「汚い図」でいい。慶應大学院で気づいた、思考を伝える技術
工業高校から始まった、遠回りのキャリア
工業高校を卒業してから、地元・栃木県の自動車部品工場に就職したんです。ものづくりの現場で働くうちに、やっぱり大学に行きたいなという気持ちが強くなり、勉強と貯金を並行しながら、東京理科大学に入学しました。
都会への憧れが原動力だった
学生時代に起業したいという思いは、正直まったくなかったんですよね。あの頃は栃木の田舎の工場で働いていたので、なんというか、東京のかっこいいオフィスで働きたいという単純な憧れが原動力でした。都会への憧れみたいなものを胸に、大学院への進学も含めて頑張っていた感じです。
富士通で学んだ「自由度」という価値観
新卒では富士通マーケティング(現・富士通ジャパン)から内定をふたついただきました。営業職とシステムエンジニア職で、どちらに進むかをかなり悩んで、最終的には自由度が高そうな営業を選びました。
図解との衝撃的な出会い
富士通で働いているときに、図解というものに衝撃的な出会いがあったんです。もっとちゃんと学びたいと思い、大学院に入り直しました。働きながら通ったのは、慶應義塾大学のシステムデザインマネジメント研究科です。
論文を書くうちに「求められる」存在になった
そこで図解に関する論文を読んだり書いたりしているうちに、だんだん周囲から求められるようになってきたんですよね。「髙野さんって図解やってますよね」「これ、髙野さんだったらどう描くんですか」「書き方を教えてください」。そんな声をたくさんいただくようになって。
もともと図解が好きで勝手に学んでいただけだったんですが、これはもう会社になるくらいニーズがあるなと気づいて、図解の会社をつくりました。
システム思考とデザイン思考が重なった大学院
私が通っていた研究科は図解を専門的に学ぶ場所ではなく、デザイン思考やシステムエンジニアリング(物事を仕組みやシステムで考える)を学ぶ場所でした。研究科で学んだ思考と図解が組み合わさり、これは一つの会社にできると考えつきました。
経営やマネジメントについては、正直そこまでしっかり勉強していたわけではありません。ものを考えたり作ったりするほうが好きで、経営については多少の勢いでなんとかなるだろうという感覚でやってしまっている部分もありますね。
大学院で得た、いろいろな人とのつながり
私がいた研究科は社会人大学院生が多い学科で、弁護士や医師、コンサルタント、お笑い芸人まで、いろいろな人が集まっていました。モチベーションの高い人たちと切磋琢磨できた環境は、今でもかなり通じるものがあります。
考えるための図解、伝えるための図解
図解というと、文字だけの資料より分かりやすく伝えるための図、というイメージを持つ人が多いと思います。ただ、それだけではなくて、自分だけで使う図解というものもあるんです。
例えば、経営について頭のなかだけで考えるのではなく、ちょっと図を描きながら考える。すると面白いくらい考え方が整理されて、見えないものが見えるようになる。この「考えるための図解」と「伝えるための図解」という二つの力が図解にはあります。
研修で目指すのは「社員自身が図解で考えられること」
私が提供しているのは、企業に講師として出向いて行う一日研修です。参加した人が、その日のうちに図が描けるようになる研修になっています。研修を受け終わると、ホワイトボードにスラスラと図を描けるようになり、考える力と伝える力を同時に身につけられます。会議での図示や、資料を図で作ることにもつながっていきます。
管理職研修や新入社員研修など、企業の人材育成の場面でお声がけいただくことが多いです。
図は汚くて雑でいい
研修で必ず参加者に伝えているのが、図は汚くて雑でいい、ということです。初めて参加する方は「図を描くのが苦手で」という理由で来られることが多く、綺麗で丁寧な図を描かなければいけないと思い込んでいます。でも実際はまったく逆で、むしろ雑な図のほうが人の理解を促進するという論文もあるくらいです。
参加者には、とにかく雑で汚い図をたくさん描いてくださいと伝えています。すると「こんなのでよかったんですね」とハードルが下がって、トライしやすくなるんですよね。
日本を図解先進国にする
私の会社は「日本を図解先進国にする」というビジョンを掲げています。海外の人から「日本人は図で説明してくれるから分かりやすい」「図で考えることができるのが日本人の強み」と言われるような、図を使う文化が当たり前になっている状態を目指しています。
