Motty Japan株式会社で代表取締役を務める本山博嗣です。奈良と大阪を拠点に、物流・倉庫・製造現場に特化した人材派遣や有料職業紹介、業務委託・アウトソーシングを手がけています。今回は創業のきっかけから、今力を入れているフォークリフトへの思い、そして学生に伝えたいことまでお話しします。
父の他界がすべての始まりだった
39歳で残り時間を意識した
8年ほど前、父が66歳で亡くなりました。当時、私は39歳でした。父の年齢まで生きるとしたらあと30年もない。それまでは、なんとなく80歳くらいまで生きられるものだと思っていましたが、命の終わりというのは突然に訪れることもあるのだと痛感しました。だったら自分がやりたいことは、もう今やっていかないと間に合わない。そう思ったのが正直なきっかけのひとつです。
人を集めるだけではなく、現場の課題を解決する
物流・人材を軸に、現場そのものを考える
現在は物流を中心として、業務委託、人材派遣、職業紹介などを行っています。ただ、僕はMotty Japanを単なる「物流会社」や「人材派遣会社」にしたいとは思っていません。僕たちが提供したいのは、最終的には「課題を解決すること」なんです。お客様の現場を見て、「なぜ人が集まらないんだろう」「なぜ定着しないんだろう」「この仕事は本当に今まで通りのやり方でいいんだろうか」というところまで一緒に考える。単に「人を何人用意します」という話だけではなく、その現場が抱えている本当の課題は何なのかを見つけて、解決する方法を一緒に考えられる会社でありたいと思っています。
人材派遣が解決策になることもあれば、業務そのものを請け負った方がいい場合もある。人を紹介することが最適な場合もあります。最初からサービスを決めるのではなく、お客様の課題に合わせて最適な方法を考える。それがMotty Japanの仕事だと思っています。また、本業とは少し違った取り組みとして、過冷却の仕組みによってコーラなどをその場で一瞬で凍らせて提供する「スラッシュアイス」の事業も行っており、商業施設や地域のお祭りなどへの出店もしています。
コロナ禍からのスタートで人と向き合い続けた
志村けんさんが亡くなった年に創業
会社を立ち上げたのは2020年、コロナ禍の真っただ中でした。その年、志村けんさんの訃報に触れたとき、「人生はそれほど長くない」と、父を亡くしたときのことがフラッシュバックしたのを覚えています。そんな時期に会社を立ち上げようとしたので、周囲からは『なぜ今、この時期に創業するのか』と、僕や家族のことを心配してくれたからこその反対もありました。それでも、自分で決めた道を進むことにしました。
創業後には自分自身が新型コロナウイルスに感染し、隔離されて何もできず、収入が途絶えた時期もありました。また、人と向き合うなかで、信じていた人が離れていったり、裏切られたと感じる経験もあり、精神的にも厳しい時期がありました。それでも、人との関わりから逃げずに向き合い続けてきたことが、今につながっていると思います。
Motty Japanの会社づくり
僕は、一緒に働く人にも同じような気持ちを持っていてほしいと思っています。
誰かのために何かをする。
その人が喜んでくれる。
それを見て、自分もうれしいと思える。
お客様に対しても、スタッフに対しても、仲間に対しても同じです。「自分だけが良ければいい」ではなく、誰かの喜びを自分の喜びにできる人たちが集まる会社にしたい。全員が完璧に同じ考えである必要はありません。でも、「そういう会社っていいよね」と共感できる仲間と仕事をしたいです。
フォークリフトを「見せる技術」に変えたい
技量が誰にも伝わらない現状
今後のビジョンとしては、今の会社とは別に代表理事を務めている一般社団法人日本フォークリフト運転技能協会での取り組みに力を入れたいと思っています。フォークリフトの技術を、ただの作業ではなく、人に見てもらえる価値のある技能に変えていきたいのです。
野球やサッカーなら、技術が高い人はスターになりますよね。大谷翔平選手やメッシ選手のように、多くの人がプレーを見てすごいなと思う。それはフォークリフトでも起きていいはずだと考えています。今のフォークリフトの世界は、免許を持っていても、その人がどれくらいの技量なのかが誰にもわからないのです。雇う側も働く人も、そこがはっきりしないまま働いている。そこに価値が出せていないと感じています。
