インタビュー

試合に勝った瞬間の熱量を、街全体へ。元Jリーガーが流山から始める「地域のインフラ」への挑戦

更新: 2026年7月17日
PROFILE
株式会社流山FC 代表取締役
安芸 銀治

サッカーひと筋の学生時代

習志野高校でエースナンバーを背負う

私は5歳からサッカーを始め、千葉県の習志野高校へ進学しました。高校時代は10番を任され、チームの中心選手としてプレーしていました。あの頃はサッカー一色の毎日で、習志野高校の伝統や歴史、先輩方が築き上げてきた誇りを背負いながら、責任感を持ってピッチに立っていたことを今でもよく覚えています。

高校卒業後は、流通経済大学サッカー部へ進学しました。自分たちの学年だけで、70人以上の選手が在籍し、部全体では200〜300人規模という大所帯の環境でした。その中でトップチームのピッチに立てるのはスタメン11人と限られた数名のみ。さらに、その中から毎年プロの世界へ進める選手はほんの一握りです。自分がこれまで経験してきた競争とは比べものにならないほど厳しい現実を目の当たりにし、サッカーの世界の厳しさと奥深さを学びました。

2軍からキャプテンへ

入学時は2軍のカテゴリーからスタートしました。クラブの中にはJリーグの下部組織出身でプロへ行けなかった選手たちが集まる1軍チームもあって、そこから漏れた私は下のカテゴリーで踏ん張ることになったんです。

1年生の頑張りを評価していただき、2年生では全7カテゴリーのうち上から3番目のチームまで上がることができました。さらにトップチームへ引き上げてもらったのですが、そこからは想像を超えるプレッシャーとの戦いでした。当時のトップチームには、2018年から柏レイソルなどで活躍し、現在はファジアーノ岡山でプレーしている江坂任さんをはじめ、そうそうたる先輩方が在籍していました。

その環境の中で結果を出さなければならないという思いが強くなりすぎてしまい、気づけば心も身体も追い込まれていました。今振り返るとオーバートレーニング症候群のような状態だったと感じています。ユニフォームを着るだけで吐き気がするほど追い詰められ、これまで人生のすべてだったサッカーが苦しいものに感じられるようになっていました。

3年生では一度2軍に戻って。でも、4年生で副キャプテンに選んでもらいました。ただ、最終的にプロからの声はかからなかったんです。

ブラウブリッツ秋田へ自ら飛び込む

それでも「やりきりたい、プロになりたい」という気持ちは消えなくて。監督やコーチに頭を下げて、Jリーグのクラブへの練習参加を頼みました。そこでご縁をいただいたのがブラウブリッツ秋田(当時J3、現J2)で、入団という形でプロのキャリアが始まりました。

経営者への転換点

アイルランドで見えた「本当にやりたいこと」

プロ契約は2年で満了になりました。その後、「サッカー以外の人生で何がしたいのか探したい」という気持ちが強くなって。一つのクラブの中だけにいると世界が狭くなる気がして、いろんな文化に触れていろんな人に会いながら、次の人生を探す旅に出ようと決めたんです。

アイルランドに渡って、クラムリン・ユナイテッドFCと契約しながら語学学校に通い、いろんなことに挑戦しました。ブログを書いてみたり、イベント運営を手がけてみたり。その中で「これだ」と刺さったのが、イベント運営だったんです。

仲間と一緒に作ったイベントに、沢山の人が来て「元気もらったよ」「自分も頑張ろうと思った」って言葉をかけてもらった時に、サッカーで試合に勝った時の充実感にすごく近いものを感じました。

仲間と一緒に作ったもので誰かのためになっていたり、目に見えない「プラスのエネルギー」を届けられたりした時に、幸せを感じているんだって気づいたんです。そう考えてから、「これをボランティアで終わらせるだけではなく、自分もしっかり食べていけるようにするにはどうすれば良いか」という発想が生まれました。

サッカーを武器に経営へ

イベント運営は好きだけれど、それだけでは食べていけない。それならどうすればいいのかと考えた時、ずっとやってきたサッカーが自分の武器だと気づいて、サッカークラブの経営・運営なら自分でもできるんじゃないかと考えました。

ただ、いきなりクラブを立ち上げても、そもそもわからないことだらけだったので、まずは日本でビジネスを学ぼうと就職活動を始めました。ただ、私の親が建設業を経営していて、そこを継ぐのか継がないのかという問題がありました。ビジネスや社会を学べる場所が近くにあること、そしてこれまで夢を応援してくれた両親にも貢献したいという想いから、すぐには継がないにしても、そこで基盤をつくろうと思いました。

