インタビュー

「無理かどうかは、やってみなきゃわからない」――太秦の斬られ役から、芸能界のドン・キホーテへ

「無理かどうかは、やってみなきゃわからない」――太秦の斬られ役から、芸能界のドン・キホーテへ
PROFILE
株式会社 サンミュージックプロダクション 代表取締役社長
岡 博之

カメラ好きの少年が、太秦にたどり着くまで

8mmカメラに夢中だった

子どもの頃からカメラが好きで、写真を撮ったりしているうちに、「動くものを撮りたい」という気持ちが強くなっていきました。8mmのフィルムカメラを持っている友人がいて、それを借りてプラモデルを撮ってみるような真似事をしているうちに、映像制作というものに興味を持つようになったんです。

映像への興味は持ち続けていたので、卒業してすぐに映画・写真の専門学校に進学しました。1年ほど通うと、実際に映画会社のスタッフやプロが授業を教えに来るようになって、そこでアルバイトを始めるようになったんです。結局、2年目には学校を退学して、撮影所のほうにアルバイトへ行くようになりました。

太秦で「斬られ役」から始めた

俳優養成所というものがあることを知りました。私は京都出身で、太秦には東映という会社の撮影所があるんです。友達と「ここの俳優養成所に入ったらプロの世界に入れるんじゃないか」という、安易な考えで養成所の門を叩いたら、簡単なオーディションで入れてしまいました。それが芸能界に入るきっかけになりました。

養成所では、殺陣の稽古やお芝居の基礎、日本舞踊、茶道といった訓練を日々受けながら、エキストラ、いわゆる「斬られ役」として現場に出るようになりました。そこで出会ったのが、サンミュージックプロダクションの第一号タレントだった森田健作さんです。森田さんはのちに千葉県知事になるんですが、当時若手だった私たちと撮影所で知り合って、「東京へ来ないか」と誘っていただいたんです。振り返ると、学生時代らしい学生時代はなく、遊んでいるうちに東京に来ていた、という感覚のほうが近いですね。

一度飛び出した先で学んだこと

森田健作さんの付き人として

東京に来て最初に任されたのは、森田健作さんの現場マネージャー、付き人のような仕事でした。身の回りの世話から仕事の台本のチェックまで担当していて、私自身が若かったこともあり、「この役どう思う?」なんて相談を受けながら感想を伝えたりもしていましたね。人を扱う商売なので、相手が何を考えているのかを読み取る力が、若いなりに鍛えられました。

時代背景もあり、当時の職場は非常に鍛えられる環境で、要求されるクオリティやスピードも今より遥かに高いものでした。一見すると実現が難しそうな仕事であっても、先輩たちの教えは「着手する前から諦めるな」ということ。まずは「やれるだけのことをやってみます」と受け止め、試行錯誤を繰り返す。この「未知の課題に対しても、まずは行動を起こす」という仕事の土台は、まさにこの頃に形成されました。

お笑いコンビで人力舎へ

そんな中で、一度サンミュージックを退社することになります。太秦の養成所時代の先輩と2人でお笑いコンビを組み、あるチャレンジ番組でチャンピオンになったことがきっかけで、人力舎に所属することになりました。今でこそ「プロダクション人力舎」といえば知られていますが、当時は「人力舎って何の会社?」と言われるような時代でしたね。

そこで芸人としての活動と並行して養成所の運営にも携わるようになり、若手芸人を育てる側に回るようになりました。専任講師として1期生から6期生まで指導していて、1期生がアンジャッシュ、2期生がダンディ坂野と、現在「東京03」で活躍する飯塚さん、3期生がアンタッチャブルと東京03の豊本さん、4期生が北陽、5期生がドランクドラゴンという顔ぶれです。「社長になろう」とか「役員になろう」とか、そういうことは一切考えていませんでした。

サンミュージックへ復帰した理由

人力舎で十数年ほど活動したのち、約28年前に、当時まだ売れる前だったダンディ坂野をはじめとする若手芸人と一緒に、サンミュージックへ戻ることになりました。人力舎時代に培ったライブ作りと養成所のノウハウを、サンミュージックという大きな看板のもとで生かせないか、という思いからでした。

弊社は、松田聖子さんに代表されるアイドルや、演歌歌手、俳優といった分野が中心で、お笑い部門というものが存在していませんでした。実は40数年前にも私が組んでいる「ブッチャーブラザーズ」というコンビが1組だけお笑い芸人として所属していた時期があって、 その頃の同期にあたるのが、今「笑点」の司会を務めていらっしゃる春風亭昇太さんです。しかし、組織だったお笑い部門としては、私たちが戻ってきたことが実質的なスタートになりました。

無名から始めた地道な広め方

駅の通路でライブを続けた

無名の芸人をどう広めていくか。人を新たに雇うというより、私たちがやったのは本当に地道なことでした。とにかくお笑いライブを開催して、人を集めようとしましたね。今でこそお笑いライブは珍しくありませんが、当時はほとんど存在していなかったんです。

駅に付随する商業施設の通路のような場所で交渉して、「ここでお金はいらないので、お笑い芸人3組くらいに芸をやらせてもらえませんか」とお願いして回りました。ほとんど断られましたが、いくつかは「いいですよ」と協力してくれる場所があって、そこに小さなステージを作り、「毎週木曜日の16時から17時は、無名だけど新人お笑い芸人がここで芸をやっています」というような、本当に地味な活動を続けていました。

ダンディ坂野のブレイクが転機に

そうした積み重ねの中で大きかったのは、サンミュージックに戻って5年半目にダンディ坂野がブレイクしたことですね。1つのブレイクが、それまで積み上げてきたライブ活動全体の説得力につながっていったように思います。

