何もないところから会社をつくった
大学には行っていない
大学には行っていないんですよね。学生時代、何に熱中していたかと聞かれると、正直なところ遊んでいただけ。カラオケがちょうど出始めの頃で、友達と朝までカラオケしたり、お酒を飲んで遊んだりしていました。何かに強い思いを持っていたわけでもなく、遊びたかったから遊んでいた。それだけです。
ライフラインが止まった日
別に会社を立ち上げようと思って立ち上げたわけじゃないんです。サラリーマンを2年ほどやって辞めてしまったんですよね。辞めた途端に電気、ガス、水道が止まってしまって。「やっぱり仕事しなきゃダメなんだな」と、そのとき初めて思いました。どこかの会社に入ろうかとも考えたし、面接のようなこともしてみた。でもどうもしっくりこなくて、そこで「個人事業」というものがあるんだと知ったんです。それがすべての始まりでしたね。
「私が集めます」の一言
個人事業主になってから、ある大企業の下で仕事をするようになりました。当時は府中に住んでいたんですけど、「横須賀まで行ってほしい」と言われて、「いいですよ」と。ところが現場では人が集まらないという話になって。たまたまタバコを吸いながら「横須賀に人がいないよな」なんて話をしていたときに、つい「じゃあ私が集めますよ」と言ってしまったんです。会社なんてないのに。「会社つくりますよ」と、そのまま実行に移しました。そこから会社を立ち上げ、横須賀で仕事を続けていくなかで、2007年に今の株式会社Polestar-ID(ポールスターアイディ)として法人化したという流れですね。
あるのは「やる」という気持ちだけ
「集めます」と言ったことに根拠なんてなかったんですよ。自信があったかと聞かれても、自信があるとかないとか、何も考えていなかった。言っちゃったから動くしかない。私の中ではいつも「やる」ということしかないんです。すごいバックボーンもないし、当時はお金もない、人脈もない、技術力もない。何もなかった。やると決めればやればいい。その後いろんな問題が降りかかってくるけれど、やらなきゃいけないからやる。それだけなんですよね。
病弱だった少年時代
運動会は3回だけ
子どもの頃は病弱でした。小学校の運動会には3回しか出ていません。喘息もあって、学校にまともに通えていなかった。動きたい気持ちはあるんだけど、すぐに体が参ってしまう状態がずっと続いていたんです。それが小学校を卒業したら自然に治って、中学からは走り回れるようになりました。今は何ともない。不思議なものですよね。
学校に通えていなかったぶん、子どもたちの間での常識みたいなものをまったく知らないんです。でも、だからこそ変なバイアスがなかったのかもしれない。大人になるにつれて、みんな常識というものを覚えて、それに囚われていくじゃないですか。そういうものが私にはあまりなくて、それが今の自分につながっている部分はあると思いますね。
いじめが反動力になった
病弱だったこともあって、ひどくいじめられた時期がありました。「まだ生きてるの」なんて言われたこともある。でも、それが「何かをやっていこう」という反動力になったんですよね。「お前たちとは違うぞ」という気持ちがずっとどこかにあった。今はそんな感情ではなくて、他の人とは違う経験をしてきたことをありがたいなと思えるようになりました。こうやって話す内容としても語れるわけですから。
壁の前では逃げない
病気に比べれば安いもの
壁にぶつかったときの乗り越え方はシンプルで、「逃げない」、それだけです。誰かに助言を求めるわけでもない。ただ逃げない。子どもの頃の病気の辛さと比べたら、仕事の大変さなんて大したことないんですよ。安いもんです。お客さんのところに怒られに行くのはきつかったですけどね。しょっちゅう怒られていましたから。
落ち込むのは一瞬だけ
落ち込むことはありますよ。でも一瞬だけ。「なんで私はできないんだ」「もっとやりたい」という気持ちにすぐ変わっていくんです。次は絶対に同じ失敗はしない、同じ間違いは絶対にしないんだと。そうやって切り替えていくだけですね。
若い世代に伝えたいこと
情報を遮断して自分で考えろ
