日本の大自然を活かした自然循環型酪農「山地酪農」を普及し、本当の真の豊かさを追求する
猶原恭爾博士との出会いが2人の人生を変える
弊社の創業は、私の父になります。父も母も千葉県の出身。
東京農業大学に進学した父は、そこで山地酪農の創始者である猶原恭爾(なおはらきょうじ)博士と出会います。自然循環型酪農を知り、頭をトンカチで殴られたような衝撃を受け、「これを今後の日本に普及させたい」という思いを抱いた父は、大学卒業後に田野畑村へ移り住み、先に山地酪農をしていた熊谷農場のもとで3年間研修をさせてらったのち、現在の場所に入植しました。
ただ、その道へは決して楽農ではありませんでした。
ランプの生活が教えてくれたこと
開拓の当時は、山へ上がる道もまだ砂利道で、整備もされていないような場所でした。父は10年間、ランプの生活を送っていたそうです。とくに大変だったのは冷蔵の設備がなかったことで、食品がすぐに腐ってしまうことでした。電気のありがたみを、身をもって知ったと話していました。父自身はもともとサラリーマン家庭で育っておりました。お金に困るようなことのない環境から一転、まったく違う世界に飛び込んだわけですから、そのギャップの大きさは相当なものだったと思います。それでもこの地に移り住み、山地酪農という1つの道を選び、今の弊社につながっています。
45度の斜面を守る、二ホンシバという知恵
「山が崩れない」理由は牛の足元にあった
一般的に「放牧」と聞くと、平らな土地に牛が放されているイメージを持たれる方が多いと思います。しかし山地酪農は、起伏がとても激しく、急なところではおよそ45度の傾斜があります。それでも崩れないのには理由があります。猶原博士はもともと植物生態学の教授で、日本固有のシバである「ニホンシバ」に着目しました。表土が見えてしまうと、大雨のたびに土が流され、山が崩れていってしまいます。そこでこのニホンシバを放牧地一面に1メートル間隔で植えていくと、地表と地中で根と根が絡み合い、まるで1枚の絨毯のような状態になります。その結果、1時間に100ミリメートルを超えるような大雨が降っても、山は崩れません。しかも表土を削っていないため、田野畑村であれば田野畑村にしか生えない野草が、年間で50種類以上、季節ごとに自然と生え変わっていきます。強い草も弱い草もあり、日が当たらないと育たない草もある。そうした1つひとつの成長を助け合っているのも、このニホンシバの働きなのです。
また、急傾斜を活用するのにも理由があります。
お米や畑は急斜面ではできません。しかし乳牛は足があります。本来生産対象外だった急傾斜地「やまち」を、乳牛の自動機能と自然の雨の恵み・陽の恵みを有効活用することで、生産場所にすることができると唱えたのです。「無」から「有」を作り出したのです。
乳量は3分の1でも、10年を超えて健康に生産し続ける乳牛たち
季節によって食べる野草が変わるため、私たちの牛乳は季節ごとに味が変化します。これは珍しいことで、ある意味「味が一定ではない」ことこそが特徴だと思っています。ただ、穀物飼料や農薬を使わず、山を歩き回る分だけ体力も使うので、一般の酪農家と比べると乳量は3分の1程度しか出ません。今の日本の畜産は「乳量」に重きが置かれていて、全国平均では1頭あたり年間1万キロ前後の乳量になります。弊社はそれよりずっと少ないのですが、牛乳が出た量に対してどれだけ経費がかかったかで見ると、決して悪い数字ではありません。何より、うちの牛の平均寿命は11歳前後で、過去には16歳、18歳まで牛乳を出荷し続けた牛もいました。
また、乳を生産し終わった牛からは、お肉もいただき皆様の元へお届けしております。せっかく田野畑の地で生まれ育った牛ですので、最後まで命に感謝しお客様と共有したいと思いました。このお肉は、野草・牧草を食べ、年中放牧した牛なので、サシの無い真っ赤な赤身肉。ジューシーさはありませんが、噛めば噛むほど旨味の出てくるお肉の味に、多くのお客様が感動をしてくれます。
そうです。山地酪農は良質な「牛乳・牛体」を生産してくれるのです。
牛にとっても、山にとっても、そしてご購入下さるお客様にとっても、嬉しい仕組みになっていると感じています。
「自分の作り上げた放牧地で自由に過ごす乳牛を見れる幸せ」
山地酪農が普及しない1番の理由は、安定したお金が出来るまで、3年から5年はかかることです。
それは、元々森林だった場所を切り開き、二ホンシバを1m間隔で1本ずつ植え、放牧地1面を野草地にするのには、3年から5年かかってしまいます。しかしこれを乗り越えると、安定的に牛乳を生産することができます。現在は、新規就農補助金・助成金があり、ある程度は資金を確保することも可能なため、昔のように補助金がない時代に比べれば、やりやすい環境にあります。また、実際に山地酪農を実践している農家が田野畑村に2軒あるため、いつでもお伝えすることができます。
