インタビュー

過去を否定しない。回り道だらけの人生で手にした、本物のスキル

過去を否定しない。回り道だらけの人生で手にした、本物のスキル
PROFILE
株式会社テンカ 代表取締役
森田王

遠回りだらけの青春

デザイン科は1年で中退した

もともと岐阜の人間で、実家はクリーニング屋を営んでいました。中学時代だけ田舎の方へ引っ越して、バスが3時間に1本しか来ないような場所で3年間を過ごしたんですよね。

高校は工業高校のデザイン科に進学しました。とくに勉強が好きだったわけではなくて、「絵を描くだけならいけるかな」くらいの気持ちで入ったんです。でも実際は課題も多いし、5教科の勉強もしなきゃいけない。夏休み明けの秋からはもうほとんど行かなくなって、結局1年で中退しました。

当時はやっぱり遊びたい盛りで、友達と遊ぶのが楽しかった。でも家が裕福なわけじゃないし、お小遣いも欲しい。それで16歳になってすぐ、寿司屋で修行を始めました。生き物を触るのが苦手で、魚介類も苦手でしたが、それくらいしか働く場所はなかったんです。1年半ほど続けたんですが、大将と喧嘩して辞めることに。父親の紹介だったので、辞めた時はさすがに怒られましたね。

地球滅亡を本気で信じていた

高校時代に演劇部に所属していたんですが、その卒業生たちが「地元で劇団を作るから一緒にやらない?」と声をかけてくれて。寿司屋を辞めるのと同時に劇団に入って、フリーターをしながら舞台活動をする生活を始めました。

なんでそんなに気楽でいられたかというと、ノストラダムスの大予言を本気で信じていたんですよ。1999年に地球が滅亡するなら、就職なんかしなくていい。好きなことをやろうって。滅亡しないにしても「何かは起こる」と思っていました。

結局何も起こらなかったんですけどね。バイト先のTシャツプリント工場の上司から社員にならないかと声をかけられた時も、「1999年7月までちょっと待ってください」と答えていて。7月を過ぎたタイミングで、ようやく就職しました。

iMacを購入してウェブデザインを覚えた

プリント工場でイラストレーターやフォトショップを覚え、その頃に登場した初期のiMacを購入しました。

劇団の仲間同士でウェブ制作が流行し、自身でも「モリータ王国」という個人サイトを制作しました。これが私が制作した初めてのウェブサイトです。その後、「InaTube」という稲中卓球部の非公式ファンサイトなども運営していました。

じゃんけんで決めた役者引退

当時は役者として食べていこうとも考えていて、一度東京にオーディションを受けに行ったことがあるんです。ところが渋谷のスクランブル交差点を通った瞬間、「私はここには住めない」と感じてしまって。住めないなら役者の道は諦めようと決めました。

劇団の仲間たちには「辞めるな」と引き止められました。でも一度そういう気持ちになると、もうセリフが覚えられなくなるんですよ。本当にアレルギーみたいになってしまって。

最後は高校の同期でもある当時の座長とじゃんけんをして、私が勝ったら辞める、という決め方をしました。結果、私が勝って辞めたんです。軽いですよね。25歳くらいの頃だったと思います。

転職と挫折を繰り返した会社員時代

オンラインショップとの出会い

劇団を辞めた頃にはすでに就職していて、岐阜の小さな広告代理店でデザイナーとして働いていました。その広告代理店では主に新聞広告や折込チラシなど制作していましたが、なぜか営業に回されてしまい、辛くなって辞めました。

その後、劇団員時代の座長がデザイン会社をやっていたので、しばらくバイトしていました。ここで初めてオンラインショップの運営に携わります。当時はまだオンラインショップ自体が少なく、今でも「あれでよく売れてたな」と感じます。ちなみに彼の会社とは今でも取引があるんですよ。

楽しく続けていましたが交際相手の妊娠が発覚し、「さすがにフリーターはまずい」と思っていた矢先、退社していた広告代理店に「営業はやらなくていいから戻ってこい」と言われ復帰することにしました。

