インタビュー

二つ返事で継いだ道 千房・中井貫二社長が語る、家族の絆と鉄板の未来

二つ返事で継いだ道 千房・中井貫二社長が語る、家族の絆と鉄板の未来
PROFILE
千房株式会社 代表取締役
中井貫二

証券マンから鉄板の道へ

兄が継ぐはずだった

私は千房の創業者ではありません。父が1973年、私が生まれる3年前に大阪の千日前でお好み焼屋を始めたのが始まりです。父と母、従業員3名の計5名でスタートしました。

私は1976年生まれの3人兄弟の末っ子で、跡継ぎは長男と決まっていました。なので私は東京の大学を出て野村證券に入社し、その後東京に家も買いました。

兄の病がすべてを変えた

長男は大学卒業後、地元の金融機関に3年ほど勤めてから千房に入社し、跡継ぎ候補として働いていました。ところがある時、急に父から連絡があり、兄が病気になり社会復帰が難しいかもしれないと聞かされました。

そこで、私が代わりに継いでくれないかと言われ、その場で「わかりました」と二つ返事で答えました。子どもの頃から父に懇々と言われていたことがあります。「お前が今あるのは、すべて千房の従業員のおかげなんだ。それを忘れるな」と。跡継ぎ候補がいなくなり、従業員への恩返しをするなら、入社するのが当たり前だと感じました。2か月後に兄は病気で亡くなり、私はその後千房へ入社しました。それから4年後に社長に就任し、今は就任8年目になります。

家族の理解があった

野村證券では3年目あたりから仕事ができるようになり、従業員組合の代表を務めたり、同期で一番早く課長になったりと、順調にキャリアを重ねていました。給料も高く、東京に家族との生活基盤もありました。それでも千房への思い入れは強く、何より今の幹部連中はほとんど子どもの頃から知っている顔ぶれです。物心つく前から従業員を見て育ったので、みんな私を受け入れてくれました。今でも現場でお好み焼を焼くことはできませんが、それでも迎え入れてもらえたのは、この関係があったからだと思います。妻は25歳の頃に結婚した相手で、「あんたが決めたんだから、行ってきなさい」と送り出してくれました。

家族の心とコロナ禍を越えて

従業員は家族という信念

千房には「ファミリーの心」という考え方があり、私の家の家訓にも従業員は家族だとあります。この考え方が一番試されたのが、社長就任2年後に始まったコロナ禍でした。営業自粛が求められ、道頓堀の店舗は前年対比で97%減という、とんでもない落ち込みを経験しました。

雇用は一人も切らなかった

存続の危機とも言える状況で、まず大切にしたのは従業員の雇用です。ファミリーの首を切るわけにはいかないと考え、誰一人解雇しませんでした。それどころか、パート社員という制度自体を廃止し、全員を正社員にしました。ただ、決まった店舗や時間、地域でしか働けないという事情でパートを選んでいた人もいたので、時間限定社員や店舗限定社員、地域限定社員という制度を新たに作り、賞与も出しながら正規雇用として働いてもらえる仕組みをコロナ禍のなかで整えました。

遠くを見れば船酔いしない

売上がほぼゼロでも人件費は大きくかかります。

それでも人を切らなかったのは、孫正義さんの言葉が響いたからです。「荒波を航海するとき、近くの波を見ると船酔いする。船酔いしないためには遠くの景色を見ればいい」という言葉です。

目先を見ればコスト削減のために人を切る判断になりますが、数年先のビジョンを考えれば、間違いなく人手不足になると読めていました。だから人は切らなかった。おかげさまで、今言われている人手不足も、千房ではそこまで深刻になっていません。

目指す未来と向き合う課題

世界一の鉄板焼きへ

千房のミッションビジョンバリューには「大阪のテッパンを世界のテッペンへ」というビジョンがあります。大阪の鉄板焼を世界のてっぺんへ持っていき、世界中の誰もがお好み焼を食べて喜べる世界を作りたいという思いです。今は海外出店を加速させていて、インバウンドで訪れる海外のお客様にも喜んでいただきたいですし、アウトバウンド(海外出店)もさらに進めていきたいと考えています。

原価高と出店コストの壁

外食産業全体に言えることですが、原価をはじめすべての価格が上がっていて、出店コストも一店舗あたりこれまでの倍近くかかるようになっています。人の面では、今は大きな人手不足には陥っていないものの、少子高齢化が進むなかで、サービス業はどうしても人が足りなくなっていくと感じています。

外国人材のビザという課題

千房では外国人雇用も進めていて、現在は社員の一割ほどが外国人の正社員です。ただ、外食産業での「特定技能第一号」という在留資格が上限に達し、新規申請ができなくなっています。今後ますます外食業界の人手不足は進むと見ていて、採用と定着、エンゲージメントをどう高めていくかが課題だと感じています。

経営者としてのやりがい

外食で働く人にスポットライトを

千房に入ったのは従業員への恩返しのためですが、それ以上に、外食や飲食業で働く人たちにもっとスポットライトを当てたいという思いで活動しています。それは給料を上げるといった外発的なものだけではなく、心から飲食店で働くことを楽しんでもらえる環境作りが大切だと考えています。

大阪外食産業協会の会長を4年務め、今年退任しましたが、その間は大阪の外食産業を盛り上げるために動いてきました。万博にもパビリオンを出展し、大阪や日本の食をアピールできたと感じています。今年からは日本フードサービス協会の副会長として、日本の食を全国に広げる活動をしています。

飲食店は学びの入り口

飲食店は大学生や高校生が最初に社会に出て働く場所になることが多いと感じます。賄いのおいしさや仲間との時間もありますが、何より「おいしかった」「ありがとう」という感謝の言葉が日々飛び交う商売です。コミュニケーション能力や人間力、対人折衝能力が自然と鍛えられる、知的ホスピタリティ産業だと思っています。こうした学びの場としての飲食店をこれからも成長させていきたいです。

学生へのメッセージ

出逢いは己の羅針盤

大学卒業から30年近く経験を積んできたなかで伝えたいのは、悩んでも仕方がないので前向きに生きてほしいということと、出会いを大切にしてほしいということです。

千房には「出逢いは己の羅針盤、小さな心の触れ合いに己を賭けよ、そこから己の路が照らされる」という社訓があります。人生80年とすると、きちんと自己紹介をして出会う人の数はおよそ10万人と言われています。

「小才は縁に出会って縁に気づかず、中才は縁に気づいて縁を生かせず、大才は袖振り合う縁をも生かす」という言葉のとおり、縁をどう生かせるかが大切だと思います。私自身、入社してからの12年で名刺交換はおよそ2万枚になりましたが、その一つひとつの出会いを大切にしてきました。学生の皆さんにも、そういう出会いを生かせる時間を過ごしてほしいと思います。

編集後記

証券マンとして順調にキャリアを積んでいた中井社長が、お兄様の病気をきっかけに2つ返事で家業を継ぐと決めた話には、胸を打たれました。特に印象的だったのは、コロナ禍で従業員を一人も切らず、むしろパート制度を廃止して正社員化を進めたという判断です。「遠くを見れば船酔いしない」という言葉のとおり、目先の数字ではなく数年先を見据える姿勢が、今の千房を支えているのだと感じました。出会いを大切にするという社訓も、私自身これからの学生生活で大切にしていきたいと思います。