「やると決めたら、やり切る」原点
高校生でレーサーを夢見た
高校生の頃は、あまり勉強していなかったですね。やりたいことといえばレースで、レーシングドライバーになりたいと本気で思っていました。自分でバイトして稼いで、多少親にも出してもらいながら、レースに打ち込んでいました。
ただ、やっていくうちに分かってきたんです。レースの世界って、資金力とか環境とかがしっかり揃っていないと、なかなか厳しいって。そこで「じゃあレース業界で本当に働きたいのか?」と自問したとき、「ちょっと違うな」と感じてしまって。先輩たちの姿を見ていても、そう思ったんです。
半年で偏差値 70 まで引き上げた
やりたいことが見つからないままでしたが、「とりあえず進学しよう」と決めて、それからガッと集中しました。私、やると決めると結構集中力が出るタイプで。日本史や世界史は全然ダメだったので、政治経済に絞って、高3から教科書を全部頭に入れる作戦にしたんです。半年で政治経済の偏差値が70ぐらいになって、3科目受験で受けられる大学をいくつか受験して、國學院大學に入学しました。
ただ、大学に入ってもあまり目的意識がなかったので、サークルでワイワイ楽しめるタイプでもなくて。「あんまり面白くないな」ってなってしまって、しばらくフリーターのような形で自分で仕事をする方向に進みました。
21歳、第一次 IT バブルの渦中へ
建築現場の屋上で見つけた求人広告
フリーターの後、縁があって建築系の仕事を2年ほどやっていました。「独立しやすいし、稼げるかも」と思ったんですが、下請け仕事の現実を知って、「儲からない領域で独立してもしんどい」と気づいて。
ある日、幕張のマンションの13階の屋上で一人でランチをしていたんですよ。当時20歳ぐらい。リクナビみたいな求人雑誌の紙版を何気なく読んでいたら、「小銭と若さしかない君、ウチで稼がないか」というような見出しに目が止まって。何もなかった若者がどんどん力をつけて稼いでいくエピソードが載っていて、「面白そうだな、確かに私も小銭と若さしかない」と思って(笑)。
それで1999年に、IT 系のベンチャー企業のインターネット事業部に入社したんです。21歳でした。
3〜4ヶ月目で月収 50 万円を手にした
入社したのは、IT 系の営業ベンチャーで、完全実力主義の会社でした。インターネット事業部の立ち上げ初期に回してもらえたこともあって、3〜4ヶ月目には給与が50万円ぐらいになっていました。
肉体労働でやるより全然稼げる、って分かったんですよね。人とのコミュニケーションや営業が好きだったこともあって、のめり込んでいったんです。23歳ぐらいのときには部長を任せてもらって、年収1000万円ぐらいもらっていました。ただ、当時で年間5億円ぐらいの粗利を自分の部署で出していたので、「どんだけ会社に取られてるんだろう」って感覚もそのころから芽生えていましたね。
共同経営から社長就任へ
2005年に出資してCOOとして共同経営開始
その会社を辞めた後は、個人で独立して営業代行などをやっていました。そのころ、第二次 IT バブルの時代。ライブドアの堀江さんが有名になったあのころです。
「20代のうちに上場しよう」という気持ちがあって、個人でやるには限界があると感じていた。前職で同期入社していた後輩でライバルでもあった T さんという人間がいて、「じゃあ一緒にやろう」となりました。私が出資して共同経営者として一緒に始めたのが、2005年5月のことです。
私は組織を伸ばしたり事業を拡大したりすることが得意で、T さんはゼロイチが得意。この間3年で7倍の売上成長を実現し、4年後の2009年4月に私が社長に就任しました。
MBO を経て 2019 年に東証上場
T さんとは10年ほど共同代表を続けましたが、方向性の違いが出てきて、2014年ごろに彼の持ち株を買い取りました。同時に、会社から個人への貸付金が約2億円あったので、「どこかで上場するか、資本業務提携するかして返していこう」という気持ちになって。2019年6月に上場を果たしました。
「大手が入らない領域」を20年かけて耕す
中堅・中小企業への一貫したコミット
当社が一貫してやってきたのは、電通や博報堂のような大手広告代理店が入ってこない領域のお客さんへのブランディング・マーケティングの伴走支援です。大手は年間最低1億円以上の予算がないとなかなか入ってきませんから、そもそも土俵が違う。
その領域をコツコツと耕し続けてきたのが、うちの根幹にあります。バックボーンとして、父親も自営業だし、おじいさんもおじさんもみんな自営業者だった。中小企業の社長さんたちが元気であれば日本の土台も元気になる、という思いが昔からあって、それが自然と事業の方向性につながっていきました。
「誠実・真面目・堅実」が差別化になる