復帰後は、私のウェブ制作の知識やスキルを買われ、ウェブサイト構築に携わることになったんです。当時はサイトを持っている企業自体が少なくて、「作りたいけどどこに頼んでいいかわからない」という会社が多かったようです。

広告の「作る側」と「出す側」

ただ、中小企業の広告代理店デザイナーってやっぱり給料が安いんですよね。残業ばかりだし、残業すると家族に白い目で見られる。残業しないと手当はつかない。デザイナーとしても伸び悩んでいました。そんなジレンマを抱えていた時に、別の広告代理店に務めていた元同僚の紹介で、ある企業の広報にならないか?と誘われ転職しました。

そこでは多くの事を学びました。デザインを「作る側」だった私が「出す側」の立場を経験して、初めて新しい視点で広告を見られるようになったんです。自分で何でもやるのではなく、適切な人に任せることも大切だと気づきました。安いから頼んでくださいという営業ではなく、質の高いものを提供すればちゃんとお金を出してくれるクライアントはいる。そのことを身をもって学びましたね。

悪徳会社と新興宗教

でもそこ、実はめちゃくちゃ悪徳会社だったんですよ。このままいたら捕まるぞと思って、早めに辞める決意をしました。

その後は広告代理店時代にクライアントだった建築会社に、広報として拾ってもらいました。社長は私の結婚式にも来てくれた、いい人だったんです。ただ落とし穴がありまして。変な新興宗教に入れさせられたんですよ。

何度も転職しているし、の両親の手前もあって、さすがに「また辞めます」とは言いづらかった。何より2人目の子供が産まれたばかりでしたから。しかし「自分に会社勤めは向いてないから起業したい」と妻に相談したところ、了承してくれました。

その会社に在籍しながら独立の準備を始めて、30歳でデザイン事務所「モリタ・クリエイト」として自営業をスタートしました。

独立、そして体を壊した日

500円の仕事も受けていた

独立した最初の頃は、とにかく何でもやっていました。友達に「キャバクラの案内所の看板を500円で作ってよ」と言われて引き受けていたくらいです。さすがに500円は無理だろと今なら思いますが、当時はイエスマンだったんですよね。

顔面神経麻痺になった

そんな生活を続けていたら、体を壊してしまいました。顔面神経麻痺です。顔の半分が動かなくなって、笑っても片側だけ動いたり、涙が勝手に出てきたりする。忙しすぎて神経の通りがだいぶ悪くなっていたんだと思います。

幸い早期に対処したので今はすっかり治りましたが、それをきっかけに仕事を選ばなきゃいけないと考えるようになりました。ヒアリングの段階で予算がなさそうだなと感じたら、ちゃんと断る勇気も身につけたんです。

デスクワークは運動不足になりがちなので、圧倒的に身体が弱ってくる。忙しくなると運動する時間も削ってしまいがちですが、無理をしてでもそういう時間を作らないと、本当に長くは続けられません。50歳を目前にし、本当に身にしみています。

AI時代のウェブを「誠実に」作る

9割が「ガラサイト」

今はLLMO、つまりAI時代に対応したウェブサイト改修のアドバイスを中心に手がけています。1年ほど前から勉強を始めたんですが、突き詰めていくと結局、新しい技術なんて何ひとつないんですよ。昔からあるルールをちゃんと守りましょう、という話なんです。

たとえばHTMLの見出しタグ。H1からH6まで順番を正しく守る。たったそれだけのことなのにできていないサイトがものすごく多い。私はそういう時代遅れのコーディングのサイトを「ガラサイト」と呼んでいるんですが、日本のウェブサイトの9割はガラサイトだと感じています。

なぜそれが問題かというと、LLMが読みにくいからです。いくらテキストで大事なことを書いていても、AIがクロールする時間内に読めなければまったく意味がない。だからAIが認識しやすいサイトに改修しましょう、というのが弊社の提案です。

