インタビュー

「学歴という採用条件の壁」から始まった。会社員と副業を両立し続けた40年

「学歴という採用条件の壁」から始まった。会社員と副業を両立し続けた40年
PROFILE
Green Lable合同会社 代表社員
伊藤 緑

https://pr-woman.net/

男女雇用機会均等法施行で起きた「採用条件の壁」

女性の短大卒の就職先が多かった時代

私が短期大学に入学した1985年4月頃、地方では四大卒より短大卒の方が就職先があると言われていました 。しかし、男女雇用機会均等法が施行された1986年4月。急に風向きが変わりました。 

就職を考えた企業から、「今年から女性は四大卒のみの採用になりました」

就活を始めて、希望していた企業様に連絡したら「今年から女性は、四大卒しか取りません」と言われてしまって。「あれ、急に時代が変わった?」って思いました 。それでもなんとか就職はできました。

銀行系ソフトウェア会社の人事部へ

入社したのは東海銀行(現・三菱UFJ銀行の前身の一つ)系列のソフトウェア会社でした。当時は、まだ一人一台のPCがある時代ではなかったのですが、この会社ならSE(システムエンジニア)という仕事ができる、って思っていたんです。でも、入社時の辞令は「総務部」で。今もはっきりと覚えているんですけれど、入社当日に「退職願ってどうやって書くんだろう?」って考えました。 

入社1ヶ月で、人事部に異動になって、給与計算の仕事をすることになりました。自社内に給与サービスシステムがあったので、残業計算は組まれたプログラムで運用することになりました。自分でプログラムは書かないけれど、日常的にパソコンに触れることで、新しいことが始められると感じて「退職願」を書かなくてよかったと思いました。具体的には、Windows95が出る前なので、黒いDOS画面にsendコマンドを打つ、とか。AI時代にこんな話分かる方少ないですね。

おかげで今、AIで作るアプリのコードを見るとちょっとだけ分かることがあります。ほんのちょっとですが、、、 

それ以外にも、給与計算や採用の仕事をしたおかげで、社会保険や確定申告のことも理解できて、これは一生モノのスキルを仕事で手に入れられたと思っています。日本って、企業が年末調整をしてくれるので、多くの方はご自身の社会保険料や税金についてあまり意識していないなと感じていて。最初の職場で社会保険や税金の仕組みを知れたのはラッキーだったと思います。この経験があったので、のちにFPの試験を受けました。 

会社員をしながら追いかけた「作詞家」への夢

レコード会社に売り込み続けた日々

ソフトウェアの会社には結局8年3ヶ月在籍しました。ただ、その間、ずっと「作詞家になる」という途方もない夢を本気で考えていました。これは17歳の時に見つけた夢です 。当時は愛知にいたんですが、東京に出なければという思いがずっとあって、会社の仕事をしながらレコード会社に売り込みを続けていました。

28歳で上京、30歳で作詞家デビュー

レコード会社への売り込みの結果、ご縁があって28歳の時に東京に出て、作家として事務所に所属することになり 、30歳で作詞家デビューをしました。上京のタイミングで会社は辞めていて、派遣社員などいろいろな働き方をしながら。ずっと会社員一本ではなく「ライスワーク+自分のやりたいこと」を抱えて生きてきた感覚です。

印税だけでは食べていけない現実

事務所には入っていたものの、収入は印税のみで。社長から「自分でちゃんと稼ぎなさい」と言われて、派遣社員をしたり、当時始まったばかりのWebの勉強をしてHTMLを書けるようにしたり。Webページが作れて文章も書ければ食いっぱぐれないんじゃないかと思ったんです。ただ私にはデザインセンスがなくて。Webデザインは知識として持ちつつも、メインは歌詞を書くこととライティングの仕事をしていました。

広報という仕事との出会い

ITベンチャーでの運命的な出会い

自分にとって転機になったのは、34歳の時に入社したITベンチャーです。当時は携帯電話のソフトウェアを開発していた会社で、今はKLab株式会社という社名になっています。もともとはWebサイトのリニューアルの業務委託だったんですが、Webサイト完成後に広報担当者として働かないかと誘っていただきました。

ウェブ制作から広報担当者へ

広報という仕事はまったく知らなかったんですが、Webサイトを作ったことで、会社のことを理解したということで、そのまま広報の仕事につながっていきました。ちょうど広報経験者も入社してくるので、学びながらやってほしいと言われて。そこから今につながる、広報PRの仕事が始まりました。

Green Labelの事業内容

メインは広報PR、プラスSDGsライティング

弊社の事業内容はメインが広報PRで、プラスしてライティングをしています。大きなメディアで書くというより、得意分野であるSDGsを中心とした社会課題解決の文脈をメイン分野にしていて、そういった特集をする媒体さんから取材のご依頼をいただくことが多いです。

