挑戦する原点になった学生時代
女子校で身につけた主体性
私にとっての大きな転機は、高校時代にあります。中学校まではどちらかというと引っ込み思案でシャイな性格だったのですが、自由な校風の女子校に進学したことで環境が大きく変わりました。
個性豊かな友人たちに囲まれ、国際交流の場に出かけたり、文化祭の運営委員長に挑戦したりと、それまでの自分では考えられないくらい主体的に動くようになりました。高校生活が本当に楽しく、さまざまな人や価値観に触れたことで外の世界への興味も広がり、大学では英米文学科に進んでさらに語学を学ぶことにしました。
英語との出会いが人生を変えた
大学ではオックスフォード大学の姉妹校という縁で一ヶ月ほど短期留学をして、英語に触れる楽しさを知りました。部活はアナウンス研究会に入って、自分のことを話したりフリートークをしたりする経験を積んでいましたね。アナウンサーになりたかったわけではなく、栃木訛りを直したくて(笑)。結果的に、この経験がのちの就職面接でも本当に役立ったなと感じています。とにかく楽しさを優先していた大学時代で、勉強にたくさん時間を使ったとは言えないんですけれど、その延長線上で就職活動に進んでいきました。
金融から化粧品へ、そして海外へ
数字に追われた新卒時代
最初は化粧品会社を志望していたんですが、最終的に内定をいただいたのが金融系の会社でした。営業目標が毎日、毎週ランキングで可視化される環境で、人と競うというよりも「与えられた目標を100%超えたい」という気持ちがすごく強かったです。前日のうちに一日の動き方や、誰から声をかけるか、協力してくれる仲間をどう見つけるかまで考えて、戦略を練りながら働いていました。おかげで営業成績は比較的上位をキープできていたと記憶しています。
結婚を機に選んだ道
25歳で結婚した頃は、月の半分ほど出張する働き方でしたが、仕事には大きなやりがいを感じていました。金融の仕事そのものも好きで、このままキャリアを積んでいく道にも魅力を感じていた一方、結婚を機に、これから先も長く働き続けるための働き方について考えるようになりました。
そこで、自分のライフステージに合った環境を改めて考え、結婚から一年後に転職を決意しました。転職先に選んだのは、以前から興味のあった美容業界です。出産後も仕事を続ける女性が多かったことも決め手の一つでした。フリーペーパーや折込チラシの広告プランニング、女性誌とのタイアップなど、金融時代とはまったく異なる仕事に挑戦させてもらい、ここで新しいキャリアを築いていきたいと思っていました。
そんな中、子どもが生まれて2ヶ月ほど経った頃、夫からアメリカへの転勤が決まったと告げられました。当初は単身赴任を望んだのですが、家族帯同でなければ異動自体が成立しないという条件だったんです。
もともと夫は「海外で働くこと」を目標に努力していました。そのため、ここは自分が一歩引いて彼のキャリアを応援しようと決意し、会社を辞めてアメリカへ帯同することにしました。
海外生活が育てた美容への情熱
記事が消えた悔しさからインスタへ
アメリカに渡るとき、心に決めていたのは「必ず美容業界に戻る」ということでした。着いて3日後には美容ライターの仕事に応募して、美容記事を書き続ける日々が始まります。ところがちょうどその頃、メディア業界全体で著作権の問題が浮上し、多くの媒体で一気に記事が削除されるという出来事が発生しました。私が3〜4ヶ月かけて必死に書き上げた何十本もの記事も、すべて一瞬でなくなってしまったんです。
「せっかく頑張ったのに」という強い悔しさが込み上げてきました。同時に、他人のプラットフォームに依存する怖さを知り、「自分自身の発信の場を持とう」と決意したんです。そこからInstagramで美容系の発信を始めたところ、わずか半年でフォロワー1万人を達成し、その後は最大10万人を超えるまでに成長しました。
海外8年半で積み重ねた美容の専門性
アメリカとドイツでの海外生活は、合わせて8年半に及びました。最初のアメリカ生活では、専門家と名乗れる立場になろうと、ニュージャージーからバスでニューヨークまで通い、600時間の実習を経てエステティシャンの資格を取得しました。その後、メイクの専門学校でアドバンスメイクアップの資格を、さらにFIT(ファッション工科大学)でカラースペシャリストの資格をそれぞれ取得しました。独自の強みを確立するために、専門的な知識と技術を貪欲にインプットし続けた時期です。そのあとは栄養学の学校にも通って、カラダの内外の美容に関する知識を積み重ねていったんです。