実際に同業者の友人が運営するポータルサイトで、Googleの検索結果に表示されなくなったことがありました。ChatGPTでいろいろ改善を試みたけどうまくいかないから助けてくれと言われて見てみたら、H2の後にH1が来ていたんです。その順番を直しただけで、一瞬で検索5位くらいまで戻りました。本当にそれだけのことなんですよ。

ラブレターのように丁寧に

弊社のLLMO事業には、「一通のラブレターを丁寧に書くように、ウェブサイトを誠実に作る」というコンセプトがあります。小手先のSEOハックではなく、正しいコードで正しく構築する。それがAI時代に求められているものだと確信しています。

今はビジネスパートナーと一緒に、サイトの無料診断レポートを作成し、クライアントに提案するという取り組みも始めました。ただ一人でサイト構築できるのは月に2、3本が限界で、それ以上になるとまた体を壊しかねない。今後1、2年のうちに現場作業からディレクション業務に移っていきたいと考えています。

45歳で法人化して株式会社テンカを設立しましたが、正直「社長になりたい」という気持ちはまったくなかったんですよ。会社が嫌で辞めた人間が自分で会社をやるなんて、と思っていました。でもやっぱり社会的信頼性がないと食べていけない。法人化したことで窓口も増えましたし、結果としてよい判断だったと感じています。

過去はすべてスキルになる

泥臭い経験こそ宝

私自身、いろいろな職を転々として、好き勝手に生きてきました。でも今やっていることって、過去の経験がすべてスキルになって役に立っているんです。

最初の寿司屋では、年配の方とも平気で喋れるハートが身につきました。劇団員時代は私の青春であり、エンタメ魂は自身の核となっています。長年培ってきたデザインのスキルはもちろん今も使っていますし、広告を「作る側」と「出す側」の両方を経験したことは、自分にとって本当に宝だと思っています。

高校を中退したことも、まったく後悔していません。就職していた時は学歴がないぶん初任給も安かったし、いいところには就けなかった。でも今となっては、良かったなと思えるんです。大事なのは勉強を続けること。48歳になった今でも日々新しいことを学んでいますし、まだまだ覚えることはあるんだなと感じます。

今はデザインやコーディングもAIでできますが、知識がある人がAIを使うのと、ない人が使うのでは、まったく仕上がりが違う。だからこそ、自分自身の手で文章やコードを書く力を忘れないようにしています。

これから学生のみなさんもいろいろな転機を迎えることがあると思います。でも過去を否定するのではなく、失敗したと思った経験も未来への力やスキルに変えていってほしい。高校のデザイン科に半年しか通わなかった私が今もデザイナーを続けているのに、同期にはほとんど残っていませんからね。結局、現場での経験が一番生きるんです。

先頭に立つリーダーでありたい

今は一人法人ですが、今後もし雇用したとしても、私は上に立つ人間ではなく、先頭に立つ人間でありたいと思っています。社長でもリーダーでも、上にいるんじゃなくて前にいるんだよ、ということが大事だと。

高校を中退して、野良犬みたいにずっと生きてきました。でも自分で一軒家を建てて、会社の社長にもなれた。やろうと思えば何でもできるんです。自分が培ってきた知識とスキルを生かせれば。

喧嘩別れした人たちにも、みんな感謝しています。身も心もいつの間にか丸くなりましたが、その角がぶつかってぶつかって丸くなった過程こそが、今の私を作ってくれたんだと思っています。

編集後記

森田さんのお話を聞いていて、「過去を否定しない」という言葉がとても強く心に残りました。高校中退からフリーター、劇団、転職を繰り返しながらも、そのすべてが今のスキルにつながっているという実感には説得力があります。私自身、学生として将来のキャリアに悩むこともありますが、今取り組んでいることが無駄になることはないのだと勇気をもらいました。ノストラダムスの大予言を信じて就職を先延ばしにしたエピソードには思わず笑ってしまいましたが、どんな経験も自分の糧にできる森田さんの生き方に、これからの時代を生き抜くヒントがあると感じています。