今の若い世代を見ていると、SNSの影響もあってひとつのことに集中できない人が多いなと感じます。あっちの情報、こっちの情報と気が散って、途中でやめてしまう。人間はひとつのことに対して深く考えるということを、本来は学びのなかでやらなきゃいけない。なのに点数さえ上がればいい、いい大学に入ればいいという方向に走ってしまっている。
情報が溢れすぎて何をやればいいかわからないという人には、「遮断しろ」と言いたいですね。スマホを置いて、自分の頭ひとつで考える。それを突き詰めたら、人生は楽しくなると思うんですよ。
人生の8割は大変なこと
世の中、生きていていいことなんてほとんどないんですよ。幸せなことなんて2割くらいでよくて、100%幸せなんてきっとつまらない。7割、8割は大変なことがあるからこそ、うまくいかないことをなんとかしようとして生きていくのが楽しいんじゃないかなと。それを自分から排除するなと思いますね。
嫌いなものや嫌なことに目くじらを立てるんじゃなくて、なんで今怒られているんだろう、どういう考え方なんだろうと受け止めてみてほしい。好きなものと同じだけ嫌いなものがわかるわけで、どちらにも無関心なのが一番もったいない。人生一度きりなんだから、そういう体験を一つひとつ楽しめると思うんですけどね。
素直にまっすぐ行け
何か言うと叩かれるんじゃないかと気にする人が多いけれど、「お前のこと誰も見てないよ」と思いますよ。大したことないんです、別に。もっと心を開いて、まっすぐ行こうよ、と。
採用面接でも同じことを感じます。なんでこの会社を選んだのかをはっきり言える人がいいですね。「あっちに落ちたからこっちに来ました」でもいい。それもはっきりしていて潔いと思うんですよ。いろいろ隠さないで、素直に話してほしい。私が人材を考えるときの基準でいうと、頭が良くて性格のいい人は当然欲しい。でも頭が良くて性格の悪い人はいらないんです。逆に、頭が悪くても性格がいい人は欲しい。結局、素直で性格のいい人と一緒に仕事がしたいんですよね。
AIが変える仕事の形
なくなる仕事、生まれる仕事
AIによって人が代替されるのかと聞かれることがありますけど、私の見方は少し違います。今ある仕事の「プロセス」がごっそりなくなるというイメージですね。たとえばプログラムの設計からテスト、納品、保守まである工程のうち、コードを書く部分はAIがやれてしまう。すでにコードを書かなくてもホームページや業務アプリをつくれる時代になっています。
ただ、そこですべての仕事がなくなるわけじゃない。AIに代替された部分から、また新しい仕事が生まれてくると思うんです。今注目しているのがFDE(フォワードデプロイエンジニア)という職種。プログラマーとは違う形で、AIの統合力を活かしながら課題を解決していく。こういう人たちが少しずつ増えていくんじゃないかなと。
AIは結果を出してくれるけれど、プロセスも責任も持たない。じゃあ人がどう責任を持っていくのか。そこはまだ答えが出ていない部分ですけどね。
次の挑戦
SESから入札事業へ
弊社の今後の展開としては、自治体や国の入札事業に参入します。手続きはもう済んでいて、あとは実際に案件を取っていくだけ。3年後にはこの入札事業のシェアを8割以上に持っていきたいと思っています。IT業界にはびこっているSESという形態から脱却して、自社で仕事を取り、社員がその仕事に取り組んでいく形にしていきたい。
国と仕事をすると、責任が100%でのしかかってくるんですよ。逃げられない。ヒリヒリします。でも、それが仕事なんです。やると決めたらやるしかない。市場の流れをつかむのに少し時間はかかるかもしれないけれど、やるんですよ。
編集後記
五十嵐社長のお話には、一貫して「やると決めたらやる」という揺るがない姿勢がありました。幼少期の病気やいじめの経験を乗り越え、根拠も人脈もないところから会社をつくり上げた背景に、シンプルながら強い意志の力を感じます。私自身、挑戦するときにどうしても周囲の目を気にしてしまうことがありますが、「お前のこと誰も見てないよ」という言葉には思わずハッとさせられました。情報過多の時代だからこそ、一度立ち止まって自分の頭で考える。嫌なことから逃げずに向き合う。当たり前のようでなかなかできないことを、五十嵐社長は自然体で実践されています。とても学びの多い取材でした。