インタビュー

うずらファーストで守り継ぐ、日本一の卵づくり

更新: 2026年8月30日
うずらファーストで守り継ぐ、日本一の卵づくり
PROFILE
株式会社幡野ファーム 代表取締役
幡野 喜一

期待に応えられなかった高校時代と、伸び伸びと過ごした大学時代

父の期待とプレッシャー

私は5人きょうだいの長男として育ちました。姉が2人いたので5人きょうだいのちょうど真ん中です。長男として生まれたので、父はとても厳格な人だったんです。勉強を頑張れ、いい高校に行け、いい大学に行けと、かなり強いプレッシャーをかけられていました。小学校、中学校とそのプレッシャーの中で過ごしてきたのですが、正直に言うと、高校受験で失敗してしまったんですよね。希望していた学校には行けず、私立高校に進学することになりました。父の期待どおりに行けなかった反動のようなものを抱えながら過ごした高校時代でした。

大学は伸び伸びと

大学は愛知県内、名古屋近郊にある文系の大学に進学して、一人暮らしをはじめました。一人暮らしをすることで両親からの気遣いがなくなって、正直、真面目に学校へ通っていたかというとそうでもなく、1、2年生のころはアルバイトに明け暮れる日々を送っていました。ただ、そこで出会った友人やアルバイト先の方たちとの交流、そして離れてみてわかった家族への感謝など、人間的に成長できる機会も多くありました。

3年生になってから、ゼミの恩師との出会いが大きな転機になりました。オハイオ大学で教授をしていたこともある、英語がとても堪能な先生で、ゼミが終わったあとに教授たちの集まりに参加させてもらう機会もありました。「日本語禁止」と言われて、無理やり英語だけで話すような環境に身を置かせてもらったんです。それから学校に行く時間がぐっと増えて、3、4年生のころはほぼ毎日通っていました。中学時代は剣道に打ち込んでいたのですが、大学時代もアルバイトをしながら筋トレをするなど、アクティブに動き回っていた時間のほうが長かったと思います。

父が築いた養鶉業を、実質的な経営者として引き継ぐ

農家ではなかった父が、生きるためにはじめた養豚

弊社の創業は令和元年なのですが、養鶉(ようじゅん)自体をはじめたのは先代である父です。もともと父は名古屋の出身で、農家ではありませんでした。戦争の影響で豊橋に疎開してきていたのですが、学校の先生だった祖父が定年退職にともない疎開先の豊橋に移り住むことになったのが私たちのルーツです。父は畑を耕しながら学校に通い、大学を出たあとに養豚をはじめました。もともと畜産農家だったわけではなく、生きるためにはじめた畜産だったんです。

その養豚を父は平成6年まで続けていたのですが、においやふん尿処理といった公害の問題もあって、廃業を考えていたころに養鶉組合からスカウトを受けて、平成8年、60歳のときに養鶉へ転業しました。当時、私はまだ大学生で、ただ見ているだけの立場でした。大学を卒業してからは地元の企業に就職したのですが、種目が変わったばかりの父の養鶉はうまくいっていませんでした。病気が出たり成績が上がらなかったりして、父はかなり疲弊していたんですよね。それを見て、手伝ってあげなければという思いが強くなって、勤めていた会社を辞めて家業に入ることを決めました。それからは親子二人三脚でやってきました。

全羽殺処分と、父の病

平成21年には、鳥インフルエンザの発生で農場のうずらがすべて殺処分になるという出来事もありました。うずらでは70数年ぶりということで、連日テレビでも報道されて、応援のメッセージもあれば、非難のメッセージも届きました。人の心のさまざまな面を見た経験でした。その経営の重圧のなかで父はお酒に頼るようになってしまい、脳梗塞と脳出血で倒れてしまったんです。そこから私が実質的な経営者として引き継ぐことになりました。

養鶉という仕事はなかなか世の中に認知されていなくて、採用をしようと思ってもうまくいきませんでした。父からの事業承継と、正社員として働いてくれる仲間を集めること。この2つを個人経営のままでは実現できないと考えて、株式会社にしようと決めたのが、株式会社幡野ファーム設立の経緯です。

「うずらファースト」を貫く、生卵に特化した経営

デリケートな生き物だからこそ

うずらはニワトリの5分の1ほどの大きさしかなく、男性の手のひらに乗るくらい小さな生き物です。少しのストレスや環境の変化ですぐに卵を産まなくなったり、最悪の場合は死んでしまったりする、とてもデリケートな存在なんですよね。ですので、うずらを大切にする「うずらファースト」を第一に考えた仕事をするのが、弊社の前提です。

孵化(ふか)からひなを育てて、大人になったうずらが生んだ卵を出荷して売上を立てる。そこから出るふんを堆肥化する。夏は暑さに弱いので大型の換気扇を並べて空気を循環させ、そのための電力を太陽光発電でまかなう。病気や野鳥の侵入を防ぐために農場全体をアスファルトで舗装する。こうした設備投資を毎年少しずつ積み重ねてきて、今では45万羽の飼育規模となり、全国のおよそ1割の生産量を担っています。

生卵に特化した、全国トップシェア

弊社の強みは、環境ストレスに対して丁寧に飼育してきたことで実現している、生卵のおいしさです。うずらの生卵は、愛知県出身の方であればそば屋さんや寿司の軍艦巻きで見かけたことがあるかもしれません。生卵のシェアでいうと、弊社が全国でいちばん大きなシェアをいただいています。もちろん生卵が売れないときのためにゆで卵をつくる工場も持っていますが、夢としては、すべての卵をみなさんに生卵として食べていただきたいと思っています。