「日本で一番簡単な言葉でSDGsを書けるライター」を目指して

もともと広報PR担当者はCSR(企業の社会的責任)事業推進室を兼務していることが多くて、その延長線上にSDGsが出てきました。2014年頃に出てきた当初はみんなよくわからなくて、本を読んでも概念しか書いていない状況でした。ちょうどそんな中、実際にどう取り組めばいいのか、一つずつ落とし込んでいくライティングの機会をいただいたので、日本一やさしくSDGsを解説できるポジションを取ろうと思って、「SDGsライター」と名乗るようにしました。それでお仕事をいただけるようになったんです。

差別化という視点

「何でも書けます」は選ばれにくい

差別化を明確にするという考え方は、広報の考え方でもあります。たとえば化粧品会社は日本に二千、三千社あると言われていて、その中でなぜあなたの商品を選ばなきゃいけないのかという理由を、広報は言語化しなければなりません。「とにかくいい商品なんです」というのはわかるんですが、それを他社と差別化してどう世に出していくかという視点が大事で。ライターも同じで「何でも書けます」というライターは、仕事を取りづらいと思っています。

できないことは逆提案する

自分の得意分野はここです、と提示した上で「こんなものも書けますか?」と相談を受けたら「書けますよ」と答える。自分の座る席を決めるということですね。仕事には平等の価値があり、どの人が欠けても回らないという前提を持ちつつ、お受けした仕事はきちんと結果を出す。逆に自分が受けられない仕事は無理をせず、「誰か一緒にやっていただけませんか」「このやり方ならできます」という逆提案をすることも、誠意の一つだと思っています。

ビジョン「女性支援という言葉が不要になる時代へ」

2026年6月に大きな看板を立てました。「女性支援という言葉が不要になる時代を目指して」という言葉です。女性支援というのもSDGsの文脈ですし、企業の社会的責任として女性活躍や女性支援に取り組まなければという流れが今はありますが、そもそも女性支援という言葉がなくなるくらい、当たり前に女性が活躍できる時代が来たらいいなと思っていて。正直、まだまだ夢のような話で。女性支援という言葉を使わないと女性が届かないポジションや場所がたくさんあります。それを承知で大きな看板を掲げてみたんです。言葉にすることで、近づく可能性を信じて。 

自分の会社での採用については、社員を雇う予定は基本的にありません。チームというかたちで働くのがあまり得意ではなくて。働き方は人の数だけあります。会社の規模を大きくすることが必ずしも正解ではないですし、自分が在りたい状態を自分で作ればいい、そう気づいたら楽になりました。自分が得意なこと、心地よいことを大事にして、仕事をしてきて苦手だと気づいたことには手を出さない方が安全だと思っています。一緒に仕事ができる方がいたら嬉しいです。

学生へのメッセージ

やってみることでしか見えないもの

学生時代に見えている仕事の数って本当に少ないと思っています。専門学校で22年講師の仕事をしているのですが、彼らと関わるなかでも、彼らに見える仕事の数って限られているよな、と感じています。だから、私たちがいるのだってことも。

だから、まず自分の目に映って、そこに興味が持てたら近づいてみるのはアリだと思います。その先に表面的には見えてなかった仕事があるかもしれないから。一旦やってみることが大事だと思います。 

工夫の積み重ねが新規事業になる

言われたことをそのままやっていても絶対に面白くないんです。「こうやったらもっと早くできる」「こうやったら楽しくできる」って工夫していく。つまらなそうな仕事の中にも自分なりの楽しみ方や成果の出し方を見つけていくと、そこにオリジナリティが生まれてクリエイティブになる。それが積み重なると、新規事業を考えられるようになるかもしれません。最初から大きなことでなくても、小さな改善を考えられる人であれば、まだ世の中に広まっていない新しいサービスが生み出せると思います。目の前の仕事を単なる作業ではなく、工夫すると面白くなるものとして捉えてほしいです。人生の多くの時間を費やすものだから、時間を切り売りするのではなく、その時間で何ができて何を楽しめて、他者にどんな貢献ができるかを考えていくといいのかなと思っています。

広報PRという仕事は、日本にあるどんな小さな会社さんとも掛け算ができます。広報をやらなくていい会社なんてないんです。ただ、気づいていない会社さんが世の中の九割以上だと思うので、まだ気づいていない会社さんに、広報をやる方法を伝えていきたいと思っています。

編集後記

今回のインタビューを通して、伊藤さんの「一つの肩書きに縛られない生き方」がとても印象的でした。会社員をしながら作詞家を目指し、Webの知識を身につけ、広報の仕事にたどり着く。回り道に見える経験がすべて今につながっているという話は、就職活動を控える身としてとても励みになりました。「工夫すればつまらない仕事も面白くなる」という言葉を、自分の学生生活にも取り入れていきたいと思います。貴重なお話をありがとうございました。