経営者として大切にしていること

「芸能界のドン・キホーテ」

弊社の強みは、タレントの層の厚さです。創業者である先代会長、そして2代目の相澤会長がよく言うのは、私たちがお笑いバラエティの世界に進出したことで、それまでアイドルや演歌歌手、俳優が中心だったサンミュージックに、芸人やグラビアアイドル、バラエティタレントという新しい分野が加わったということです。会長は自社のことを「芸能界のドン・キホーテ」と表現しています。いろいろなタイプのタレントがずらりと並んでいて、「何でもありますよ」と言えるような幅の広さが、弊社らしさだと思っています。

第一印象で決める理由

オーディションで見ている点は、この30年ほどで大きく変わってきました。以前は自分を強くアピールする人が多かったのですが、最近は「面白いって言われるので、いじってください」というような、受け身のスタンスで来る人が増えましたね。ですが、それが悪いということではありません。

弊社に所属するカズレーザーがオーディションに来た時のことは今でもよく覚えています。ビルの前に金髪で全身真っ赤な、ロン毛の腰まである不思議な人が立っていて、担当マネージャーに「あの人、弊社の養成所のオーディションに来た人じゃないか」と声をかけてもらったんです。本人はギラギラとアピールするタイプではなく、落ち着いた様子で「お笑いをやりたいから来ました」というだけでした。それでも存在感と空気感は圧倒的でしたね。

昔ながらのギラギラしたタイプでも、最近の落ち着いたタイプでも、共通して言えるのは「そこにいるだけで、なんだかわからないけれど存在感がある」人が受かるということです。私の場合、この判断は第一印象、10秒から1分もかからずについてしまいます。

聞くことが7割

面接では、話す内容そのものよりも、その人から何が引き出されるかを大切にしています。上手に話を聞き、相手の言葉を引き出すのは、面接する側の力量です。うちのマネージャーにも「お前が聞きたいことを聞くんじゃなくて、相手にしゃべってもらうよう促せ」とよく言っています。話す時は「聞くのが7割、話すのが3割」を心がけるように伝えていますね。

代表になって直面した難しさ

引導を渡すつらさ

代表になってから一番大変だったのは、こちらの思いと相手の思いがかみ合わず、空回りしてしまう場面でした。中でも一番つらいのは、何年も所属してくれているタレントに対して「もうここでは難しい」と伝えることです。

特に、10年ほど所属して努力を重ねてきた人に対して、結婚やこれからの人生の話も含めて「うちでは難しいと思う」と伝える瞬間は、いつになっても心が痛みます。お笑い芸人であれば「それのどこが面白いんだ」と厳しく言っても「え、面白くないですか」と返してくれることが多いのですが、俳優に「才能がない」と伝えると、5分ほど黙り込んでしまう人もいて、伝え方には本当に気を遣います。

移籍にまつわる縁

弊社にはほかの事務所で芽が出なかった人が移籍してくることもよくあります。例えば、スギちゃんは前プロダクション時代から一緒に活動していて、うちに来てからブレイクしました。カンニング竹山も、吉本、渡辺プロダクションを経てうちに来てからブレイクしています。

これは、担当するマネージャーや放送作家との相性が合うか合わないかによるところが大きいと感じています。弊社は芸人自身がライブを作ってきた歴史があるので、「テレビでは際どいけれど、ライブならOK」というような、少し際どいタイプの人材にも目を向けてきました。この許容範囲の広さが、ほかの事務所では評価されなかった人材を見出すことにつながっているのだと思います。

これからのビジョン

テレビが万能ではない時代に

今後のビジョンとしてまず大事にしているのは、今の規模より小さくならないことです。社員は約100名、所属タレントは350名から400名ほどいて、この規模を維持しながら、時代の変化に対応していきたいと考えています。

かつては「テレビに出なければ芸能人ではない」というような考え方が主流でしたが、今はYouTubeやSNSでバズった人を、テレビが後追いで起用するような時代になりました。表現の場は、テレビという1つの枠にとどまらないと感じています。

表現の場を広げたい

「芸能タレントはこうあるべきだ」という固定観念ではなく、「こういうやり方もあるのか」という発想を、弊社のスタッフにも持ってほしいと思っています。知人から聞いた話ですが、海外の医療現場では、俳優が病状の設定にもとづいた模擬患者としてインターンの訓練に協力する取り組みがあるそうです。これがすぐにビジネスになるかはわかりませんが、表現者としての訓練を積んだタレントだからこそできる仕事は、まだまだいろいろな分野に広がっていく可能性があると考えています。

廃校を活かした夢の構想

地方や都内には統廃合で使われなくなった校舎がたくさんありますよね。その廃校の教室や講堂を使って、俳優のワークショップを開きたいと思っているんです。

特にやってみたいのは、引きこもりや不登校で悩む子どもとその親御さんに、半年間、親子で「お笑い養成所」に通ってもらう取り組みです。半年かけて親子漫才ができるように訓練して、最後は講堂で地域の方向けに発表会を開く。ボランティアではなく、きちんと料金を設定することで、それだけの覚悟を持って取り組んでもらえるのではないかと考えています。エンターテインメントの力を、見せるだけでなく、悩んでいる人が参加する形で活かせたら面白いなと思っています。

編集後記

今回のインタビューを通して、印象に残ったのは「無理かどうかは、やってみなきゃわからない」という考え方です。今のように選択肢が可視化されている時代だからこそ、まず動いてみるという姿勢の価値を、あらためて感じました。駅の通路で無料ライブを続けるという地道な積み重ねが、今の会社の規模につながっているというお話は、就職活動で「効率のよさ」ばかりを追いがちな私たち学生にとっても、大きなヒントになるのではないかと思います。貴重なお話をありがとうございました。