インタビュー

満員電車を降りた先で見つけた、自由と幸福のせめぎ合い

満員電車を降りた先で見つけた、自由と幸福のせめぎ合い
PROFILE
千葉エコ・エネルギー株式会社 代表取締役社長
萩原 領

大学を休学して見た、社会が変わる瞬間

起業しないことこそリスク、という思い

私は千葉県千葉市の生まれで、小学校から大学まで、ずっと千葉です。子どもの頃、満員電車に揺られる大人たちを見て、「本当にあの生き方は自由で幸せなのだろうか」とずっと疑問に思っていました。時間とお金の面で見てもそうです。たとえば千葉から東京まで通うと片道1時間、往復で2時間かかりますよね。1週間で5日通えば10時間です。時給1000円で換算すれば、1万円ぐらいを毎週捨てているようなものですよね。

それに、もともと人生の幸せや自由を考えたときに、起業は必ずしもリスクだけではないとも感じていました。むしろ「起業しないことこそがリスクなのだ」というのが、私の中にはずっとあったんです。

私たちの世代からすると、少し上に堀江貴文さんや三木谷浩史さん、孫正義さんといった実業家の方々がテレビで華々しく活躍されているのを見てきましたし、起業という選択肢には、もともと憧れもあったんです。

3.11で、社会が変わるのを見た

そういった考えが根底にあった中で、2011年に3.11がありました。あのとき、大きく社会が変わったんですよね。エネルギーや食料があるのが当たり前じゃないということを、計画停電などでまさに目の当たりにしました。自分に何ができるかと考えて、当時通っていた千葉大学工学部を休学して、ニコニコ生放送の株式会社ドワンゴに入り、一年ほど震災報道や原子力政策のネット中継をしていました。

ただ、現場に行っても、工学部にいたはずの自分でも原子力についてはさっぱりわからなかったんです。そこで、改めてこのテーマで仕事をしようと思い、2012年、23歳のときに、大学を休学したまま起業しました。大学の6個上の先輩と私で、2人を中心に創業したんです。そのまま千葉大学発スタートアップという形でホームページにも載せていただいていて、今も「いつまでスタートアップなんだろ」なんて思いながら、一応スタートアップを名乗っています。千葉銀行からもベンチャー企業に対する育成基金をいただいたりして、ここまで来ることができました。

畑の上で、電気と作物をつくる

エネルギーと農業、2つの課題に向き合う

事業内容は、再生可能エネルギーと言われる分野です。もともと日本は戦前からエネルギーを自給できない国で、そこにはもともと関心がありました。原発事故が起きたとき、自分たちや子どもたちに電気を安定的に届けるにはどうすればいいかと考えて、再生可能エネルギーと向き合ってきました。

ただ、再生可能エネルギーはどうしても地方につくることになります。しかし、地方に行くと、今度は農業が厳しいという話を聞くことになるんです。地方の未来のあり方、住みやすくて生きやすい地域をどうつくれるかを考えて、今は営農型太陽光発電、いわゆるソーラーシェアリングを中心に進めています。畑の上に、電気と作物という2つの機能を、いわば2階建てのように重ねて、地面で野菜をつくりながら、その上で電気をつくる仕組みです。

私は大学に2008年に入学しているので、再生可能エネルギーの支援制度自体は、大学を出て会社をつくり始めた頃にちょうど始まった形になります。日本は国土が限られた島国で、山も多いですから、人が住む場所と食料とエネルギーを、すべて同じ土地でやりくりしなければなりません。中国やアメリカのように人の住んでいない広い土地に置けばいいという話ではないので、この技術にしっかり向き合いたいと思い、エネルギーと農業、両方の専門家として取り組んできました。

恵まれた環境があったから、挑戦できた

創業当初は、正直不安がなかったわけではありません。ただ、一つ恵まれていたと思うのは、孤立して誰にも頼れない状況ではなかったことです。実家に帰れば親がご飯を出してくれますし、知り合いの社長さんがご飯をごちそうしてくれることもありました。そういう環境だったからこそ、目先の不安よりも、自分が自由でありたいという方向を目指せたんだと思います。

