普通すぎた学生時代
子どもの頃は、正直、これといって特筆すべきことはなかったと思います。漫画やゲームが好きで、友だちと遊んでいました。中学受験はしましたが、そのあとはどこにでもいる普通の小中学生でした。
バスケ部は幽霊部員に
中学ではバスケットボール部に入りました。きっかけは単純で、当時「スラムダンク」が本当に流行っていて、その影響でバスケを始める子が多かったんです。ただ私はそんなにハマらなくて、割とすぐに幽霊部員になってしまいました。もともと運動神経がよかったわけでもないですし、いま思えばチームで何かをやるのがあまり得意じゃなかったんだと思います。一人でやるほうが性に合っていたのかもしれません。
ボクシングで見つけた自分
高校に入ってから、私にとっては転機になることがいくつかありました。まずボクシングです。通っていた高校にたまたまボクシング部があって、仲のよかった友人が「始めてみたい」と言うので、冷やかし半分で見学についていったら、そのまま入ってしまいました。最初はまったく興味があったわけではないんですが、やってみたら面白くて、どんどんのめり込んでいきました。部員はほとんどが素人で、みんなそこで初めて格闘技に触れたという感じでしたね。以降、「戦う」ということについて格闘技を通して学びました。
洋楽が教えてくれたこと
同じく高校一年生のときに、音楽にもハマりました。高校のプログラムで一か月ほどニュージーランドにホームステイしたのですが、そこで朝のラジオから流れてきた曲にすごくグッとくるものがあって。帰国してから初めてお小遣いで買ったCDが、サイモン&ガーファンクルというアメリカのフォークデュオの「サウンド・オブ・サイレンス」でした。もともと私は周りと同じことをするのがあまり好きではなくて、流行りの音楽にはまったく関心がなかったんです。そこから洋楽にどっぷりハマっていきました。
マイナビでの十七年、そしてアメリカで見た衝撃
大学時代も、これといって特筆すべきことはありません。就職活動をして、マイナビに入りました。当時はまだ社名が違って、規模も今よりずっと小さな会社でした。
大手を避けた理由
私はどちらかというとひねくれ者なので、いわゆる大手企業は自分に合わないだろうと思っていました。それより小さな会社で下から上を目指していくほうが自分らしいと感じていたんです。加えて、就職活動そのものにも気持ち悪さを覚えていました。企業がなぜあんなに偉そうなのか、学生が企業に振り回されている構造そのものに違和感があって。そういう思いもあって、当時まだ小さかったマイナビを選びました。
アメリカで見た「専門性」の差
入社後は企業の採用コンサル営業を担当していました。ちょうど紙媒体からインターネットへ移り変わる時代で、マイナビ自体がぐんぐん成長していく過程にずっといたんです。あるとき、あるクライアント企業から「日本の学生はもう使えない。これからは世界のトップレベルの学生を採りに行きたい」という話があり、MIT(マサチューセッツ工科大学)やハーバードといったアメリカのトップ大学の学生を採用するために、その企業と一緒に一か月ほどアメリカを回る仕事を二年ほど経験しました。
向こうの学生と話していると、彼らは「自分が何の専門家で、御社のビジネスにどう貢献できるか」をはっきり語れるんです。一方、日本に帰って学生の就職活動を見ると、自己PRの多くが「粘り強さ」や「リーダーシップ」といった、ふわっとした言葉にとどまっていました。専門性を磨く経験の場がないから、抽象的なことしか言えない。日本の企業が日本の学生に見切りをつけるのは、納得感がありつつも本当に悲しいことだと感じました。
キャリア教育への挑戦
これがきっかけで、採用や就職活動の仕組みそのものを変えるようなことがしたいと思うようになりました。結果、マイナビの中でキャリア教育の新規事業の立ち上げを任されるようになりました。そのなかのひとつが、今も続いている「キャリア甲子園」という高校生向けのビジネスコンテストです。立ち上げから責任者として、ずっと携わってきました。
マイナビには十七年ほど在籍しました。ただ四十歳になるタイミングで、これからのキャリアについて考える機会があって。入社した頃は自由に動けた小さな会社だったマイナビも、今では大企業になり、働き方改革も進んで「ちゃんとした会社」になった分、私にとってはつまらなくなってしまったんです。人生の後半をこのままでいいのか、そう思ったタイミングがちょうどよかったので、独立を決めました。
コロナ禍からの再出発