うずらの担い手は全国でも25件ほどしかなく、平成8年に父が転業してから新規参入はほとんどありません。だからこそ令和4年から毎年新卒採用をおこなっていて、今は従業員29名のうち正社員が8名、そのうち6名が新卒入社のスタッフです。うずらを育てられる人を日本のなかで育てていくことも、弊社の強みのひとつだと感じています。

エッグショックと感染症対策、経営の苦労

卵の流通構造が生んだ在庫の課題

生き物を飼っている以上、鳥インフルエンザなどの疾病リスクは常にあります。それに加えて、円安による飼料価格の高騰や、最近であればいわゆる「エッグショック」の影響も受けています。うずらの卵は鶏卵と一緒にスーパーへ並ぶことが多いのですが、その流通の多くは鶏卵丼のお店を経由しています。つまり鶏卵丼のお店の動きが落ちると、うずらの卵も一緒に動きが鈍くなってしまうんですよね。値段を上げたわけでもないのに、流通バランスの変化で在庫を抱えてしまう。うずらたちは毎日変わらず卵を産んでくれているのに、こうした事情で出荷量が左右されてしまうのが、経営としていちばん苦労している部分です。

徹底した防疫と、ストレスのない環境の両立

感染症対策としては、農場全体をアスファルトで舗装したり、今年は車両用の消毒ゲートを導入して、これまで作業員がおこなっていた消毒を機械化したりもしました。うずらを守るための設備投資をし続けなければ、うずらファーストは成り立ちません。徹底した防疫や衛生管理の体制と、うずらにとってストレスのない環境づくりを両立させながら、現場を回しつつ従業員を育てていくことが、未来につながる大変さだと感じています。

卵の価値を再定義し、次の世代へつなげる

主役として選ばれる食材に

うずらの卵は、家系ラーメンのトッピングや軍艦巻きなど、いわば脇役として認識されることが多いと感じています。私はそこを再定義して、うずらの卵を主役として選んでもらえる食材にしていきたいと思っています。ビタミンBを多く含む食材なので、女性や子どもにこそ食べてほしいですし、水煮のように日持ちがすることを伝えて、災害時のローリングストック(使いながら買い足す日常備蓄)としてご家庭に備えていただくことも提案しています。新しいレシピの提案もSNSを通じておこなっていて、いろいろな食べ方の魅力を伝えていきたいです。

同時に、洗浄ロボットの導入などスマート農業(先端技術を活用した農業)への取り組みも進めています。新卒で入ったスタッフには、3年目、4年目のタイミングでリスキリングの講義を受けてもらい、DXを進めているところです。日本にはうずらを専門に学べる大学や専門学校がありません。だからこそ、うずらをやりたいという人がいれば、みんな弊社に来てほしいというくらいの気持ちで、新しい世代が働きたいと思えるような、持続可能な養鶉業をつくっていくことが今後のビジョンです。

リアルな現場で「打席」に立ち、圧倒的スピードで成長してほしい

失敗を恐れず、打席に立ち続けること

学生のみなさんには、アルバイトでもインターンでも構いません、ぜひ「リアルな現場」に触れることを大切にしてほしいと思っています。野球で言えば、観客席から眺めるのではなく、打席に立ってピッチャーの生きたボールを体感することです。圧倒的なスピード感の中で前線に立つ経験こそが、みなさんの成長の原動力を創ります。

うずらは成長のサイクルが非常に早い生き物です。だからこそ、現場では「挑戦と失敗、そして改善」のサイクル(PDCA)を短いスパンで何度も回すことができます。ネットで調べる前に、まず試してみる。打席に立ち、試行錯誤を繰り返した経験は、社会に出てからどんな荒波にも折れない、あなた自身の「強い軸」になります。

うずらを「主役」に変える、僕たちの挑戦 

今、幡野ファームは大きな変革期にあります。従来の「水煮・脇役」というイメージを覆し、「生食で最高のたまごかけごはん(TKG)」として主役に引き上げること。そして、洗浄ロボットの導入やDX、リスキリングを通じて、誰もが誇りを持って働ける持続可能な「スマート養鶉」を創り出すことです。

今年11月には、東京・池袋サンシャインシティで開催される「卵フェスin東京2026」へ、うずら農家として初出展します。鶏卵の巨人に挑む、大きな挑戦の場です。

日本にはうずらを専門に学べる学校はありません。だからこそ、「新しい農業を創りたい」「圧倒的に成長したい」という想いがあるなら、まっさらな状態で僕たちの扉を叩いてほしいと思っています。新卒の先輩たちが現場の主役として活躍する幡野ファームで、一緒に日本の食の未来を変えていきましょう。 

編集後記

代表の幡野さんのお話を伺って、うずらという小さな生き物に真剣に向き合う姿勢がとても印象的でした。父の代から受け継いだ養鶉業を、危機を乗り越えながら次の世代につなげていく覚悟が、言葉の端々から伝わってきました。うずらの卵を主役にしたいという想いは、業界の枠を超えて多くの人に届いてほしいと感じます。学生の私自身も、リアルな現場に飛び込む大切さを改めて考えさせられる取材となりました。