インタビュー

シンガポール育ちの大学生が広島で起業。「広島から世界へ」を本気で目指すCEO

PROFILE
株式会社クラークン 代表取締役社長 CEO
千田 太志

シンガポールで芽生えたビジネスへの好奇心

6歳から16歳までシンガポールで過ごす

小学校1年生のタイミングで、両親の都合によりシンガポールに渡りました。そのまま高校1年生になるまで現地で育ちます。

中学生のころ、近所にお医者さんをしながら副業でYouTubeをやっている方がいて。親の影響もあって仲良くさせてもらっていたので、おうちに遊びに行っては英語の勉強をしたり、お金の仕組みやビジネスについて本を見せてもらいながら教えてもらったりしていました。そこからビジネスに興味を持ち始めたんです。

ペン回しが編集者の原点だった

ビジネスへの関心が高まるなかで、もう一つのきっかけになったのがペン回しです。中学1年生のときに始めて、ペン回しの動画をみんなで持ち寄り一つにまとめて編集する文化があったんですよね。その編集をやっているうちに編集技術が身について、「これ、お金にならないのがおかしい」って思ったんです。そこからYouTuberの裏方として映像編集で稼ぎ始めた、それが最初のきっかけです。

ペン回しの界隈ではある程度の認知があったので、物販などをやる際にもゼロから知ってもらう必要がなくて。自分の名前を使えばある程度売れる状態だったのは、すごくいい経験になりました。

単身帰国し、高校生で個人事業主に

シンガポールにいると学生ビザの関係で自分で事業を立ち上げたりお金を稼いだりすることができない。永住権も取れないなら、じゃあ日本に帰ろうと思って、高校1年生のタイミングで単身帰国しました。

帰国先は出身地の神奈川県です。そこから個人事業主として、それなりに数字を持っているYouTuberの企画・編集といった裏方を請け負っていました。出る側ではなく、あくまでサポート側として。それが高校時代ですね。

広島での起業と、ゼロからの人脈づくり

大学1年生の10月に法人化

浪人してから広島大学に入学しました。現役時代はやりたいことしかやっていなかったので受けたら全部落ちて、浪人中にAO入試があることを知って受かったという感じです。

入学してから同じ年の10月には法人化していました。今の株式会社クラークンです。

最初の1年は誰も知っている人がいなかった

広島に引っ越してきて、祖父母以外は誰も知らないというゼロの状態でした。当然、人脈もゼロから作っていかないといけない。最初の1年はほぼ個人事業主みたいな形で、イベントの動画撮影やプロモーションビデオ制作といったスポットの仕事が多くて、売り上げもほとんど立っていませんでした。

3年目ごろから人脈ができ始めて、それを今も伸ばし続けているという流れです。

ひろしま自動車産学官連携推進会議との出会いが転機に

転機になったのは、ひろしま自動車産学官連携推進会議(通称「ひろ自連」)からお声がけをいただいたことです。ひろ自連は、自動車メーカーやそのサプライヤー・大学・行政がひとつになって地域を盛り上げようという団体です。

大学のほうに相談があって、ちょうど自分が割と目立っていた時期だったので、話が来たんです。大したことをやっていなくても起業しているというだけで、広島では目立ちやすかったというのはあります。

声がかけられたのは私だけではなかったみたいですけど、返事がなくなったり打ち合わせの日程を決めなかったりで取りこぼしていた方もいたそうで。私はこれは絶対に広がるところだと思ったので、SNSの活用を提案して、実現するまで約1年間、打ち合わせをしながら粘り続けました。そこからいろんな企業さんとのつながりができて、実績もできてきたという感じです。

「ひろしまジョブナビ」で変えたい、就活のかたち

文字ベースの採用媒体の限界

現在のメイン事業は、採用系YouTubeチャンネル「ひろしまジョブナビ」です。

マイナビやリクナビのようなナビサイトは広告出稿の媒体なので、お金があるほど上位に表示される仕組みです。ということは、広島の中小企業はどうしても大手には勝てない。また文字ベースである以上、給与の額面しか見られないという実態があって。広島で働くことの可処分所得としての豊かさ、たとえば家賃の違いなんかは考慮されないんですよね。

そうなると学生にとって広島の企業が魅力的に見えなくなってしまう。自分の周りにも大企業に入ったのに「こんなはずじゃなかった」という人がいて、ミスマッチが離職にもつながっていく。だからこそ、中身を知ったうえで会社を選べる就活ができればいいと思って「ひろしまジョブナビ」を始めました。

広島モデルを全国へ

まずは広島でモデルを作ること。それができれば他県への横展開も見えてきます。自分たちの目標は広島で愛されながら「広島で一番の企業」になること。ちゃんとローカルを大切にしながら、外貨も稼いでいきたい。

一番美しいストーリーとしては、広島の企業が私たちの後押しをしてくれて、世界と戦っていくというかたちです。どういう形になるかはわからないですけど、そういうふうになりたいとは思っています。

広島を好きになれた理由

もともと広島に住んだことはなくて、縁といえば祖父母がいるくらいでした。それでも今、広島でやり続けているのは、よくしてもらっているからが一番大きいと思います。

ひろ自連とのつながりが他社さんへ広がっていったのも、周りのサポートがあってのおかげですし。そこまでしてくれているんだったら恩返しをしたい、そういう場所だからこそいたいと思える。それが広島で頑張っている一番の理由です。

チャンスの嗅覚と、愚直に続けること

再現性のない成功体験

正直に言うと、自分がやってきたことには再現性がないと思っています。なんかこうしたらこうなるよ、みたいなことは一概には言えなくて。

それでも自分と他の人が何が違ったかなと考えたとき、一つ思うのはチャンスの嗅覚です。ひろ自連からの話があったとき、私はこれが絶対に広がると思ったから1年間粘れた。その見極めと、チャンスだと思ったら粘り続けること。それは周りと違った部分かなと思います。

信頼が仕事の土台

ビジネスって結局、信頼・信用だと思うんですよね。会社対会社でお金が動く以上、信頼している人にしかお願いはしない。方程式に当てはめるような話ではなくて、人と人がつながるかどうかという話なので。1年間粘り続けたやつの方がお願いしてみたくなりますよね。逆の立場でもそうだと思うので。

うまくいってきたのは、運が良かったというのも大きい。支えてくれる人に出会えたことは、当たり前のことじゃないと思っています。

編集後記

インタビューをとおして、千田さんがペン回しからYouTube編集、個人事業主、そして法人化へと、決して一直線ではない道をご自身の嗅覚で切り開いてきたことがよく伝わりました。「広自連への提案を実現するまで1年間粘った」というエピソードが特に印象に残っています。スタートアップのような急拡大を目指すのではなく、地域との信頼関係を着実に積み重ねているスタンスは、起業を志す学生として非常に参考になりました。「広島から世界へ」というビジョンが本当の意味で実現する日を、一読者として楽しみにしています。