図解の検定をつくりたい
まだ何年先になるか分かりませんが、図解の検定をつくってみたいと考えています。漢字検定は、漢字の読み書きや使い方をどの程度できるかを資格化したものですが、その図解バージョンがないのはおかしいと思っていて。図解検定三級ならこの程度の知識と描画力がある、一級なら何でも図に描ける、というように客観的に評価できる仕組みがあると、図解先進国という状態に近づけるはずです。
図解を体系化した大学院の論文
図解は広くはビジュアルコミュニケーション、ビジュアル言語の一つと言われています。ただ、言語だと言われている割にルールや文法がなく、センスがある人だけのものになってしまっているんですよね。この状態はおかしいと思い、ルール化して体系化していったのが大学院時代の論文です。これが企業のニーズに合致して、今の研修事業につながっています。
ボトルネックは「図解」という存在そのものの認知不足
図を描くということ自体への認知が、まだまだ足りないと感じています。「図解の会社です」と伝えても、「何をやっている会社なんですか」と聞かれることがよくあります。人間はあらゆるものをビジュアルで捉え、図で描くということを当たり前にやっているんだ、ということをもっと広めていきたいです。
頭のなかに図が浮かぶようになる
日常生活でも図解は意識して使っています。紙とペンがあれば図は描けますが、慣れてくると紙とペンがなくても頭のなかに図が浮かぶようになります。人と話していても「今この人はこの図のここの話をしているな、この話が終わったら別のことを聞いてみよう」というように、画像的に話を理解できるようになる。これが目指すべき究極の状態だと思っています。これは思考が構造化される、という感覚に近いですね。
AIに丸投げしたプロンプトより、構造を与えたプロンプトのほうが圧倒的にアウトプットが良くなります。物事を構造的に考えられる人は、これからも強いはずです。ワーッと思いつくままに話す人より、ステップを三つに分けて話す人のほうが圧倒的に分かりやすいですよね。
世界共通語になり得る図解
図解は世界の共通語になる可能性を持っています。2024年にカンボジアに行き、現地の小中学生に図の描き方を教えてきました。カンボジアの子どもたちも、三十分あれば図を描けるようになるんです。
図は言語に頼らず、世界共通でイメージを共有できる共通言語になり得ます。英語に代わるとまでは言いませんが、世界共通言語としての図解がスケールしていくと面白いと思っています。
認識のズレをなくすために
コミュニケーションのズレ、私は認識のズレと呼んでいますが、これがあらゆる問題の発生源だと感じています。自分はこういうつもりで言ったのに、聞き手はまったく違う受け取り方をした。そのまま仕事が進んでしまい、最後になって「言っていたことと違う」となる。喧嘩も同じで、悪意はないのに、認識のズレのせいでうまくいかないことがたくさんあります。言葉だけだといろいろな解釈ができてしまいますが、図で描くと「あ、みんなそうだね」となる。このメリットを、日常生活でも仕事でも生かしていきたいです。
学生には、何か一つ没頭してほしい
私自身、ちょっと回り道をした学生でした。だからこそ思うのは、何か一つ強みを持ってほしいということです。図解という強みを持ってほしいという意味ではなく、好きなことでも気になっていることでも、チャレンジしたいことでも何でもいい。上手い下手ではなく、めちゃくちゃやり込んでいた、没頭していたという経験が一つあると、その後の人生が豊かになる気がしています。遊びでも何でもいいので、ぜひ熱中してもらえたらと思います。
こんな人に一緒に働いてほしい
図が好きな人、図的に考えるのが好きな人には、ぜひ一緒に仕事をしてほしいです。図とまでいかなくても、ビジュアルやイラストで物事を考える人、頭のなかに二次元空間を描ける人は、きっとこの仕事を楽しんでもらえると思います。
編集後記
今回取材させていただいた髙野さんのお話で印象的だったのは、「図は汚くていい」という言葉です。私自身、なにかを説明するときにきれいな資料を作ることに気を取られがちですが、大切なのは理解を深めることなのだと気付かされました。工業高校から大学、大学院、そして起業という道のりも、一つひとつの選択に納得感があり、遠回りに見えるキャリアこそ強みになるのだと感じました。図解という「考える力」と「伝える力」を両立させる技術は、就職活動や日々の学びにもいかせそうです。