また、その前にひとつ重要な経験がありました。埼玉県の立ち上げ間もない社会人チームに「選手として力を貸してほしい」と声がかかったんです。私はもう、プレーヤーとしてよりも運営側をやりたかったので、「プレーで貢献する代わりに、クラブ運営の仕組みを教えてほしい」と話して、1年弱ほど選手と運営を兼任しながら学びました。それが今の流山FCの基盤になっています。

NAGAREYAMA F.C.の今

スポンサーは紹介でつながっていった

2021年6月に株式会社流山FCを設立して、2022年シーズンから最下層の千葉県3部リーグでNAGAREYAMA F.C.を始動しました。多くのスポンサー企業様とは、ご紹介をきっかけにご縁をいただきました。5年目にもなり、流山市内の多くの企業様とつながることができた感覚があって、これからは応援していただいている企業様により返していくために、内容やコンテンツをブラッシュアップしていくことと、エリアを少しずつ広げていくことの両面が大切だなと思っています。

私が大切にしてきたのは、目の前の利益だけを取りにいかないということです。「目標を達成できなければ協賛金をお返しする」くらいの覚悟を持って向き合っています。もらっている以上のものを常に返していく、そういう気持ちと覚悟で行動しています。たとえば、パートナー企業様が困っていることがあれば聞いて、関係する別の企業さんを紹介するとか。そういう積み重ねがつながりを広げてくれたんだと思います。それでもまだまだ返せていないと常に感じていますし、応援していただいている企業様には感謝の気持ちでいっぱいです。

選手が「9時17時」で働くクラブ

今の事業は、パートナー企業の新規獲得と既存の関係強化、それから監督業の兼任が柱です。それ以外にグッズ販売、ファンクラブ・コミュニティ運営、ジュニアユース(中学生)のスクール、幼稚園から6年生向けのアカデミーも運営していて、それぞれに責任者を置きながら最終的な意思決定を私が担っています。

ひとつ自慢できるのが、選手の働き方です。選手は月曜から金曜まで9時から17時で親会社(建設業)の正社員として働いて、その後週3回の平日練習と土日どちらかの試合をこなしています。スポンサー企業さんからしたら「仕事にも真剣に取り組む選手がくる」というメリットにもなっていて、採用と支援が重なっていく仕組みを作っています。

サッカーを知らない人への歩み寄り

認知を広げる上で一番力を入れているのがホームタウン活動です。毎週土曜日にゴミ拾いをしたり、地域のさまざまなイベントに参加したりしています。

まず、大前提として地域をホームタウンとして活動していく以上、しっかりと地域にも貢献したいと思っています。また、サッカーを知らない人にとって、Jリーグに行こうと行くまいと自分の生活には関係ありません。だからこそ、私たちのほうから歩み寄っていかないと、応援してもらえないと思っています。「地域のインフラになる」と掲げているのも、まず私たちが生活に必要不可欠な存在になることで、自然と夢を応援してもらえる関係をつくりたいからです。

ビジョン

夢を「身近に感じられる」街へ

私たちのビジョンは「地域のインフラになって、夢を身近に感じられる人を増やすこと」です。夢を持てと押しつけるのではなくて、たとえ自分が夢を持たなくても、身近に夢を追っている人がいる環境があることが大切だと思っています。

私には3歳と2歳の子どもがいるんですが、子どもができないことをできるようになって喜んでいる姿とか、発表会で緊張しながらも頑張っている姿を見ると、自分もすごく感動して「頑張ろう」って思えるんですよね。そういうプラスのエネルギーを、サッカーを通じてたくさんの人に届けていきたいんです。

みんなで一丸となって同じ目標に向かい、試合に勝った瞬間の熱量は、スポーツならではの感動だと思います。スポーツ業界に関わりたい人、サッカーに興味がある人は、ぜひ声をかけてほしいです。まだまだ小さなクラブなので、いろいろな関わり方をご提案可能です。

編集後記

元Jリーガーである安芸さんが、アイルランドでイベント運営に熱中した経験を経て「プラスのエネルギーを届けることが自分の本質だ」と気づき、サッカークラブという形を選んだというストーリーが印象的でした。安芸さんが「好きなことを仕事にする」ではなく「自分の幸せの本質を理解した上で手段を選んだ」という考え方は、やりたいことが見つからないと悩む学生にとって一つのヒントになると思います。選手が正社員として働きながらサッカーを続けられるという仕組みも、スポーツと社会をつなぐ新しい形として注目したいです。