この業界って、予算だけもらってパッと一発屋で終わる会社が少なくないんです。でもお客さんは、広告やクリエイティブ、マーケティングにお金を払うのは自社の売上を上げるためです。だから、長期にわたって誠実に向き合ってくれる会社と組みたいはず。
うちがお客さんから言っていただくのは、「真面目で堅実で誠実な人が多い会社だね」という言葉です。直接感謝してもらえることもあるし、直接怒られることもある。それが誠実に向き合っている証拠だと思っていて、そこの軸をずっと大切にしてきました。
「ブランドファースト」というビジョン
今のビジョンは「ブランドファースト」。ブランドとはその会社の「らしさ」だと考えていて、らしさを長所進展で伸ばしていくことをお客さんにも提供しながら、自分たちのグループの中でもブランドを分けて会社を作っていく、グループ経営をしています。
掲げている目標は、「日本を代表する中堅・中小企業向けのブランディング・マーケティング伴走支援会社」です。コンソーシアム戦略といって、中堅のいい会社さんとの連携を連合軍のような形で広げながら、今後また10期連続増収増益を目指す。「年輪経営」って言うんですが、毎年毎年幹が太くなって、森が豊かになっていくようなイメージで進めていきたいですね。
採用で大切にしていること
「明るく・元気で・素直」が根幹
採用で一番大事にしているのは、人間力です。中小企業の社長さんや経営者の方たちと仕事をする以上、相手に好かれる、可愛がられる、信頼される、そういう力がどこまで行っても必要です。
人間力を言語化すると、「明るく・元気で・素直」。明るいというのはポジティブな思考と行動ができること、元気というのはエネルギーを自分で作れる内発的なやる気があること、素直というのは相手の話を聞けて、環境に適応して勉強し続けられること。専門知識は後からついてきますが、人間性はなかなか後から変えられない。だから、そこがしっかりしている人と長く一緒にやっていきたいと思っています。
採用は基本的に中途で、1社経験したぐらいの20代が多いです。最近は YouTube チャンネルで「20代の営業マン密着取材」みたいなコンテンツを出していて、それを見てくれた方が「人と環境が良さそうだから、ここでやりたい」と入ってくれるケースも出てきています。共感して入ってもらえると、やっぱり間違いないですよね。
自分を源として、外へ貢献していく
インサイドアウトという考え方
スタッフに伝えているのは、「自分が源」という考え方です。自分自身の能力を高めていければ、お客さんにも貢献できる。いい仕事ができるようになれば稼げて、家族も豊かにできる。組織の中でやりがいも高められる。
インサイドアウトという考え方があって、自分自身が良くなって成長していくことで、家族、友人、顧客、組織、会社、業界、地域、日本と、うちから外へ貢献できる範囲が広がっていく。だから、まず自分を源として自分を高めていく意識が大切だと思っています。会社は環境や仕事を提供することはできますが、結局どんな環境でも伸びる人は伸びる。そういうことですね。
学生へのメッセージ
AI 時代こそ、人間力が問われる
AI が進むほど、人間力はより大事になってくると思っています。インフォメーション(情報)はいくらでも AI で整理できる時代になった。でも、インテリジェンス(知恵・知識)というのは、人対人のやりとりの中でもたらされてくる部分がまだまだ大きい。
これから業界もサービスも変わり続けると思うので、どの業界にいたとしても、うまくいく人とうまくいかない人は必ずいる。その差の根幹は、やっぱり自分を源として人間力を鍛えられるかどうかだと思うんです。
経営というのは、経営道、つまり「道」だと思っています。柔道・剣道・茶道・華道、日本人が大切にしてきたものはみんな「道」がつくじゃないですか。経営も、お客さんのビジネスを豊かにして、地域や国に貢献して、社員と社員の家族の生活を守っていく。そういうものを追い求める終わりなき旅だと思っています。
若いということは、その旅の入り口にいるということ。早いうちから自分自身を開発していくことの楽しさに目覚めると、きっとよい人生とよい仕事になっていくんじゃないかと思いますよ。
編集後記
木村社長のお話を聞いて、一番印象に残ったのは「自分が源」という言葉でした。レースへの夢、屋上での求人誌との出会い、共同経営からの上場まで、一つひとつのエピソードに「やると決めたら動く」という一貫した軸を感じました。
AI 時代の就活で「業界選びが大事」という話はよく聞きますが、木村社長は「どの業界でも、うまくいく人といかない人はいる」とおっしゃっていました。環境より自分、というこのシンプルな問いかけは、業界研究に追われがちな就活生にとって、立ち止まって考えるきっかけになると思います。大手が入らない領域を20年かけて誠実に耕し続けてきた経営哲学は、短期的な成果ばかりを求めがちな私たち世代にとって、本当に学ぶことが多い時間でした。