インタビュー

金網職人から始まった会社を、次の100年に繋ぐ

金網職人から始まった会社を、次の100年に繋ぐ
PROFILE
株式会社 新越ワークス 代表取締役社長
山後佑馬

金網職人が興した、燕三条のものづくり

昭和30年代、一人で始まった会社

会社の創業は祖父一人からのスタートでした。そうした歴史を経て、私は3代目の跡を継ぐことになります。金網加工の技術者として経験を積んだのち、自分の腕でお客さまから信用される仕事をしていきたいという思いから独立したと聞いています。

昭和30年代の創業当時、この燕三条地域では多くの方が一斉に独立して会社を立ち上げました。そのため、私と同じ3代目の同世代リーダーが地域に大勢います。このように創業60〜70年の歴史を持つ企業が今も数多く健在であることは、この土地ならではの強みだと感じています。

「新越ワークス」への社名変更

創業当時の社名は金網加工の会社としてスタートしたものでした。2014年に、会長である私の父の代で「新越ワークス」という今の社名に変わっています。金網加工が創業でありメインの事業だったのですが、その前からアウトドア事業の「UNIFLAME(ユニフレーム)」が立ち上がっていたり、比較的近年ではペレットストーブという暖房機を扱う「ウォームアーツ」という事業もできていたりと、社内に複数の事業が育っていました。そうした背景もあって社名を変更したと聞いています。ちょうどそのころから、新卒採用をはじめとした人材面にもより積極的に取り組めるようになっていったそうです。

東京の大学を卒業し、新潟へ戻る

私自身は東京の大学で機械系の学科に進み、機械工学を学びました。卒業と同時に新潟へ戻ってきたのですが、家業とは別の会社に就職するという選択肢ももちろんありました。その一方で、当時ペレットストーブ事業を担っていた別法人(現在のウォームアーツの前身にあたる会社)から声をかけてもらい、面白そうだという感覚で戻ってきたんです。

戻ってからの2年間は、わからないことだらけの中でメンバーと一緒に手探りで進めていました。その後、当時ペレットストーブの製造を担っていた新越ワークスのエネルギー事業部に転籍する形で入社し、そこから取締役として働くようになりました。

32歳で3代目社長に就任

エネルギー事業部の取締役事業部長を2016年から8年ほど務め、2022年に父から代表を引き継ぎ、現在に至ります。

「作れます」ではなく、課題を解決する会社へ

自分たちの技術と、外の力を掛け合わせる

事業は調理器具からアウトドア用品、ペレットストーブまで多岐にわたります。しかしながら、製造業と一言でいっても、祖父の代から大事にしてきたのは「お客さまに必要とされ続けるためにはどうするか」という視点だと思っています。

すべての工程を弊社だけでまかなっているわけではなく、いろいろな加工技術を持つ外部の力を借りながら事業ができている、という環境そのものが私たちにとって大切なポイントです。自分たちの手でやっていることと、外の力を借りてやっていることが明確に分かれていて、その両方がないと成り立たないと感じています。

お客さまの課題を解決するための「研究」

現在は中国をはじめとした海外でも相当な品質のものづくりができる時代になっていて、価格や品質だけでは戦えないと感じています。だからこそ弊社が目指しているのは、「加工ができます」というだけでなく、何をどう組み合わせればお客さまの課題を解決できるかを一緒に考える、ソリューション型の商品開発です。

そのためには、アルミやステンレスなど素材ごとの細かな知見も欠かせません。お客さまから言われた通りに作るだけでなく、弊社から提案できるようになるための研究を積み重ねています。私たちは図面をいただいてその通りに作る、というビジネスの仕方をしていないので、この研究力こそが今後さらに伸ばしていきたい強みです。

アウトドア市場の変化から学んだこと

アウトドア事業はここ数年で市場が大きく盛り上がった時期があり、その後の変化も含めて業界全体が経験してきたことだと思います。今までと同じ設備や考え方のままやっていても、業績を維持し続けるのは難しい時代になっていると感じます。海外の競合も含めて相手が強くなっていく中で、「私たちが提供できる価値は何か」を常に考え続けなければいけないと思っています。

部門を掛け合わせ、現場の困りごとに向き合う

部門をまたいだ技術の掛け合わせ

会社としてのビジョンをしっかりと定めているというよりは、それぞれの事業部が持つ技術や知見を掛け合わせられる土台を整えることを大事にしています。ある部署の技術を使えば、別の部署が営業で相談されている案件を形にできるかもしれない、ということが実際にありました。お客さまから見れば、それができるならぜひやってほしいという話ですので、部署の垣根を越えて取り組める環境づくりを進めています。今はDX(デジタルトランスフォーメーション)の面でも土台を整えながら、社員自身が「この技術が使えそうだ」と判断できるような環境づくりに取り組んでいる最中です。

現場から生まれた新規事業

最近、新規事業として飲食店向けの効率化装置に取り組み始めています。きっかけは、私たちの主力商材であるラーメン用の道具を通じて飲食店の現場に伺う中で見えてきた困りごとでした。ラーメンスープを仕込んだあとに冷やす工程で、これまではシンクに水を溜めて人手でかき混ぜる作業が必要で、時間も手間もかかっていました。そこで、鍋の中に入れてモーターの力で回転させながら一気に冷やす装置を開発し、少しずつ販売を始めています。

これは「こういうものを作ってください」と言われて作ったものではなく、現場に伺って一緒に働かせてもらう中で見えてきた、いわば潜在的なニーズから生まれたものです。飲食業界に限らず人手不足という社会の変化に、私たちが持っている技術で応えていけたらと思っています。

学生の皆さんへ

答えのない世界を楽しむ

学校の勉強と違って、仕事には「これをやれば正解」という決まった答えがありません。利益を出さなければ次の投資はできませんし、社員の給料も考えなければいけない。日々いろいろな問いに向き合いながら、今でも大学で学んでいたときのような発見があります。AIが登場したことで、いろいろな情報を集めやすくなった分、日々新しい知識をインストールしている感覚があって、それがとても楽しいです。

若さという武器を使う

私が伝えたいのは、失敗を恐れずにチャレンジしてみてほしいということです。私自身、32歳で社長になったときに十分な覚悟がなかったのですが、周りの先輩たちから「若さの武器があるから早くやった方がいい」と背中を押してもらいました。若いうちは周りが気にかけてくれますし、いろいろなことを教えてもらえます。多少の失敗も「若いから仕方ない」と思って次の成長に期待してもらえる。これは学生の皆さんの年代にある、まさに武器だと思います。

仕事にしろ何にしろ、自分自身が楽しいと思えることが原動力として何より大事です。上司の指示にきちんと応える厳しさも大切ですが、その中に自分なりの楽しさを見出せるかどうかが、長く続けていくうえでの分かれ道になると感じています。

編集後記

金網職人だった祖父の代から3代にわたって受け継がれてきた技術が、キッチンツールやアウトドア用品、ペレットストーブへと形を変えながら広がっている様子がとても印象的でした。ラーメンスープの冷却装置のお話のように、現場に足を運ぶ中で見つかった小さな困りごとが新しい事業になっていく過程は、老舗ならではの厚みを感じさせるものでした。「若さは武器になる」という山後社長の言葉は、これから挑戦する私たち学生の背中も押してくれるメッセージだと感じます。