何より、そこまで苦労して作り上げた放牧地で、乳牛が美味しそうに野草を食べ、川水を飲み、休みながら反芻しているのを見ると、本当に幸せな気持ちになります。
「お客様の声が教えてくれた、田野畑山地酪農の価値と幸せ」
田野畑山地酪農牛乳ができたのは1996年。先輩の熊谷農場と吉塚農場の2軒で作り上げました。
ブランドの牛乳ができた当初、盛岡で試飲即売会を行いました。パックのデザイナーやローカル局の宣伝力もあり、初日から行列ができたの事。そして、試飲をしたお客様の反応から、山地酪農の凄さを実感したそうです。
以前、東京や仙台のイベントで弊社の牛乳・乳製品を1週間ほど販売する機会がありました。そのとき、もともと牛乳が苦手な方や、飲むとお腹を壊してしまうという方が試飲してくださり、思い切って1Lの牛乳を購入されました。大丈夫かなと思いながら見ていたのですが、翌日わざわざお店まで来てくださり、「本当に大丈夫でした!美味しかったです!」とわざわざ報告し、自ら1本購入をしてくださったのです。牛乳を飲めたことがうれしかったと伝えてくださるお客様がいることは、私たちにとって何よりの励みになっています。味だけで比べても、「普段の牛乳と全然違った」という声や、「飲むと美味しいだけでなく、心体に染み渡り、元気になる」等、沢山のお声をいただくことがあり、山地酪農法が、いろいろな意味で牛乳の質につながっているのだと実感しています。
実際に北里大学の研究では、弊社の牛乳には癌を抑制する効果のある「共役リノール酸」が、市販の3倍以上あることも分かりました。また、チーズは世界のコンテストでも数々受賞するほどの商品となっています。こんな村から…いや、この自然豊かな村だからこそ、自然をフルに活用することで世界にも通用する商品を作ることができるのです。
猶原博士の「山地酪農」を正確に伝え普及させていくことが弊社の使命
本当の意味で受け継いでいるのは全国で3軒だけ
ネットで検索すると「山地酪農」と名乗る方がたくさん出てきます。しかし、猶原恭爾博士の思いを本当の意味で受け継いで実践しているところは、ほとんどありません。放牧をしていれば山地酪農、草だけで飼育していれば山地酪農といった認識で語られてしまうことが多く、放牧地の面積がわずかであっても「草で放牧しているから山地酪農」と名乗られてしまうケースもあります。
しかし、それはまったく別の話です。
ある程度の面積をしっかり持ち、酪農として成り立つ農家、また、地域との関りを大事にし互いに助け合う農家等、様々博士の理念に沿って酪農を行うこと、それが本来の山地酪農だと考えています。実際に博士から直接指導を受け、その考え方を守り続けているのは、高知県の斎藤農場と弊社の契約農家である熊谷農場と吉塚農場の3件しかございません。搾乳のみを行う酪農家は、60年前には全国に40万件ほどありましたが、物価高騰や後継者不足はもちろん、息子が継ぎたいと言っても、「これからは大変になるだけだから継がせない」という酪農家も多く、今では1万件を切っています。このような形で、ずっと続けてこられた酪農が無くなっていく…。本当にこのままでいいのでしょうか?
この現状を前に、山地酪農をきちんとした形で広めていく方法を、私たちも考えていかなければならないと感じています。
学生の皆さんに、一次産業を知ってほしい
これから酪農を志すと大変といわれる時代。それは、輸入の穀物に頼ることで左右されてしまう。
だからこそ、学生の皆さんや高校生など、これから将来を考えていく世代の方々に、この酪農のスタイルを知ってほしいと思っています。一緒にやってみたいと思ってくれる人が1人でも増えたらうれしいです。「自分1人が動いたところで」と感じる方もいるかもしれませんが、その1人が動くことが、私たちにとってはとても大きな意味を持ちます。もしかしたら、その1人が日本の畜産を救うことになるかもしれません。なにより、子孫にまで影響してしまうのです。皆さんはこれをどう考えるでしょうか?
少しでも多くの方に一次産業に関心を持ってくれること、そしてそれは、自分の子供や孫に幸せな未来が来るための動きであることを、ぜひ、知ってほしいです。
私たちと一緒に山地酪農をはじめとした「自然循環型酪農」を普及させませんか?
それが正直な思いです。
編集後記
今回のインタビューを通して、「山地酪農」という言葉の裏にある奥深さを知ることができました。放牧といえば平らな牧草地を思い浮かべていましたが、45度の急斜面をニホンシバが支えているという話には驚かされました。乳量よりも牛の健康や自然環境を大切にする姿勢、そして「山地酪農」という言葉が本来の意味を離れて広まってしまっている現状への危機感が、強く印象に残っています。一次産業に関心を持つ人が1人でも増えてほしいという願いを、私たち学生も心に留めておきたいと感じました。