ドイツで見つけた肌の真実
4つの学校に通い終えた頃、今度はドイツへの異動が決まりました。ちょうどコロナ禍でメイクの需要が落ち込み、投稿すればするほどフォロワーが減るという苦しい時期でした。しかも私自身、アメリカ時代、勉強と発信にのめり込むあまり、深刻な肌荒れに悩まされた時期がありました。慣れない海外生活のストレスも重なり、鏡を見るのも辛いほど肌が荒れてしまったんです。また関税の影響で日本のコスメを取り寄せるのも難しくなり、思い切って発信の方向性を変え、ヨーロッパの現地コスメの発信に切り替えることにしました。
ドイツは硬水地域が多く、肌への影響から現地では洗い流さない拭き取りタイプの洗顔が広く使われているんです。その方法に切り替えたところ、今ではファンデーションを使わなくてもいいくらい肌の状態が良くなりました。この経験をきっかけに発信を続けていたら、「ドイツ在住の美容の人」と認識していただけるようになりました。そして肌が変わった喜びをもっと形にしたいと、ニューヨークで取ったエステの資格を使って現地のサロンでも働き始めたんです。ドイツ語を勉強しながら、まずは挨拶だけでも現地の言葉で伝えることを大事にしていました。すると流暢に話せなくても受け入れてもらえて、リピーターさんも増えていったんですよね。
「アクアクレンジングセラム」に込めた想い
拭き取りケアへのこだわり
ドイツにずっと住み続けたいと思っていた矢先、今度は日本への帰任辞令が出ました。その前から、肌が変わった実感を伝えたくて本を書いて出版したり、日本の会社と製品開発の提携を進めたりしていたので、それを日本で形にしようと決めて帰国し、創業に至りました。
創業の経緯を簡潔にまとめると、海外生活の中でひどい肌荒れを経験し、ドイツでクレンジング・洗顔方法を見直したことで肌の状態が大きく変わりました。肌が整うにつれて気持ちまで明るく前向きになり、肌は見た目だけでなく、心にも影響するものだと実感したんです。その後、エステティシャンとして多くのお客様の肌に触れる中で、「落とすケア」の大切さを改めて感じました。毎日の洗顔を、肌をいたわる心地よい時間にしたい。そう思ったことが、創業の原点になっています。
第一弾として発売した「アクアクレンジングセラム」は、拭き取りタイプのクレンジング・洗顔・導入美容液を一つにした製品です。単なる時短アイテムではなく、汚れを落としながら肌の水分量を奪わず、むしろ高める処方にこだわりました。
さらに、拭き取り時の摩擦を抑えるためにクッション性のあるとろみを持たせ、無添加設計など肌へのやさしさも追求しています。自分自身の肌荒れ経験や、海外で学んだ知識、エステティシャンとして多くの肌に触れてきた経験を詰め込んだ製品です。
ヨーロッパで芽生えた想い、3年かけて形に
もともと、ヨーロッパ在住の日本人のスキンケアの受け皿になるような製品を作りたいという思いから、開発を始めました。現地では日本の化粧品が手に入りにくかったり、成分表示が読めずに困っているという声を多く聞いていたからです。
当初はドイツでの販売を目指していましたが、現地で事業を行うにはドイツ国内で法人設立が必須で、開発を進める中で日本への帰任が決まりました。ヨーロッパで形にしたいという思いが強かったので葛藤はありましたが、「まずは日本でブランドを育て、いつかヨーロッパへ展開しよう」と気持ちを切り替え、まずは日本での発売を目指すことにしました。
開発でいちばん苦労したのは、とろみの設計です。水のようにさらっとしていると拭き取り時の摩擦が気になりますし、逆に重すぎるとベタついて使いにくい。その絶妙なバランスを何度も調整しました。
ようやく理想の処方ができたと思った矢先、試作品が2週間ほどでサラサラに変化してしまったこともあります。そこから安定性を見直し、一年を通して品質を保てる処方にたどり着きました。企画を始めたのが2022年冬頃、発売は2025年9月。完成まで約3年かかりました。
応援されるブランドを目指して
数字の先に見えた「つながり」
以前運用していたInstagramでは、メイクや美容の知識を中心に発信し、多くの方に見ていただけるアカウントへと成長しました。今でも当時から応援してくださっている方がいて、その経験やつながりは私にとって大切な財産です。
