕事を取られるか、取られないか」という考え方だけでは少しもったいないと思っています。
新しい技術が出てきたときに、それを怖がるのではなく、「これを使ったら、自分たちはもっと良い仕事ができないだろうか」と考える。
DICEでは、そんな姿勢でAIと向き合っています。
これから社会に出るみなさんは、おそらく私たちの世代以上に、AIと一緒に仕事をすることになります。
だからこそ、「今できること」だけに自分の価値を置くのではなく、新しいものを学び、自分自身を変化させ続ける力が大切になると思います。
同時に、人の気持ちを考えること、相手との信頼関係をつくること、誠実に仕事をすることの価値は、むしろこれから高まっていくのではないでしょうか。
目指すのは「100年住める家」
私たちがこれから目指しているのは、「100年住める家」です。
家に必要なのは、長く価値を持ち続けられることだと考えています。
私たちが考える「資産性」には、単に売却したときの価格だけではなく、いつまでも魅力を感じられるデザイン、経済的な価値、環境への配慮、耐久性、そして将来の暮らしに合わせてリフォームしやすいことまで含まれています。
そうしたさまざまな価値を長く維持できる家をつくりたいと思っています。
住宅は、私たちの生活にとても身近なものですが、そのつくり方には、まだ変えられる余地がたくさんあります。
職人さんの手によってつくられるからこそ守るべき技術もあります。一方で、材料価格や働く人の減少、環境問題など、家づくりを取り巻く状況はこれから大きく変化していくはずです。
だからこそ、今までのやり方をそのまま続けるのではなく、「もっと良いやり方はないか」と仕組みから考えていきたい。
100年住める家という目標も、最初から答えが分かっているわけではありません。
だから面白いのだと思っています。
まだ誰も正解を持っていないことに挑戦する。
それが、これからのDICEがやりたい仕事です。
学生のみなさんへ
これから社会に出るみなさんには、自分の未来を明るく、前向きに捉えてほしいと思っています。
社会に出れば、思った通りにいかないことはたくさんあります。
私自身も、独立までに4年かかりました。会社をつくってからも、思い通りにならなかったことや、判断を間違えたことは何度もあります。
でも振り返ってみると、それらの経験もすべて今につながっています。
だから、最初から完璧な答えを持っている必要はありません。
やりたいことがまだ見つかっていなくてもいい。
まずは目の前のことに興味を持って、「ちょっと面白そうだな」「もう少し知りたいな」という気持ちを大事にしてみてください。
そして、何かを選んだら、一度本気でやってみる。
うまくいかなければ考える。やり方を変える。また挑戦する。
その繰り返しの中で、自分にしかない強みは少しずつできていくのだと思います。
これからは、AIをはじめ、新しい技術によって社会も仕事も想像以上のスピードで変わっていくでしょう。
だからこそ、変化を怖がるより、「これから何ができるようになるんだろう」と楽しみにしてほしいと思っています。
そして、どれだけ技術が進歩しても、最後に大切になるのは、人としての基本的な部分ではないでしょうか。
嘘をつかないこと。
約束を守ること。
相手の立場を考えること。
自分の間違いを素直に認めること。
誰かのために一生懸命になれること。
そうした誠実さは、AIには代わってもらえません。
能力は、これからいくらでも身につけることができます。
でも、どんな人間として仕事をするのかは、自分自身が決めていくものです。
せっかくこれから社会に出るのなら、未来を心配するだけではなく、自分がこれからどんなことを経験し、どんな人になっていくのかを楽しみにしてほしい。
私自身も、愛媛から千葉に出てきた頃には、今の会社を経営している姿も、100年住める家をつくろうとしている未来も、まったく想像できませんでした。
電車の長さすら分からなかった学生が、今はこんなことを考えています。
未来は、今の自分が想像しているより、ずっと広い。
だからこそ、自分の可能性を自分で決めつけず、これから始まる社会人生活を楽しんでほしいと思います。
編集後記
山田さんのお話で印象的だったのは、独立までの4年間や5名が同時に退職したという経験を、決して隠さずに語ってくださったことです。うまくいかない時期があったからこそ、CCSという企業文化や100年住める家というビジョンに説得力が生まれているのだと感じました。設計・ホームプロダクツ・グラフィックの三本柱で挑戦を続ける姿勢から、就職活動を控える私たち学生にも、遠回りを恐れない大切さを教えていただいたように思います。