「人は変わらない」から始まったチームづくり

価値観のずれと、向き合い続けた日々

苦労してきたことでいうと、やはり「自分は変われても、他人は変わらない」ということです。価値観が違う人を組織に入れてしまうと、どうしても違和感が生まれてしまいます。もちろん多様性を受け入れる必要はある一方で、それを強制するのもまた違う話であって、ある程度近い価値観を持てるチームをつくることが非常に大切なんです。

ただ、創業した当初からずっと一緒にやってきたメンバーにも、子どもができたり、家庭の事情が変わったりすることがあります。同じ価値観のチームをつくって進めていても、ライフステージの違いによってどう組み替えていくかを、日々試行錯誤しながらやってきた約15年でした。従業員同士で価値観をすり合わせてほしいと言っても、なかなか難しいんですよね。均一化しつつも多様性に配慮する、そんなチームづくりや組織づくりをすごく頑張ってきて、正直、売上よりもチームづくりの方に力を注いできてしまったというのが実感です。

33歳で、経営者として板についてきた

私自身、経営者としてチームや組織が「やっとできてきた」と感じられたのは、33歳ぐらいのときでした。10年ぐらい経営に向き合ってきて、ようやく板についてきた感じです。売上とチームづくりを両立させるだけのスキルや能力が、正直それまで足りていなかったんですよね。

これからの課題は、売上と認知の拡大

チームづくりを優先してきた分、売上の優先度が下がっていた部分があります。次のステップとしては、従業員の給料をきちんと賄えるように、売上をどんどん拡大していきたいと考えています。売上を上げるための戦略やパートナーシップ、認知の拡大といったところが、今後の課題です。

人間には「五十にして皆同じ」とか「四十にして不惑」といった言葉がありますが、経験を積んでいくと、大体同じところに収束していくものだと思います。だからこそ、どこで頑張るかが大事で、私の場合は大学を中退して起業した時期がそうでした。人によっては家を買うときだったり、子どもができるときだったり、頑張りどころはそれぞれ来ると思うので、そのときにしっかり経験値を貯めていくといいんじゃないかと思います。

学生へ贈る言葉

やりたいことがなくても、不自然じゃない

学生から「やりたいことが見つからない」という話をよく聞きますが、それは心理的安全性が担保されていないからだと思います。やりたいことを言ったら笑われるかもしれない、リスクがあるかもしれないという不安があると、結果的にやりたいことを言えなくなってしまうんです。逆に、やりたくないことから、やりたいことを絞り込んでいってもいいと思います。

今は情報が多い時代なので、不安も大きくなりがちです。だからこそ、信頼できる大人でも友だちでもいいので、何を言っても大丈夫、どう思っても大丈夫だという心理的安全性を、人とのつながりの中でまず確保することが大切です。やりたいことがすぐに湧いてこないのは、別に不自然なことではありません。まずは安全な環境に身を置くこと、そこから始めて、満たされたときに初めて「次に何がしたいか」が見えてくるものだと思います。

一番遠い価値観の人と、話してみる

大学時代に知り合った社長さんから、「自分と価値観が一番遠い人と話しなさい」という指導をいただいたことがあります。私の場合だと、老若男女でいえば、老、つまり一番年上の女性と話しなさいと。それが自分と一番価値観が離れているからです。相手の価値観が自分とは違うということをきちんと認識して、いろいろな方と話をしていくと、この人にはどういう言葉を使えばいいのか、ということがどんどん染みついてきます。子どもに向かって論理的で学術的な言い方をしても伝わらないのと同じで、伝えることが目的だということを忘れずに、いろいろな方と接していけば、言葉の選び方も自然と磨かれていくと思います。海外の方との対話でも同じで、常識が全然違う分、想像力を経験で補えるようになると、言葉の使い方はさらに豊かになっていくはずです。

編集後記

今回の取材で一番印象に残ったのは、「起業しないことこそリスク」という蘒さんの言葉です。満員電車で失う時間を数字で捉える視点や、チームづくりを売上より優先してきたというお話には、経営の教科書には載っていないリアルさがありました。「一番遠い価値観の人と話す」というアドバイスは、就職活動を控える身としても、すぐに実践してみたいと感じています。心理的安全性という言葉を、これほど自分ごととして受け止められたインタビューは、なかなかありませんでした。