一方で、長くSNSを運用する中で、フォロワー数を増やすことだけが大切なのではなく、「誰が、どんな思いで応援してくれているのか」を大事にしたいと思うようになりました。
今は製品だけでなく、自分自身のこともきちんと見せるようにしています。うまくいっていることだけではなく、製品開発で苦労していることや、こだわっていること、発売が遅れているときにはその理由も含めて伝える。格好いい部分だけを見せるのではなく、人間らしさも含めて正直に発信すること、そして自分が持っている知識や経験を出し惜しみしないことを大切にしています。それが少しずつ「応援したい」と思っていただけるブランドにつながっているのかなと感じています。
フラットな立場でいたい
プライベートをどこまで見せるかは、今でもすごく考えます。ただ、ブランドの代表として完璧な姿だけを見せるのではなく、時には、母親として日々悩んだり、仕事との両立に試行錯誤したりする一面も少しずつ発信するようにしています。
そうした投稿に共感してくださったり、同じ立場の方から声をかけていただいたりすることもあって、SNSは一方的に発信する場ではなく、人とつながれる場所なんだと感じています。ブランドの代表ではありますが、必要以上に距離をつくらず、身近に感じてもらえる存在でいたいと思っています。
これからのMiR
海外展開という目標
第二弾製品として、三層式のミスト化粧水「アクアヴェールミスト」の開発を進めています。25名の方にモニターとして試していただき、嬉しいご感想とともに、改良のヒントもたくさんいただきました。天然成分由来の美しい青色と三層の見た目が特徴で、化粧水でありながら美容液のような満足感も目指しています。見た目も、使い心地も、使ったあとの肌も美しい。そんな一本に仕上げたいと思っています。発売は年明けを予定しています。
今後はまず日本でしっかりとブランドを育て、その先にヨーロッパやアメリカなど海外への展開を実現したいと考えています。欧米への展開は、創業当初から変わらない目標です。
そして何より、「人から応援されるブランド」であり続けたいと思っています。発売から1周年を迎え、たくさんの方の声や応援に支えられながら、皆さんと一緒にブランドを育ててもらっている感覚があります。本当に感謝の気持ちでいっぱいですし、これからもその期待に応えられるブランドでありたいと思っています。
学生へのメッセージ
もがく時間を焦らずに
大変なことはたくさんあると思うんですけど、「こうなりたい」という願望に対して、今は違うなともがいている時期って必ずあると思うんです。私はその時間こそ、跳ね上がるチャンスだと捉えていますね。焦って決断するのではなく、その状況をある程度の期間、生きてみることが大事だと思っています。
もがいているあいだに、自分の方向性は少しずつ見えてくるものです。願望があるからこそもがくわけで、そのあいだにステップアップのための準備を進めておく。安易に「すぐ諦めない」という言葉でまとめたくはなくて、まずは焦らなくて大丈夫、ということを伝えたいです。もがいた先に見えてきたものに対して、着実に歩みを進めていってほしいなと思います。
夢や目標は、その時々の環境によって変わっていいと思っています。私自身、金融、化粧品会社、海外生活、美容の仕事、そして起業と、その都度違う道を選んできましたが、振り返るとどの経験も今の自分につながっています。その時は遠回りに見えたことでも、あとから大きな糧になることがある。だからこそ、「こうじゃなきゃ駄目」と決めつけず、その時々で自分なりの選択をしていってほしいと思います。
今は私自身も、仕事だけでなく家族との時間を大切にしながら、その時々の優先順位を考えて動いています。家族ともお互いのやりたいことを尊重しながら進んでいけたらと思っています。
編集後記
熊谷さんのお話を伺って、印象的だったのは「もがく時間」を前向きに捉える姿勢です。金融から化粧品業界へ、そして海外生活の中で幾つもの資格を取得し続けた歩みには、目の前の環境に流されるのではなく、そのつど自分の軸で選び取ってきた強さを感じました。学生団体として就職活動を控える身としても、「こうじゃなきゃ駄目」と決めつけずに、環境の変化を柔軟に力に変えていく考え方は、大きなヒントになりました。今後のMiRの海外展開も、楽しみに応援していきたいと思います。