大関のように技量を定量化したい
相撲に横綱や大関という称号があるように、技術の技量を定量化して、誰が見ても「あなたは今、大関なんだ」とわかるようにしたいのです。免許を持っていることと、実際の現場で必要な技術を身につけていることは、必ずしも同じではなく、特に倉庫内でよく使われている、立って乗るタイプのリーチリフトは運転したことがない方がほとんどなのが実情なのです。安全を最優先にしながら、正しい操作技術を高めていくことが、より安全な現場づくりにもつながると考えています。そのためにも、免許取得だけで終わらず、実際の現場で必要とされる技能を身につけ、さらに高めていける環境をつくりたいと思っています。
名付けて「L-GAME」
名前は「L-GAME」、リフトのゲームと呼んでいます。Xゲームのようなイメージで、世界中に「自分が一番上手い」と思っているオペレーターがいるはずなのです。港などで働く人たちがなかなか日の目を見ることもなく、トヨタさんのようなメーカーがあっても、子どもの夢になるような仕事にはなっていません。技術が見えることで、かっこいいと思われる世界を目指したいと思っています。
現在はまだ団体を立ち上げた段階で、他の企業様に集まっていただきながら、月に一回、これからどう進めていくかを話し合っている状態です。マリオのような世界観というか、テレビでいう「SASUKE」のように、技の名前をつけてタイムを競うような大会にできたらいいなと思っています。
フェラーリのフォークリフトが賞品になる未来
これはあくまで僕の夢ですが、いつか世界大会の優勝賞品が「フェラーリ製のフォークリフト」になるくらい、フォークリフトの世界そのものを華やかにしたいと思っています。世界的なブランドが「フォークリフトを作りたい」と思うくらい、この仕事や技能の価値を高めていきたい。日本のメーカーが作るフォークリフトも含め、憧れの対象になるような世界をつくることが僕の夢です。実現の方法としては、事業投資型のクラウドファンディングでもいいですし、全国から自由に練習できる場所を作って、技能を身につけた人が仕事ごと紹介してもらえる仕組みや、免許取得と練習ができる教習所を作ることも考えています。
将来が見えなくても、まず動いてみてほしい
学生の頃の僕も、自分が将来会社を経営するなんて想像していませんでした。大学を卒業して、スカイダイビングのインストラクターになるという夢を追いかけ、そのためのお金を貯めるために物流の世界に入りました。その後ニュージーランドへ渡り、実際にスカイダイビングの世界に飛び込みましたが、そこで挫折も経験しました。その後、仕事をしていくなかで夢の形も変わり、家族を持ち、日本で暮らしていく道を選びました。そして父の死をきっかけに、人生の残り時間を強く意識するようになりました。振り返ってみると、一見つながっていないように見える経験が、今はすべてつながっています。だから、今やりたいことが見つかっていなくても、焦る必要はないと思います。ただ、悩んで何もしないより、小さくてもいいから一度動いてみてほしい。失敗することも、人との関係で悩むこともあります。それでも、動いた先で出会う人や経験が、次の道をつくってくれると思っています。
僕はいま、フォークリフトの世界大会「L-GAME」をつくろうとしています。学生時代の自分にそんな未来を話しても、きっと信じなかったと思います。だから皆さんにも、今見えている世界だけで自分の未来を決めてほしくありません。まず一歩動いてみる。その先に、自分でも想像していなかった未来があるかもしれません。
編集後記
今回のインタビューを通して、代表の本山さんの「まずやってみる」という姿勢がとても印象的でした。学生時代に将来が見えなかった経験から、フォークリフトという身近な技術を世界に届けようとする発想まで、一貫して人と向き合う姿勢が伝わってきました。就職活動でどう動けばよいか迷っている学生にこそ、読んでほしい内容だと感じます。私自身も、早稲田大学で学びながら学生団体の活動をしていますが、「悩むより先に動く」という言葉を胸に刻みたいと思います。