独立直後にコロナが来た
独立して一番大変だったのは、やはり最初の時期です。マイナビを辞めた最後の出勤日が2020年2月28日で、翌3月1日から独立でした。ところが、まさにその頃コロナ禍が始まったんです。世界中がどうなるか分からない状況で、外出もままならず、当時はZoomという言葉すら一般的ではありませんでした。独立してすぐに仕事がなくなってしまい、本当にまずいと思いました。
社会が追いついてきた
今でも大変なことはいろいろありますが、コロナのときに比べたら「さてどうしようかな」と考えられる程度で済んでいます。それくらい、コロナの時は不安でいっぱいでした。会社を辞めていたので給料も出ませんし、当時は本当に先が見えなかった。ただ、人間はうまく適応していくものだと思います。もともと依頼をいただく予定だった方々が、二か月ほどして「そろそろ動き始めよう」と連絡をくださるようになって。自分が何か特別なことをしたというより、社会全体が少しずつ状況に慣れて、仕事が戻ってきたのです。
ビジコンが学生の人生を変える瞬間
弊社が今もっとも力を入れているのが、ビジネスコンテストです。ビジコンというと、まだ一部の「意識が高い」と言われがちな学生が参加するものだと思われがちですが、弊社が運営するものは、ビジネスやプレゼンをやったことがない子でも参加しやすい仕組みを作っています。
大学生向けの「CAREER ROOKIES(キャリアルーキーズ)」という取り組みでは、東京証券取引所とともにビジネスコンテストを開催していて、決勝は東証で行われます。学生の名前が東証の掲示板に流れるという、ほかではなかなか経験できない場になっています。学生団体が運営するビジコンも素晴らしいと思いますし、連携することもありますが、民間企業がここまでの規模でビジコンを手がけている例は多くありません。
六億円で会社を売った学生
これまで、ビジコンをきっかけに人生が大きく変わった学生をたくさん見てきました。なかでも印象深いのは、大学二、三年生のときに賞金をもとに起業し、自分で作った会社を六億円で売却した男子学生です。その資金で新たに会社を立ち上げ、今ではいろいろなところで取り上げられています。
カフェ経営に挑んだ一年生
もう一人、大学一年生のときにビジコンに参加し、東証にも名前が流れた女性がいます。彼女はそれまでビジネスに触れた経験がまったくなかったのですが、「自分で考えて作っていく面白さ」に気づいて、大学二年生のときに友人とふたりでカフェを経営していました。資金調達や集客、立地選びまで、まさにビジネスそのものを実践して、途中赤字を経験しながらも最後は黒字化し、今は後輩に組織ごと引き継いでいるそうです。大学一年生のときに何か特別な力を持っていたわけではありません。挑戦する環境があるかどうかの違いだと感じています。
学生へ伝えたいこと
メリットデメリットで測りすぎない
最近の学生を見ていて感じるのは、メリットとデメリットを短期的に考えすぎているということです。答えのないものや自分が知らないものに対する、生理的な恐怖心のようなものが強いのかもしれません。転勤したくない、配属先が分かっている会社がいいという声もよく聞きますが、結局は自分の知っている世界の中でしか物事を判断しようとしていない。それでは当然、視野は広がっていきません。
コンフォートゾーンを出てみる
自分の居心地のよいキャンパスやバイト先、サークルはもちろん大切ですが、たまにはそのコンフォートゾーンを抜け出して、外の人と競ってみてほしいと思います。弊社のビジコンには「大学3年生になってガクチカがない」と焦って初めて参加する学生が多いのですが、そこで初めて「自分の周りとは違う大学生がこんなにいるんだ」と気づく子がとても多いんです。バイトやサークル、恋愛に時間を使う大学生活ももちろんいいのですが、いろいろなことに挑戦している同世代と出会って衝撃を受ける経験は、間違いなく人を変えます。やってみれば楽しいはずなので、まずは最初の一歩を頑張ってほしいですね。
編集後記
今回のインタビューを通して、「専門性がないから抽象的なことしか言えない」という指摘が、いちばん刺さりました。私自身、まだ大学三年生でビジネスの経験を積んでいる最中ですが、確かに周りを見ても、就活が始まった瞬間に急に「自己PR」を求められて戸惑う友人は多いです。羽田さんが作ってきたビジコンという場は、失敗も含めて挑戦できる貴重な機会なのだと感じました。コンフォートゾーンを出る一歩を、私も踏み出していきたいと思います。